特集 被爆74周年 広島長崎反戦反核闘争 被爆者の怒りと闘い継承し 改憲阻止の8・6ヒロシマへ

週刊『前進』02頁(3053号02面01)(2019/07/18)


特集 被爆74周年 広島長崎反戦反核闘争
 被爆者の怒りと闘い継承し
 改憲阻止の8・6ヒロシマへ


8・6ヒロシマ大行動実行委員会共同代表
 被爆2世 中島健さんに聞く
 被爆と戦争居直る安倍は広島に来るな

(写真 式典会場の安倍首相に原爆ドーム前で怒りの声を上げる2018年8・6大行動のデモ隊。前列右端が中島健さん)


 ----今年の8・6の焦点は何でしょうか?
 米中対立やイラン、北朝鮮の核をめぐり軍事的緊張が日々高まっています。新たな核戦争を許すなという声をヒロシマから上げていかなければなりません。
 安倍は参院選で「宿願」の改憲を争点に掲げました。安倍が平然と8・6ヒロシマに来ることを許すのか否かが最大の焦点です。被爆から74年、闘い続けてきた被爆者は「改憲は戦争への道だ。戦争は原爆投下への道だ」と力を振り絞って声を上げています。
 ----松井市長は、「平和宣言」で安倍首相に核兵器禁止条約の締結を求めないと明言し、広島で抗議が広がっていますね。(その後、被爆者たちの怒りに押されて、7月12日に松井市長は「平和宣言に、日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める直接的な言葉を盛り込む」と表明)
 今トランプ政権は北朝鮮やイランへの核戦争を実戦レベルで考えている。この時にトランプ・安倍に何一つ抗議せず、核禁条約締結すら求めないのは、核戦争容認でしかありません。
 核兵器使用に対する日本政府の見解は、昭和天皇が言った「戦争中であることですから、やむをない」(1975年訪米後記者会見)と同じです。日本政府は原爆投下についてアメリカ政府に一度も抗議していません。

教職員の闘いがよみがえった

 ----昨年から広島で改憲阻止の運動が始まっていますね。
 一つは「改憲阻止!広島教職員100人声明」を立ち上げたことです。98年文部省是正指導で、翌年3月の卒業式を前に世羅高校の校長が「日の丸・君が代」をめぐって自殺に追い込まれ、「組合のせいで死者が出た」と平和教育・解放教育つぶしが吹き荒れました。組合本部は闘いを放棄し、組合員はバラバラにされます。そこから20年。安保法制や共謀罪が成立し改憲まで狙われる中、広島の教職員の闘いが不死鳥のようによみがえりました。
 この運動は、高教組・広教組本部が「日の丸・君が代」闘争を放棄する中、数人の先生方が自力で処分撤回の人事委員会闘争や裁判闘争を継続し、その方たちが柱になって実現しました。権力者は弾圧すれば運動はつぶせると考え、組合の先生の人間関係を壊し、不利益を与え、閑職に追いやるなどむちゃくちゃなことをやりました。しかし労働者の心はそれにくじけなかった。うれしいです。
 もう一つは、自治体労働者が拡声器規制条例にどう関わるかが焦点になっています。原爆ドーム前集会に対して、第2次安倍内閣の誕生と同時に右翼と警察が一体で妨害を始めました。しかし私たちは実力でドーム前集会と、式典に参加する安倍への怒りのデモを続けています。安倍は耐えられず、松井市長と自民党市議を動かして条例で規制しようとしているのです。
 この間、市長あての申し入れ、市役所前座り込み、記者会見など様々やってきましたが、規制の担当は皮肉にも市民活動推進課です。8月6日に平和公園で現場の規制にあたっているのも広島市職員です。
 敗戦後すぐに自治体労働者は、内務省直属で国民を監視し戦争動員に手を染めた官吏であったことを反省し、「二度と赤紙を配らない」と立ち上がりました。今、広島市の自治体労働者はかつてのような役割をさせられようとしています。「反戦運動つぶし」の業務を拒否する闘いは、職場から改憲・戦争を止める決定的な闘いだと思います。

母を見て、責任を取らぬ国に怒り

 ----被爆2世である中島さんの生い立ちを聞かせてくれますか?
 私は1947年生まれの72歳です。母は爆心から約3㌔の三菱舟入で被爆。親戚もほとんど被爆し、母にケロイドはありませんでしたがとても疲れやすく、疲れると体に青黒い斑点が浮き出ていました。よく寝込んでいたので子ども4人で食事当番をしていました。
 母は被爆体験を語りたがりませんでしたが、その姿を見て「被爆者の生活は大変だ」「こういう形で被爆者は放置されるのか」と思いました。「聖戦」と言っておいて、責任をとらない国に怒りがありました。ある時、母は三菱舟入に大勢の朝鮮人徴用工が強制連行されていたことを語ってくれました。労務の人間が彼らを棒で殴りつけて仕事をさせていたと。植民地支配によって大勢の朝鮮人が被爆させられたのです。
 ----中島さんの闘いの原点を教えてください。
 私は67年に広島大学に入学し、1年生後期から学友会(学生自治会)役員、2年生で執行委員長をやりました。安保条約のもと日本が出撃基地になったベトナム侵略戦争の最中で、戦前と同じ状況を許してはいけないと反戦闘争に立ち上がりました。
 71年に佐藤栄作が、現職首相として初めて平和記念式典に参加します。佐藤は来広にあたり「戦後の発展や平和は被爆者の尊い犠牲のおかげ」と言いました。国・天皇の戦争責任・被爆責任を居直り、被爆者をも「英霊」化し、沖縄に米軍基地を固定化して、また侵略戦争に参戦した佐藤がいったい何をしに広島に来るのか。絶対に認められませんでした。
 「佐藤に広島の地は踏ませない」という闘いが、全国被爆者青年同盟(被青同)をはじめ被爆2世の青年・学生を先頭に爆発します。式典会場で佐藤を実力糾弾した闘いに多くの被爆者が「胸がすっとした」と快哉を叫んでくれました。被爆者の闘いを引き継ぎ決起することで、私たちは「被爆2世」としての自分を認識していきました。
 被爆者の闘いの永続化に恐怖した支配階級は、ABCC(原爆傷害調査委員会)による「遺伝的影響はない」という調査結果を使って、現実には病気や健康不安を抱えている2世を沈黙させようとしました。それを打ち破って被青同の闘いは前進し、被爆者・2世の砦(とりで)=高陽病院建設運動へと上りつめます。核と戦争を最も憎み、帝国主義とスターリン主義の支配を覆す主体としての被爆者・2世という自己を取り戻す闘いが始まった意義は大きいと思います。
 70〜80年代にかけて8・6闘争は三里塚、沖縄、動労千葉の闘い、各地の反原発・反核燃闘争とつながり、日帝の軍事大国化・核武装阻止を掲げて闘われ、原水禁運動の後退をのりこえて進みます。そして、有事法制攻撃と一体で始まった広島の平和教育・解放教育つぶし=是正指導と闘う教育労働者が先頭に立ち、99年に8・6ヒロシマ大行動が始まりました。

新たな核戦争を絶対に阻止する

 2011年の3・11福島原発事故は、私にとって衝撃でしたし、8・6大行動にとって大きな転機となりました。私はその年の6月に福島で開かれた集会に参加し、「被ばくの影響から命を守るには、被爆者自身が闘わなければならなかった。政府は被爆者を抹殺しようとした。福島でも同じことが行われるだろう。それをはね返してほしい。広島は連帯する」と決意表明しました。
 12年に原爆ドーム前集会を開始しました。原爆ドームは世界的に知られた、原爆の悲惨さ、核の非人間性の象徴です。その前で、被爆者をはじめ多くの労働者・学生・市民らが集まり、ヒロシマ・ナガサキとフクシマを一つにし、すべての核の廃絶と、新たな核戦争をもたらす社会を変えようと闘っている姿を全世界に知らせることは、大きな意味があると思います。安倍政権が侵略の歴史を居直り、韓国への排外主義を扇動する中、テグの仲間との国際連帯を強化することも決定的に重要です。
 私たちは今年も8時15分に黙禱(もくとう)し、被爆者の苦痛や怒りをわがものとし、安倍首相抗議デモに立ちます。これまでにも増して全国・世界から集まっていただき、声を上げてほしいです。


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二度と起こっちゃいけん
 被爆者
 下田禮子さん(8・6ヒロシマ大行動共同代表)

 (拡声器規制条例に対して)やっぱり大きな声で言わなきゃ。主張することはしないと、向こうの思うようにされたら何にも言われんようになる。静かじゃわからんのじゃないですかね。声を上げないといけないんじゃないかしら。二度とああいうようなことが起こっちゃいけんですよね。みんなひどい目にあったから。
 今でも思い出します。あんまり音はしないですよね。最初はピカピカピカっと雷が光ったようで、その後ドーンと落ちた。でも、まあ一瞬ですからね。
 母(当時43歳)は建物疎開の後片付けに行ってて、やけどして帰ったけど3日しか生きてなかった。全身やけどだから。そりゃあ原爆だからひどいですよ。爪があるから皮が落ちないんですよ。下がってね。こうして歩いて。それはひどかったですよ。
(7月6日談。下田さんは被爆当時14歳)

労働者が立ち上がる日に
 被爆2世・教育労働者
 平野綾子さん(広島教職員100人声明呼びかけ人)

 広島市は拡声器規制条例で8・6デモを規制しようとしています。安倍を呼んでおいて黙っておけと言うのでしょうか。被爆を「過去のもの」、記念式典を「祈り」に封じ込めようとする改憲攻撃です。
 8月6日とは何だったのか。「気が進まないが約束があるから」と、私の祖父は爆心地付近へ行き被爆。焼け跡の中、祖父を探しまわった祖母や父、叔母・伯母らは入市被爆をしました。一体、なぜ、誰のために侵略戦争をさせられ被爆させられたのか、ヒロシマは問い続けています。改憲し、再び侵略戦争をしようとする今、過去のものにはさせません。8月6日は労働者が立ち上がる日です!
 沖縄闘争を闘った星野文昭さんの闘いの原点はヒロシマでした。星野さんの遺志を引き継ぎ、「改憲阻止!安倍打倒!」の怒りのデモで安倍を迎え撃ちましょう。8・6ヒロシマから共に改憲阻止の声を上げましょう。

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被爆74周年8・6ヒロシマ大行動
8・5国際反戦反核集会
●8月5日(月)午後5時~7時30分 アステールプラザ中ホール(広島市中区加古町4―17)
▼第一部 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマから 中島健さん(ヒロシマ被爆2世)、城臺美彌子さん(ナガサキの被爆者)、杉井吉彦さん(ふくしま共同診療所医師)/沖縄から チーム緑ケ丘1207/全教組テグ支部/動労水戸
▼第二部 星野文昭さんの遺志つぎ核と戦争なくそう!日韓・国際決意大会/星野暁子さん、イドクチェさん(星野テグ絵画展主催者)ほか
8・6アピール・安倍首相弾劾デモ
●8月6日(火)午前7時15分~8時10分 原爆ドーム前アピール/午前8時15分(原爆投下時刻)反戦反核決意の黙禱/黙禱後デモ(9時 中国電力本社前解散)
8・6ヒロシマ大行動集会
●午後0時30分 広島県立総合体育館小アリーナ
▼被爆者、広島の教育労働者、自治体労働者、高陽第一診療所労組、韓国テグ・城西工団労組、布施幸彦さん(ふくしま共同診療所院長)、動労千葉ほか
●午後3時 市内デモ
 午後4時30分 原爆資料館前解散
関連行事
8月5日(月)アステールプラザ 午後2時
●改憲・戦争阻止!全国教職員ヒロシマ集会
●避難・保養・医療交流会
 呼びかけ/NAZEN

8・8~9長崎反戦反核闘争
●8月8日(木)長崎市内デモ
 午後4時15分 湊公園集合
●8月9日(金)爆心地デモ
 午前9時15分 城栄公園集合
8・9長崎反戦反核集会
●午後1時30分 長崎勤労福祉会館2階講堂
 主催 NAZENナガサキ

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