団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3052号04面04)(2019/07/15)


団結ひろば 投稿コーナー

参院選告示日に新小岩街宣
 東京 高野光一



 参院選告示日の7月4日、JR総武線の新小岩駅前に中核派として堂々と登場し、「香港200万決起に続こう!」「7・20銀座デモへ」を訴える街頭宣伝を行いました。
 私たちはなぜ参院選初日に街宣を敢行したのでしょうか。それは、トランプと安倍がホルムズ海峡でのタンカー攻撃をイランの仕業と一方的に断定し、中東侵略戦争の放火者となっているからです。その中で、安倍首相が「参院選で正々堂々と改憲を論議する」と改憲・戦争宣言をしたからです。こんなことを許してなるものか! この一心で参院選初日に「安倍たおせ」「社会を動かしているのは労働者」「変えるのは私たち」と、労働者・学生に熱烈に訴えたのです。
 新小岩駅は中核派の本拠地=前進社からも近く、そこで青年・労働者がハンドマイクで訴え、「中核派の新聞『前進』を読んで下さい」と元気に配布し、短時間のうちになんと100部の『前進』が駅を利用する労働者・学生に受け取られました。
 また、街宣のベテラン(!)がビラ配布と同時に「戦争するな! 9条変えるな!」の署名活動を行い、多くの人が署名に応じてくれました。その中には、今や高齢者が生き働く巨大な労働市場=職場となっているシルバーの男性との出会いもありました。
 今後はJRの労働者とのつながりも目指していきたい。なれ合いの選挙ぶっ飛ばそう! 若者の力で未来をつくろう! 7・20銀座デモへ、職場・学園から一人でも多くの青年労働者・学生の結集を実現するために、この参院選過程でさらに闘いを推し進めていきたいと思います。

「星野闘争と沖縄」で講演会
 元郵政労働者 茂木湊士

 6月22日に開かれた「いのち守る! 改憲・戦争阻止!大行進中部・南部の会」第4回定例会に参加しました。
 事前にスタッフ会議の中で、沖縄問題をやるなら星野闘争と関連して行おうと決めました。その矢先の5月30日に、星野文昭さんが亡くなったという悲報が飛び込んできました。
 第4回定例会は「星野闘争と沖縄」と題して、「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」から金山克巳さんを講師に招いて開催しました。沖縄のことにあまり触れることができませんでしたが、星野さんが「人間が人間らしく生きられる社会の実現」に向け獄中で闘ってきた報告などがありました。
 星野さんを生きて奪還することができなかった無念、ろくな検査や医療をせず放置してきた安倍政権による国家的犯罪の責任をとらせなくてはならない。星野再審無罪をかちとる、憲法改悪阻止、辺野古に新基地はいらないと、私を含め参加者それぞれが発言し、決意し、星野さんの闘いを引き継ぐことを確認しました。重要な定例会になったと思います。
 7月に入り、参議院選挙が始まりました。野党を含め改憲派といわれる議員が国会で過半数を超えている状況下、杉並区議選で洞口朋子さんの勝利をかちとった力で、選挙に背を向けることなく、改憲に反対する人、原発に反対する人、辺野古新基地建設に反対する人を応援していきましょう。

意義深く感じた「菅沼論文」
 東京 S・O

 私は1970年に化粧品会社研究所に就職し、職場では研究所移転を合理化とみなして反対闘争を激しく闘いつつ、退勤後は毎晩のように相模原戦車輸送阻止闘争デモに参加して痣(あざ)を作り、職場に戻っては職務評価制度の導入に熱い論議を展開して闘いました。
 1975年、皇太子(当時)の沖縄海洋博覧会出席に反対する闘争の帰路に遭遇したカクマルとの新橋大会戦で逮捕され、職場への無期限の入場禁止処分を受け、裁判闘争を闘って復職し、定年まで私なりの階級的労働運動を目指して闘いました。
 しかしながら、定年退職後10年以上を経た今でも、「あれでよかったのか」「もっと闘えたのではないか」と常に自問しています。『共産主義者』200号掲載の菅沼光弘論文「反合・運転保安闘争と労働者階級自己解放」は、そういう私に職場闘争を総括しなおす視点を与えてくれました。
 私の場合、動労千葉と違い、化粧品製造という仕事に「誇り」を感じることはできなかったし、労働条件は相対的には良い方であったために、仲間は敢えて資本に抵抗することはありませんでした。そのうちに派遣労働者の比率が高まり、ついには製造が外注化されて、私がいた工場は閉鎖。私自身は不当配転を拒否して、最後まで工場に残り、非転向で定年を迎えましたが、今回菅沼論文を読んで、他党派や左翼少数組合が反合闘争を闘えなかった理由がつくづく理解できました。
 菅沼論文は職場の拠点化で苦闘する現役世代にとっても指針となるとともに、私のような者にとっても、自分の闘いを総括する上で非常に意義深いものでした。

怒号飛ぶシルバー人材総会
 東京 橋本一郎

 6月21日に江戸川区総合文化センターでシルバー人材センターの第70回定時社員総会が開かれました。千人を超える会員が参加しました。総会冒頭、オリンピック・パラリンピックについての区役所職員の講演中、リオ・パラリンピック映像が流れ、音声が不良となった時、会場から「もうやめろ!」の声が上がり、何人かが同調するように怒りの声を上げました。
 参加した男性会員と話をする機会がありました。年齢は70代後半、個人営業主だったため、年金は国民年金で、掛けた年数が25年と少なく、夫婦合わせた年金支給額が10万円程度で「とても生活ができず」夫婦二人とも人材センターの仕事をしているそうです。「生活保護を考えたが、持ち家があると受けられない」と言います。仕事は週2回、1回3時間の児童公園の清掃で、時給は東京の最低賃金の985円。それだけでは足りないので学校見回りの仕事も始めたそうです。
 秋になると落ち葉が増え、週2回の清掃では追い付かない。回数を増やすようセンターに要求しましたが、「らちがあかない」と語っていました。公園管理を請け負っている造園会社の採算がとれるかどうかが一切の基準なのです。
 センターで働く高齢者は、「年金だけでは生活できない」人が大半です。そして任された仕事については誠実に取り組んでいる人が多く、それ故、仕事に対する誇りとともに様々な要求や不満、怒りを抱えていると感じました。

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