団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3159号04面01)(2020/08/31)


団結ひろば 投稿コーナー

8・6―8・9の行動に参加して

平和を実現するのは私たち
 首都圏・学生宮沢 梓

 被爆から75年が経った今年、私は初めて8・6ヒロシマ大行動に参加しました。2日間の行動の中で特に印象的だったのは、平和記念資料館に行ったことです。1枚1枚の写真に、絵画に、詩に、原爆の残酷さがうつしだされていました。どれを見ても、あの日まで確かに生きていた人の命が、本当に一瞬にして奪われてしまったのだということが分かります。涙が止まらなかったです。「水がほしい」と言って母親を待ちながら死んでいった少女の姿が、脳内にこびりついて離れません。核兵器の恐ろしさを改めて実感しました。そして、これは今を生きる私自身の問題でもあるのだと思いました。
 現在、安倍政権は、憲法9条を脅かし、核武装への道を進もうとしています。戦争は、「もう終わった悲惨な歴史の1ページ」なんかではありませんでした。戦争は、私のすぐそばにまで迫ってきていたのです。同時に、うわべだけの空虚な「平和」や「慰霊」をうたう安倍や松井市長に対する怒りが湧いてきました。
 朝の集会で聞いた、「戦争を始めるのは資本家だが、戦争を終わらせるのは労働者だ」という言葉がとても心に残っています。二度とあの日の惨禍を繰り返さないために必要なのは権力者たちの祈りではなく、労働者人民の怒りです。
 私たちの手で平和をつかみ取るために、そしてそれを決して離さないために、これからも反戦・反核を訴え続けていかなければいけないと思いました。

痛快だった「安倍は帰れ!」
 首都圏・学生 A

 8・6ヒロシマ大行動に首都圏から参加しました。コロナでなかなか長距離の移動のリスクが高い中、それでも全国から万全の対策を講じながら大勢の仲間が結集していて、気持ちもたかぶりました。とんでもなく暑い中、デモに参加されたみなさん、お疲れ様でした。
 今年の8・6は、やはり安倍政権の戦争準備政策への真っ向からの反対、という意義が特に大きかったと思います。7月にはイージス・アショアが粉砕されたやけくそで、「敵基地攻撃能力」(のちに「相手領域内でのミサイル発射阻止能力」と言い換え)を公然と肯定しだしました。核兵器禁止条約にも批准しないし、これは8・6後ですが、敗戦記念日の戦没者追悼式では、例年通り加害責任には触れない代わりに「積極的平和主義」という言葉を初めて使いました。まるで漫画に書いたような「戦争したい人」のムーブです。
 こういう人物がいまだに政権の座にいること、彼がどんな犠牲を払ってでも改憲を達成しようとしていること、そして改憲を阻止する闘いが安倍政権時代に始まったことではなく戦後75年間ずっと闘われてきた〝社会変革のための〟闘いであるということ。これらの事実を前にして、8・6に「ただ黙って祈る」ことがどれだけナンセンスかは誰の目にも明らかでしょう。
 朝の平和記念式典では、安倍のあいさつの時間に合わせて、平和公園の川を挟んだ隣の道からデモ隊が大音量で「核武装狙う安倍は帰れ」の声を浴びせました。痛快でした。

勇気づけられた同世代の声
 関西・学生 S・D

 気候変動や緊張する国際関係、世界的な格差の拡大などがニュースで取り上げられるたびに、私は未来が徐々に失われていくような気がして底知れぬ閉塞(へいそく)感を抱いていた。恐らくこの閉塞感は同時代人の多くが抱いているものと思われるが、皆、自分の力でどうにか生き抜くしかないと現状を受け入れており、自分自身諦めがあった。
 しかし、8・6ヒロシマ大行動に参加して、同じ問題意識を持つ全国の同世代の若者が声をあげるために集まっているという事実を知り、大変勇気づけられた。現に存在する社会は変わらない、変えられないなんてことはないんじゃないかとさえ思えた。
 ただ静かに祈っているだけで平和が実現されるのなら、世界はとっくに変わっているだろう。しかし、現実はそうはなっていない。
 支配階級の特殊意思ではなく、一般意志が実現されるための、真の政治参加を自分たちの手に取り戻すために、とにかく集まって声をあげることが重要なんだと強く実感した。

戦争は過去ではないと実感
 東京大学 松木 進

 8・6ヒロシマ大行動参加は3回目でしたが、今年はとても印象的でした。
 8月5日、市内の戦跡めぐりに行きました。広島が軍事的要所だったとは聞いたことがありましたが、実際にその遺構を見たのは初めてです。広島が東の東京と対をなす西の軍事中心地として、司令部機能、軍需物資製造、出撃などの役割を負っていた痕跡を目の当たりにして、広島が原爆による犠牲の象徴であると同時に、19世紀末以来の侵略戦争の加害の象徴でもあると実感しました。
 話を聞いたり物を見たりする中で驚いたのは、戦争を遂行した天皇、中曽根、元軍人などが戦争を反省するふりすらせず、公然と戦争被害者を踏みにじる碑を立てるなどの言動をしていたことです。
 6日朝、例年の絶叫する右翼集団の代わりに喪服でプラカードを首に下げた集団が原爆ドーム前にいました。なんでも「祈りの日」だから「政治主張をするな」という政治主張らしいですが、私たちの集会の中を歩き回る喪服プラカードの一人が「(核廃絶は)北朝鮮に言え!」と叫んでいて驚きました。別の一人は集会参加者にカメラを向けた挙句、私の靴に足をぶつけてきました。人をどつく者も。これが祈りですか。
 一連の行動を通じて、75年間民衆の敵は眠らなかったのだと、戦争は過去ではないのだと感じました。
 声をあげること、戦争をもくろむ安倍自民党政権を倒すこと、それが原爆で殺された広島市民、戦争で殺されたアジア人民のためにできる、すべきことです。

反戦反核の圧殺は言語道断
 京都大学 みかん

 お誘いで、初めて8・6ヒロシマ大行動に参加した。テレビで見て、8月6日に何やらデモを行っているということを知ってはいたが、マスコミの扱い方は否定的なものが多く、私も平和式典のときくらい静かにすればいいのにと思っていたところがある。
 デモや集会に参加するうちに、8月6日に行動する意味を感じた。
 あらかじめ断っておくと、私自身は反戦、反核という大きな方針には賛成だが、一から十まで賛同しているわけではない。例えば日本の核兵器禁止条約批准に関しては、現実問題として岸田元外相が言っていたように、保有国との対立を深める可能性は考慮せねばならないし、また一方で条約批准と核禁条約は矛盾しないという指摘もある。しかし、これらは議論するべき問題で、反戦や反核という声を圧殺するのは非民主主義的であり言語道断である。
 冷静に考えてみれば、8月6日のあり方として、被爆者への慰霊と、被爆者の思いを汲んで未来のために反戦、反核を訴えることは全く背反ではなく、両立可能である。それをあたかも二項対立であるかのように見せかけ、本来同じ願いであるはずの広島市民や平和を願う人々を分裂させる安倍政権やそのイヌたちのやり方には断固反対だ。その思いをこめてシュプレヒコールを叫んだ。

裾野の広がり感じた大行動
 京都大学 Y

 今夏、私は自身4度目の広島闘争と初めての長崎闘争に参加しました。
 広島では、拡声器規制条例の議論の中で、良くも悪くもヒロシマ大行動への社会的注目度が年々高まり、同時に同団体の裾野が広がっていることも感じました。米中対立が激化し、核兵器使用が目前に迫るなか、反戦反核の訴えはますます必要とされています。
 今回の闘争で、平和式典の目的を慰霊に絞ろうという日帝支配階級とそれに追随する右翼の思惑を見事粉砕し、全ての核を葬り去る方向へ前進できたと感じます。
 長崎では、朝鮮人被爆者の問題など、日帝がアジア人民に対して行った戦争犯罪について理解を深めることができました。
 原爆は、その被害ばかり強調されがちですが、加害にも目を向けなければ、戦争は繰り返されます。私たち労働者階級も、日帝の加害に加担してしまったことを認め、だからこそ戦争を止め、ひいては戦争の原因となる資本主義を打倒する使命を果たさなければならないと感じました。

「黒い雨」で思い出したこと
 「前進」読者 黒田 勇

 戦争を知らない日本人が大半を占める世代となった今の世の中、今年も暑い夏がやってきました。広島のあの時も今年のように暑かったでしょう。
 7月の下旬、「黒い雨」裁判で判決があり、行政側が控訴したけれども、戦争は決して起こしてはならず、してはならない。このことを誓った75年前を忘れたのか? 日本人。中には戦争をしようと、戦争のできる日本につくり直そうとしている人がいる。
 この「黒い雨」で思い出したことがある。遠洋マグロ漁船・第五福竜丸事件(1954年)のことだ。
 ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験。この時、付近で操業していた漁船のデッキに、放射能を含んだ煤(すす)が落ちてきた。南の島に「黒い雪」が降ったと当時言っていた。この海域はマグロ漁の本場である。ほかにも日本のたくさんの船が操業していたけれど、それらの船のことについては調査もされていない。政治的な操作があったかもしれない。「原爆マグロ」と言われた。売れないし、買ってもらえない。
 この事件が起きてから3〜4年たって私も漁船員になりミクロネシア海域で操業したが、漁獲したマグロを水揚げした市場で「原爆マグロ」と言われた記憶がある。東京築地、焼津、四国を起点に出航していた。
 赤道付近のパラオのコロールは戦前、日本では「南洋庁」と言われ、日本風の街並みができていた。近くに日本兵が玉砕したぺリリュー島があった。
 第五福竜丸事件ののち、60年安保闘争、星野さん、大坂さんらが闘った70年安保闘争・学生運動が活発に行われるようになっていった。星野さん、大坂さんのえん罪を晴らすべく運動を続けていこう。

団結して労資関係の逆転を
 合同労組かながわ川崎支部 竹内 悟

 私はJR貨物の門前で、定期的に日刊動労千葉を配っています。当初はJR総連・日貨労の役員が出てきて妨害しました。職場のロッカールームまで入ってきて労働者に「受け取るな」と恫喝しましたが、効き目はありませんでした。
 今度は新任の所長が「門前でまいているチラシは受け取らないように」と朝礼で訓示した結果、受け取りが4分の1に激減しました。それでも構内からわざわざもらいに来る人や、麦茶を差し入れてくれる労働者もいます。敷地外でまいているビラを受け取るか否か、所長に言われる筋合いではないのですが、所長は法律があろうとなかろうと、ごり押ししてきます。これに対して労働者はなかなか声をあげることができません。ここに今の社会のしくみが見えてきます。
 労働者は生活のために毎日出勤しなければなりませんが、資本家にとっては労働力だけが欲しい、人間的な部分はいらない。この緊張関係・対立関係が社会を動かしていると思います。ここを労働者の団結で逆転させることが社会変革の核心だと思います。
 まともなコロナ対策をやらない安倍首相が、敵基地攻撃能力保有については目をぎらつかせて論じました(8・6広島会見)。職場の力関係の転換にとことんこだわることで、改憲阻止闘争ももっと大きく発展するのではないでしょうか。

新幹線清掃2分短縮の意味
 東京 田宮龍一

 東海道新幹線で、東京駅での1時間あたりの「のぞみ」発車本数が、ピーク時で10本から12本に増やされる。コロナ危機の下で「密を避けるため」との口実で8月7日から施行された。それに伴い、東京駅折り返し時の車内清掃時間が12分から10分に短縮された。この2分削減は、労働者を限界まで追い詰める過密労働を意味する。
 かつてJR東海グループの「新幹線メンテナンス東海」で働いていたAさんから聞いた話を紹介する。
 列車がホームに入ってくると、ピンク色の制服を着た労働者たちが頭を下げて迎え、乗客を降ろした上で車内に一斉突撃する。重い座席を次々と回転させながら、背もたれカバーを瞬時に交換し、濡れを検知する特殊ほうきで座席を掃き、床を磨く。秒単位で極限的に連携化・効率化された動きでそれらをやり遂げ、新大阪・博多方面行きの列車に仕立てる。その名人芸のような働きが「奇跡」ともてはやされてきた。
 だが本当にキツい仕事だ。秒速の清掃作業そのものが過酷な上に、次から次へと到着する新幹線に対応するため、頻繁に階段を昇降しホームからホームへ移動する。早番・遅番のシフトはランダムに組まれて、帰宅22時の翌朝6時に家を出ることも珍しくない。休日を申請しても通るのはまれ。そうした厳しさも「世界に誇る新幹線を滞りなく走らせる」との使命感で正当化される。時給は最低賃金を多少上回る程度で、大抵の人は非正規職のまま数年以内にやめていく。体を壊す人も少なくない。労組は会社の言いなり。
 「掃除2分短縮」は数年前から画策され、「これ以上どうしろと言うのか」「私たちを殺す気か」という憤まんが渦巻いていた。
 闘う労働組合が本当に必要であることを痛感する。

伴祐次郎同志を追悼する
 動労西日本執行委員 野口照生

 伴祐次郎同志が3月15日、腎不全で急逝した。享年61。心から哀悼の意を表したい。8月6日夜、広島市内で開かれた広島大学OB・OGと学生の懇親会で遺骨を前にして献杯した。
 彼は岡山県笠岡市出身。1977年広島大学政経学部法律学科に入学。マル学同中核派、革共同に結集して、当時全世界的な盛り上がりを見せていた反核運動の先頭に立った。
 その一方、動労千葉が全国に呼びかけていた「動労大改革運動」に応えようと、国鉄最後の82年度の新規採用試験を、出身地の岡山鉄道管理局で受験した。しかし、大学在籍中だったため、「受験資格なし」とされ不合格になった。彼がもし合格して国鉄労働者になっていたら、動労西日本結成に参加していたに違いない。歴史に「もし」はないが、時々夢に見ることがある。
 彼はその後、広島大学学生運動の先頭に立ち、今日の広島大学学生運動の礎(いしずえ)を築いた。
 闘いの場を労働戦線に移した後は、広島県労働組合交流センターの事務局員になる。1996年4月、動労西日本が広島市内に今の本部事務所を開設したときには、その事務所に私と同居して活動を共にした。その後、活動の場を東京に移した。
 しかし、持病の糖尿病が悪化し、闘病生活に入る。闘病中であっても、全国労働者集会などには必ず参加した。また、広島市内で人工透析ができる病院を捜して治療しながら「8・6ヒロシマ大行動」には毎年参加していた。彼は最後まで「労働者解放・革命勝利」を願い、その思いを胸に抱いて旅立った。
 彼の遺志を継いで、闘う労働組合をよみがえらせ、「労働者解放・革命勝利」を実現することを誓う。

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