団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3092号04面04)(2019/12/09)


団結ひろば 投稿コーナー

牛久入管の実態学ぶ講演会
 東京 田崎 進

 11月22日、いのち守る!改憲・戦争阻止!大行進東京中部・南部の会第7回定例会が行われた。牛久入管収容所問題を考える会の田中喜美子さんを講師に、「隣にある人道危機、牛久入管収容所に面会行動を続けて」と題する生々しい報告を満席の会場で聞いた。
 悪名高い長崎県の大村入国管理センターとともに、世界に恥ずべき劣悪非道な長期収容の人権侵害を続けてやまないこの茨城県の、正式名称「東日本入国管理センター」(1993年12月開所)の実態がある。これまで新聞報道やテレビ番組などでは知りながら、何かしたいが手だてがわからず、長らく歯がゆい思いをしていただけに、絶好の機会と勇んで参加した。
 冒頭、11・3労働者集会に登壇して訴えた、日本人の妻と子を持つトルコ国籍のクルド人デニズ・イェンギンさんがその後、自ら予告したとおり再収容されたと聞かされ、一気に話に引き込まれる。収容所の所在場所の遠景近景にはじまり、ブロックと呼ばれる収容房と5人部屋が割り振られた平面図や生活の諸設備、起床から照明を常につけたままの就寝までの日課、痩せ切った命がけのハンスト者への仮放免を体重の減り具合により決める場となる、医師や刑務官のいる診察室の図、さらに国籍別収容者の人数などが、写真画像、収容者の手になるイラスト、図表などを示しながらわかりやすく解説された。
 休憩後の質疑応答では、難民と移民の法的定義の違い、仮放免された人への保障、日本人の配偶者がいても収容されるのはなぜかなど、活発に質問が出た。
 この講演を聴くことにより、私たちにできる彼らへの国際連帯の最速の第一歩は、何はさておき賛同カンパをすることに尽きると確認し、また多くの疑問を解消することができた。

中曽根康弘は地獄に行け!
 群馬  清水彰二

 中曽根康弘が死んだ。101歳。1918年、高崎市末広町に生まれ、旧制高崎中学(現高崎高校)を卒業して、東京帝国大学→内務省→海軍主計士官。戦争中は軍隊慰安所の設置に積極的に関わり、「慰安婦の調達」までしていたという。
 1945年8月6日、広島に落とされた原爆のキノコ雲を見て、日本の核武装の志を抱く。戦後は内務省に戻り、衆議院議員になる。日本の「原子力」開発の先頭に立った。
 1982年に内閣総理大臣となり、戦後政治の総決算をかかげて、軍事大国化と改憲=悲願の「自主憲法制定」に向けて、日本の政治と社会の右傾化に大きく舵を切った。その最大の焦点は、国鉄分割・民営化だった。それから日本は、新自由主義の嵐の中で、規制緩和=規制撤廃と、民営化の嵐に見舞われる一方、労働者は非正規化と労働組合の御用化によって、弱肉強食の蹴落とし合いに突き落とされた。国鉄分割・民営化の過程で自殺した職員は200人をこえた。中曽根の政治によって殺された労働者民衆は数え切れない。
 しかし日本の労働者民衆から闘いを一掃することはできなかった。動労千葉の闘いが国鉄分割・民営化に30年にわたって破産を突きつけ、今労働者民衆の怒りは、安倍を打倒しようとしている。高崎には、タカキンが立ちはだかっている。
 中曽根は101歳まで生きたが、ついに「自主憲法制定」を目にすることなく死んだ。ざまぁみろ。地獄に行け。
 タカキンは高崎の地で、いつまでも中曽根の亡霊の前に立ちはだかる。
(高崎金曜行動のブログから抜粋しました)

訪韓闘争で国際連帯を実感
 東京 N

 今回初めて訪韓闘争に加わり、11・9民主労総全国労働者大会に参加し闘争現場を訪問しました。労働者大会では、会場となった大通りが大勢の人で埋め尽くされ、その規模と組織された労働者に驚きました。発言者の言葉が直接伝わらないもどかしさはありましたが、その熱意は十分に伝わってきました。
 トルゲート(高速道路料金所)闘争の籠城(ろうじょう)現場では、女性労働者が道路公社の非正規職化攻撃に対し、「私たちは楽しく闘っている。勝利するまで闘う」と訴えました。記念撮影後、一人ひとりの胸にバッジを付けていただき、温かい歓迎を受けました。世宗(セジョン)ホテル前での解雇撤回闘争現場では抗議のプラカードを一緒に掲げ、全員でインターナショナルを斉唱し団結を深めました。
 また、今年オープンした全泰壱(チョンテイル)記念館では、全泰壱の生い立ちから、過酷な労働現場の様子、焼身自殺の際に手にしていた労働基準法の解説書などが展示されていて、その生涯と壮絶な闘いをたどることができました。労働者大会のタイトルに「100万人のチョンテイル」とあるように、彼の「生きさせろ!」という叫びが、韓国の労働者の心に火を付けたのだと思います。彼が生涯を閉じたのは1970年ですから、まだまだ最近のことです。資本主義の搾取が続くかぎり、韓国や日本だけでなく多くの国で、チョンテイルが従事したような過酷な労働現場が生まれていることを忘れてはならないと思います。
 訪韓の前後に、日本に来ていた韓国人大学生と交流することができました。彼は高校生(!)で労働者大会に参加したそうです。また日本か韓国で再会できることを期待したいです。

国際武器見本市に怒りの拳
 千葉 吉村 南

 11月18日から20日まで国際武器見本市が千葉市の幕張メッセで開催された。海浜幕張駅前では3日間の抗議スタンディングが継続された。18日は正午から会場前で大抗議アピールが行われたので参加した。
 国会議員、見本市が隔年で開催されているロンドンからのアピールの後、地元の看護師が「命を救う私たちは武器の製造や輸出に反対する」と訴えた。韓国の市民団体のアピール、人間の鎖、ダイインなど1時間の抗議行動でした。
 武器見本市は2年に1度の世界最大級のもので、ここまで大規模なのは今回が初めて。国内外企業約150社が出展している。安倍政権は武器輸出三原則を撤廃し、「防衛装備移転三原則」として「死の商人」を募っている。私たちは三菱重工や川崎重工などで働く労働者と戦争反対の闘いをどうつくるかを問われていると感じました。

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