映評 「ニューヨーク公共図書館」 「図書館自治」の舞台裏描く

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週刊『前進』04頁(3060号04面03)(2019/08/19)


映評
 「ニューヨーク公共図書館」
 「図書館自治」の舞台裏描く




 フレデリック・ワイズマン監督の映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」を観た。3時間25分の長尺にナレーションは無い。観客はスクリーンに映る〝事実〟を、ありのまま目撃する。
 ニューヨーク公共図書館は、四つの専門図書館と地域に密着した88の分館からなる図書館ネットワーク。司書によるレファレンスサービス、学術コレクションの数々、多彩なイベントプログラム。一方、分館では地域住民が必要とする図書館サービスを提供している。ボランティアスタッフが子どもに勉強を教えたり、貧困層や移民が多い地域では就職説明会や面接指導に力を入れている。学術研究を支える図書館と庶民のための図書館、二つの機能の両立を多くの職員とボランティアが支えている。
 運営は徹底した「官民協働」だ。自治体の方針と整合性を取りつつ、自治体の機能を補完している。映画では予算についての議論が何度も登場する。財政をどう配分するかが、市に予算を要求する説得材料になる。「公立」ではなく「公共」にすることで民間の金と労働力を投入している。
 素晴らしい図書館だ。だがそれは、ニューヨークに立地し、国と国民に出資(世間では「奉仕」と言う)する財閥がいるから可能となる。アメリカでは景気が後退した90年代、地方の公立図書館が次々と閉鎖に追い込まれた。地域で優位性が決まる「公共」では、誰ひとり切り捨てない社会は実現できない。
 新自由主義の「選択と集中」では、いつ、利益追求に舵をきってもおかしくない。そんな状況でも理想の公共図書館を維持できるのは「図書館の自治」が確立しているからだ。それは図書館業務を担う労働者によって闘いとられた「図書館の権利」でもある。
 だが、民間企業の金で運営する以上、公共図書館の責務が変質しないとは言い切れない。図書館は社会保障だ。人は図書館によって文化的欲求を満たし、生きるのに必要な知識を取得する。これを無償で獲得する権利は自治体の責務で保障されなければならない。
 2015年、下関市は5年間の指定管理者制度で崩壊した中央図書館を市営に戻した。利益ありきの民営化では地域図書館は成り立たないと証明されたのだ。昨年、東京では練馬区立図書館専門員労組が、指定管理者=民営化拡大の撤回と区立図書館での雇用継続を求める「図書館司書のストライキ」を掲げて闘った。労働組合が軸になって地域図書館を守る闘いは、全国の公共図書館で働く労働者へ「共に立ち上がろう」というメッセージだ。公立図書館を取り戻す決起は始まっている。労働者と住民の連帯でわたしたちの図書館を守ろう!
(小國古都)

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