大坂同志は無実だ! 沖縄の怒りに応えて闘った 大坂正明同志の無罪奪還へ(1) 星野同志と共に71年闘争に立つ

週刊『前進』04頁(3124号04面01)(2020/04/13)


大坂同志は無実だ!
 沖縄の怒りに応えて闘った
 大坂正明同志の無罪奪還へ(1)
 星野同志と共に71年闘争に立つ

(写真 沖縄返還協定批准阻止へ全軍労を先頭に決起した1971年11・10ゼネスト【沖縄・那覇市】)


 1971年11月沖縄闘争を闘い、「殺人罪」をでっち上げられ指名手配攻撃と46年にわたり闘いぬいてきた大坂正明同志が逮捕されてから3年が経とうとしている。裁判は、4月13日に予定されていた第3回公判前整理手続は延期されたが、国家権力との激突・大攻防となっている。大坂同志は無実だ。大坂同志の無罪奪還に向け、大運動をつくり出そう。今号から5回にわたり連載する。

基地おしつける協定に反対

 大坂同志が星野文昭同志らとともに闘いぬいた「1971年11・14沖縄闘争」はどんな闘いだったのか。
 第2次大戦末期、沖縄は「国体(天皇制)護持」のために本土防衛の捨て石とされた。上陸した米軍と日本軍の地上戦―沖縄戦は鉄の暴風と呼ばれ、県民の4人に1人が殺された。戦後は、自らの戦争責任を逃れるために沖縄を売り渡す「天皇メッセージ」で、米軍統治下に置かれた。そして、〝銃剣とブルドーザー〟で土地を奪われ、沖縄は基地の島とされた。
 度重なる米軍による犯罪、事件、事故は裁かれることなく平和も人権も保障されない現実。沖縄の人々の「なんとしても現状を変えたい」という願いは、1960年の祖国復帰協議会の結成、61年4月28日の復帰要求県民大会への10万人決起、62年には琉球立法院が「施政権返還に関する要請決議」を全会一致で可決するというかたちで力強く闘われ発展した。運動の高まりの中、68年には初の主席公選が実施され、革新共闘が勝利。こうした沖縄県民の「即時無条件全面返還」の要求をペテン的にねじ曲げ、日米両政府が69年11月に打ち出したのが核・米軍基地つきの「72年沖縄返還」合意(71年6月協定調印)だった。
 ペテン的返還協定の内容が明らかになるや、一気に怒りが爆発した。時はベトナム戦争末期。最前線の出撃拠点だった沖縄米軍基地の撤去は、戦争を憎み平和を希求する沖縄労働者・民衆の悲願だった。
 階級激突は一気に加速した。70年12月のコザ暴動、71年5月の「調印反対」ゼネスト、「基地撤去、解雇撤回」を掲げる全軍労(全沖縄軍労働組合、米軍基地で働く労働者の組合)を中心とした労働組合の闘い。11月10日の2度目のゼネストと批准反対県民総決起大会は、鎮圧に駆り出された機動隊員が1人死亡するなど、国家権力との全面激突として闘いぬかれた。
 沖縄の闘いに呼応する本土の労働者階級の闘いもまた、各所で燃え上がっていた。政府は沖縄返還協定の批准をめぐる「沖縄国会」が労働者・民衆の怒りに包囲される中、11月17日、琉球政府の「復帰措置に関する建議書」を携えた屋良朝苗主席の国会到着直前に衆院特別委員会の審議を打ち切り、返還協定の批准を強行採決した。沖縄の声は完全に無視された。

〝本土での闘いは私の誇り〟

 大坂同志は第3回公判前整理手続に向けて作成した意見書で次のように訴えている。
 「私たちの50年前の闘いとは、沖縄返還協定の批准に反対するものでした。沖縄県民の『核抜き・本土なみ』という切実な願いを踏みにじり、日米両政府は基地を沖縄に集中し、基地機能を強化するために本土復帰を強行しました。本土政府の沖縄に対する差別・抑圧政策は、現在もなお続いています。それは辺野古新基地建設に象徴的に表れています。こうした政府に対する沖縄県民の怒りに応え本土での闘いに参加したことは私の誇りであり、恥じたり悔いたりすることは一片もありません。政府がなすべきことは強権的な基地建設を撤回することです。理不尽な政策を続ける政府には、沖縄の闘いを裁く資格などありません」
 星野文昭同志は、大坂同志が参加した11・14渋谷闘争をデモ隊のリーダーとして闘い「殺人罪」をでっち上げられた。無期懲役の判決に屈することなく、獄中から無実を訴え続けた。44年間も獄中に囚(とら)われながらも、その心は一貫して沖縄の労働者民衆に寄り添い続けた。
 星野同志は昨年5月30日、肝臓がんを放置された末に獄死した。だが同志が生涯をかけて訴えた「すべての人間が人間らしく生きられる社会」を目指す闘いは今、家族・暁子さんらを申立人とする国家賠償請求訴訟の闘いとともに、大坂同志に引き継がれた。これは沖縄闘争の正義性を貫く裁判だ。国家権力のでっち上げを全面的に暴き、星野同志が生涯をかけた闘いをさらに全面的に発展させる裁判だ。その勝利は星野同志の再審無罪に直結する。
 獄に囚われ、裁判という権力との全面激突の戦場にあって大坂同志は、「私の裁判は、あくまで沖縄県民の闘いとともにあります」と宣言し、「私は無実だ」と断固として訴え続けている。大坂同志とともに闘い、大坂同志を必ず生きて取り戻そう。

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▼大坂正明同志 1971年11・14渋谷暴動闘争戦士。殺人罪をでっち上げられ指名手配46年の上、2017年5月18日不当逮捕、起訴された。東京拘置所在監。70歳。

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