11・1に命守る大隊列を 医療と社会保障を取り戻す 革共同医療福祉労働者委員会

週刊『前進』04頁(3166号02面01)(2020/10/19)


11・1に命守る大隊列を
 医療と社会保障を取り戻す
 革共同医療福祉労働者委員会

(写真 5・1メーデー闘争に続き、11・1に白衣の医療労働者の大隊列を登場させよう)


 新型コロナウイルス感染症拡大情勢のもと、一時金大幅減額・無配をはじめ、あらゆる犠牲が医療・福祉のみならず全労働者に押し付けられることに対して、医療・福祉職場からついにストライキで反撃が始まった。われわれ医療・福祉労働者は、この闘いが切り開いた地平に学び、団結を拡大して11・1全国労働者総決起集会に攻め上っていく挑戦を開始している。

よみがえる職場実力闘争

 新型コロナ情勢の爆発は、今日の社会において医療が民営化・営利化に突き進み、社会保障としての医療が崩壊していることを暴き出した。こうした中で闘われた医療現場のストライキは何より、労働者が団結して闘えば攻撃をはね返すことができると示した。
 職場の生の声と真正面から切り結んで怒りを組織し、団結を固めてストライキまで上りつめるという原則的な職場闘争を背景にしたこの闘いは、全国・全世界の労働者民衆の心を揺さぶり激励した。この歴史的な闘いに続き、今こそ医労連傘下の17万人、そして800万人を超えると言われる医療・福祉労働者を丸ごと獲得することのできる勢力へと飛躍をかちとろう。
 医労連など既成の医療・福祉労働組合中央は、医療・福祉の民営化・営利化攻撃に屈服している。しかし現場には、新自由主義のもとで進む医療破壊への怒りと、「社会を回しているのは私たちだ!」という誇りがあふれている。
 11・1集会を出発点として、医療と社会保障の破壊を許さない医療・福祉労働者の闘いを大きく発展させよう。そのために戦後の医療労働者の闘いに迫り、真に継承するための道筋をはっきりさせよう。

戦後の医療労働運動引き継ごう

 医療労働者は、敗戦直後から1947年2・1ゼネストにまで上りつめる労働運動高揚期において闘いの中軸を担った歴史をもっている。反動期、沈滞期を経つつ様々な実力闘争を闘いぬき、60〜61年病院統一スト、68年ニッパチ闘争をはじめ、戦後労働運動史の中でも輝かしい闘いを繰り広げてきた。(別掲)
 いま、医労連中央を牛耳る日本共産党は、こうした戦後の医療労働者の実力闘争の本質をことごとく薄め、否定することに躍起になっている。資本主義の枠内で「よりよい看護」が可能であるかのような幻想をあおり、現場で闘うのではなく「中央闘争」や「請願」、選挙動員に一切を流し込んでいる。だが、現場には病院ストやニッパチ闘争を闘った先人たちの熱い魂が生き生きと脈打っている。だからこそ、コロナ情勢下でのストライキ決起に何よりも医労連傘下の労働者から圧倒的な共感が寄せられているのだ。ひとたび闘いが爆発すれば、医労連の中から中央を乗り越える現場労働者の決起が必ずや始まる。
 医労連17万人、そして全国の医療・福祉労働者を丸ごと医労連中央のくびきから解き放ち、医療と社会保障を本当に労働者階級の手に取り戻すために、われわれこそが本気で責任勢力として登場していくことだ。ここにこそ、ニッパチ闘争をはじめとする戦後の医療・福祉労働者の闘いのすべてを引き継いでいく核心がある。

医療は営利事業ではない

 新型コロナ情勢は、帝国主義最末期の新自由主義のもとで社会全体が破壊され、人間が人間として生きていくことすらできない状態になっていることを暴き出した。医療・福祉、介護、社会保障、教育、自治体、鉄道、官僚機構や企業組織まで、社会全体が崩壊と腐敗の極みにある。
 その最たるものが、新型コロナ感染の再爆発が必至となった情勢のもとで、東京都知事・小池がなお強行しようとしている都立病院独法化=医療のさらなる民営化攻撃にほかならない。都立・公社14病院の独立行政法人化の目的は、首切り自由の雇用や民間資金の導入、つまり資本へ病院を丸ごと売り渡すことだ。
 だが、そもそも都立病院、公的病院とはどういう存在だったのか。医療者や物資を集中的に投入しなければ成り立たない急性期医療のような「もうからない」医療、社会保障としての医療を労働者民衆の力でかちとってきたのだ。労働者民衆の生命と健康を守り、社会を成り立たせるためには切り捨ててはいけない領域を担ってきたのが都立病院であり、再編・統合が狙われている440病院をはじめとする全国の公立・公的病院だった。
 いわゆる「地方」だけでなく大都市圏においても、「コロナ情勢下でなぜ病院を統廃合するのか。医療を金もうけの道具にしていいのか」という声が必ず起こる。この声を組織する中心に、われわれ医療・福祉産別の労働組合が立とう。
 個別職場の団結を基礎に「医療を守る」「命を守る」という地域の団結の中心にすわるのが、医療・福祉産別の労働組合の役割だ。その挑戦は、八尾北医療センター労働組合を先頭にした地域医療を奪い返す闘いとして、関西で、そして全国で始まっている。

巨大な決起は必ず始まる

 改めて、国鉄・JR決戦を基軸に、「医療・福祉の民営化」と闘う路線と運動の中身を打ち立てよう。
 菅政権は「新型コロナ感染対策」の名のもとに、さらなる民営化と労組破壊に突き進もうとしている。支配階級は、もはやそれしか生き残るすべがない。
 この秋、4~6月期に1500億円超の赤字に転落したJR東日本をはじめ、あらゆる産別・職場でかつてない業績悪化が進み、その一切の犠牲を労働者階級に押し付ける攻撃が全面化してくる。コロナを口実とした解雇攻撃が激化する。とりわけ医療・福祉職場では、一時金の減額・無配、さらなる賃下げ、首切り、非正規職化攻撃として仕掛けられようとしている。
 だがこの攻撃は、医療・福祉労働者の怒りを解き放つ。「医療を社会保障として取り戻そう」のストライキが全国に広がる。徹底的に職場にこだわり組織化を進め、巨大な決起を切り開こう。
 敵の攻撃の根底性、そして新自由主義医療の破綻性ゆえに、これに対する労働者階級の根底的決起は絶対に巻き起こるのだ。それはすでに、世界中の医療現場で次々と始まっている。日本だけ、自分の職場だけは例外だということはありえない。
 11・1全国労働者総決起集会に向かって、最後まで全力を尽くしてあらゆる職場に入ろう。都立病院や公立・公的病院の労働者、医労連傘下の労働者、そして医療・福祉労働者全体を獲得する挑戦をやりぬこう。日比谷野音・銀座に白衣の大隊列を登場させよう。

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戦後医療労働運動に学ぶ
 病院統一ストとニッパチ闘争

 1945年の敗戦を機に労働運動の歴史的高揚が始まった。特に侵略戦争への協力を強いられた日本赤十字病院や国立病院・療養所を先頭に次々と労組が結成され、47年2・1ゼネストへ攻め上っていった。だが日本共産党の裏切りで挫折し、50年代にかけ闘いは後退を余儀なくされた。
 この時期、政府は国民皆保険制度の導入に向け医療の大合理化を図る。低医療費政策のもと「医療費が低いから医療労働者の賃金が上がらないのだ」というイデオロギーが医療労働者を支配し、賃上げ闘争は常に経営者である医師の診療報酬引き上げ運動に追随するあり方が一般的だった。
 60年8月、医労連の前身である日本医労協は「病院統一スト」方針を決定。「全職種一律3千円賃上げ」を掲げて勝利した10月の慈恵医大病院労組ストを先頭に、刑事弾圧を含む闘争破壊・組織破壊と対決し、翌61年3月まで全国で闘いぬかれた。この中で賃上げ闘争論を質的に転換させ、「賃金が低いから医療費が低いのだ」と、大幅賃上げ自体を産別統一要求とし闘争を組織していった。
 病院統一ストで打撃を受け、支配階級は一層の医療の合理化に突き進む。徹底した人員削減、不補充、准看護婦の増加や無資格者の導入を進め、医療事故、夜勤拡大による健康破壊が社会問題となった。夜勤制限を求める声が全国で起こり、65年に「夜勤は月8日以内・1人夜勤廃止」という人事院判定を引き出すものの一向に改善されない現場の状況に対して、新潟県立病院で「夜勤制限を実力で闘う」と宣言したのが「ニッパチ闘争」の始まりだ(68年2月)。組合ダイヤによる勤務表を組み、患者・地域を獲得して63時間の実力闘争を貫き「夜勤月8回・2~3人夜勤」を認めさせて全面勝利した。

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