団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3178号04面01)(2021/01/18)


団結ひろば 投稿コーナー

京大生の団活と決起に感動
 学生 宮沢 梓

 12月10日、京都大学の処分撤回集会に参加しました。
 準備のために初めて熊野寮に訪れたのですが、行ってすぐに寮の「自由」の空気に圧倒されてしまいました。様々な意見を持った学生が、誰も排除しようとすることなく討論し合う様子に驚きました。何よりすごいのは、そのような空気をつくり出したのは、紛れもない熊野寮生自身だということです。準備の過程を経て、彼らが勝ち取ってきた「自由」と「対話」を絶対に守り抜きたいという思いが一層強くなりました。
 集会には想像をはるかに超える数の学生が参加していました。学生も教員も皆、当局の分断支配に屈しなかったということです。そして、集まった学生の数の力と「絶対に負けない」という強い意志は、職員の弾圧をもはねのけました。
 処分を受けた学生たちが、神輿(みこし)の上に堂々と立って、演説をしたのです。あの時の広場は「解放区」でした。そして、「解放区」に立っていた京大生は、間違いなく大学の主人公でした。本当にうれしかったです。この日ほど団結の力を実感したことはありません。「一人のために」「皆のために」学生が力を合わせれば、弾圧も処分もひっくり返すことができるんだと思いました。
 多くの苦悩と葛藤の中で集会に参加した処分者の皆さんの決起に、実践で応えたいです。京大のような闘いを全国に拡大していくことが求められています。今こそ学生は団結しよう。

黒い雨訴訟判決巡り講演会
 広島大学 A

 12月13日、元広島大学原爆放射線医科学研究所・大瀧慈(おおたきめぐ)先生の講演会が広島市内で行われました。NAZENヒロシマが主催し、約60人が集まりました。
 講演を聞いて、「黒い雨」訴訟の結果は科学的にも政治的にも大きな意義があると改めて実感しました。これまでの研究と国の見解の基本的な立場・対応は、内部被曝は無いか、あるとしても低線量被曝として扱うもので、こうした態度に被爆者はずっと苦しめられつつも闘い続けてきました。
 訴訟人の一人である研究者の大瀧さんは様々なデータを基にして、内部被曝が決して軽視できないものであること、それどころか場合によっては直接被曝よりも悪質な被曝になりうることを指摘し、これまでの国や研究のあり方に対して科学的知見から反駁(はんばく)しました。その研究結果と被曝の問題に長年取り組んでこられた被爆者その他の原告訴訟団のみなさんの不屈の闘いとが結びつくことで、今回、第一審での画期的判決を勝ち取ることができたのだと思います。
 この判決を受けて、早速広島では、被曝したと言っても「うそだ」と言われるのを恐れ、これまで黙らされてきた人たちが、被曝経験を告白し始めていると聞きました。
 しかし、この判決の意義は広島にのみとどまるものではないと思います。国や科学者が事実ではなく自身の立場を優先することで、同じく苦しめられてきた福島の被曝者にも、この判決は勇気を与えるはずです。「黒い雨」訴訟で勝ち取った結果を足場に、広島・福島が共に国や科学者のゆがんだあり方を正していく闘いに、自分も助力したいと思いました。

サンケン本社に抗議のデモ
 群馬 清水彰二

(写真 サンケン本社に抗議【12月20日 埼玉県新座市】)

 12月20日、埼玉県新座市にあるサンケン本社に対して、韓国子会社解散・全員解雇の組合つぶしと不退転で闘う韓国サンケン労組との連帯をかけて、旭非正規職支会支援共闘会議の仲間8人が抗議デモを闘った。
 3年前に来日して「解雇撤回まで帰らない!」と社長宅前に座り込んで勝利したサンケン労組に対し、サンケンはコロナに便乗して韓国法人の解散・全員解雇を通告! 1月20日には決定が下されようとしている。
 サンケン労組は来日できない。彼らの怒り・悔しさを我がものとして、サンケン電機資本と対決して勝利できるのか......。日本の労働者階級として、どのように連帯するのかが問われている。
 旭非正規職支会支援共闘会議は、東京駅丸の内北口向かいにあるAGC本社に対して繰り返し抗議行動を重ねてきた。
 旭支会に対して十分な支援ができているとは言えないが、彼らの怒り・息づかいを身近なものとして共有し、日韓の国際連帯のためにしっかりと行動しなければならないと闘ってきた。しかし、それは旭支会の問題だけやっていればいいということではない。国際連帯という強い武器を手にして、日本の労働組合の狭い枠を取り外さなければならない。みなさん、全力でがんばりましょう。

9条を壊す敵基地攻撃能力
 改憲・戦争阻止!大行進東京東部実行委員会 A

 改憲・戦争阻止!大行進東京東部実行委員会は11月27日、気鋭の論客である水樹豊さんを講師に迎え、「改憲と敵基地攻撃能力」をテーマに第14回憲法講座を開催しました。
 水樹さんは、米大統領選挙を切り口に、米国の新たな軍事戦略を解説し、その中では核による先制攻撃もが想定されていることを暴露しました。
 また、日本の安全保障戦略は米国との関係で決まるため、米国がどういう戦略をとるのかを見なければならないとした上で、バイデン新政権がトランプに引き続いて対中対決政策をとることは不可避であること、その先に米中軍事衝突―米中戦争がきわめて現実味を帯び急切迫してくると指摘しました。
 そして、日本の敵基地攻撃能力の保有は、米国の対中国シフトと連動して、米軍の先制攻撃作戦に積極的に加担するためのものであり、戦後の日本の安全保障戦略を原理的に転換するものだと喝破しました。
 さらに、敵基地攻撃は現実には不可能かつ国際法違反の先制攻撃であることを明らかにし、過去の政府答弁を引用して、敵基地攻撃能力の保有は憲法9条からしても法理的に許されないと断じました。
 参加者との質疑で水樹さんは、「軍事というのは抽象化せずに具体的なことを見ていくとよくわかる」と語りました。
 そして、「敵基地攻撃能力を自衛隊に持たせる予算をつけて、現実と憲法が乖離(かいり)しているということを主張し、改憲に結びつけるのが菅政権の戦略」だとし、「戦争に絶対反対だというのであれば、自分の国の政府が何をやっているのかを見なければならない。それぞれの国の民衆がそれぞれの国の政府に立ち向かう以外に戦争を止めることはできない」と強調されました。
 反戦の核心に触れる講座でした。

相模原の映画「戦車闘争」
 大石勢津子

 ドキュメンタリー映画「戦車闘争」(監督/辻豊史、2020年製作、104分)のチラシには、「ベトナム戦争終盤を迎えていた1972年、アメリカ軍は破損した戦車を神奈川県相模原市の相模総合補給廠(ほきゅうしょう)で修理し、再び戦地に送るべく横浜ノースドックへ輸送していた。それを知って憤った市民がノースドック手前で座り込みを敢行、戦車の輸送は断念された」とあります。延べ7500人が参加したそうです。
 当時私は入社3年目で、組合役員ではありませんでしたが、職場の移転反対闘争のために組合執行部に会社との折衝の方針を出し、退社後は山手線のホームに結集して、相模総合補給廠のある京王線橋本駅まで行き、デモに参加していました。機動隊の暴行を受けてあざだらけで翌日出社し、前日の会社との折衝の結果をチェックして、夕方に方針を執行部に伝えて、またデモに行く毎日でした。
 当時の思い出としては、機動隊やカクマルとの激しいぶつかりあいの印象ばかりで、テント村についての記憶が全くありません。相模原闘争とは何だったのかを確認するために、この映画を見てみました。
 映画の前半は証人たちの回想であり、後半は日米安保のもっている意味、とりわけ岸信介から安倍晋三に至る、意味の変遷について語られています。
 リラン・バクレー氏が三沢基地の攻撃機がシリア、ヨルダンまで行って空爆をしている事実を暴露していたことに私の無知を感じました。

菅のNHK国営化許さない
 元NHK出版労働者 金井 淳

 菅義偉首相と元警備・公安警察のトップ杉田和博副官房長官は、NHKの国営化を画策しています。
 Eテレ、NHKスペシャル、NHKニュース21、NHKニュースおはよう日本、ラジオ第二放送、BSプレミアムを潰し、NHKテレビ(地上波)とBS1、ラジオ第一放送、NHKラジオFM、そして国際放送を残す。Eテレとラジオ第二放送はさまざまな語学学習番組を提供し、テキストも出版しています。その他、日常生活に役立つ講座、料理、婦人に関するものを扱うメディアミックスです。これが全部なくなる。
 菅と杉田は、テレビとラジオと国際放送を1本化し国営にすることを狙っています。これと引き替えにわずかな受信料値下げを行うのです。
 「クローズアップ現代」から国谷裕子さんを降板させた板野裕爾を2019年に専務理事に復帰させたのは菅官房長官(当時)です。そして杉田が番組を監視チェックする(日本学術会議と同じ)。
 菅はNHK関連会社を統合しようとしています。ターゲットの一つはNHK出版の解体です。NHK出版は1930年のラジオ放送開始から1年後に講談社と取次店の協力で設立されました。語学、趣味などのテキストを始め、NHKブックス、NHK新書(安倍政権批判、治安維持法・共謀罪批判、近代史関連を扱うなど、比較的リベラル)を出版してきました。
 社員のリストラが懸念されます。OB会と組合は抗議行動を起こすと考えられます。
 黒幕は人材派遣大手パソナ会長の竹中平蔵、お先棒を担ぐのは部下で内閣官房参与の高橋洋一です。高橋は09年に窃盗罪で書類送検されています。高級腕時計と5万円を盗みましたが、検察との手打ちで書類送検におさめました。
 現在、NHK福祉文化部、社会部、出版労組は抵抗し頑張っています。史上最悪の菅独裁政権を打倒しましょう。

武委員長の力強さを学んだ
 出版労働者 大島健一

  「月刊労働運動」11月号の関西生コン支部・武建一委員長の鼎談(ていだん)を感動して読んだ。度重なる逮捕、1年9カ月もの長期勾留に負けない力強いお話ぶりにすごいなと思った。
 特に興味深く読んだのは「幹部活動の指針14項目」。武委員長の波瀾(はらん)万丈な闘争歴を想像させる、どれも味わい深い闘争訓です。そのひとつに幹部が守るべき作風として「絶えず行動の先頭に立ち、耳は大きく、口は小さく」というのがある。人の話はよく聞け、偉ぶったことは言うなということでしょうか。この人にとって謙虚さと剛胆さとは一つのことだと思いました。
 武委員長は、闘いを自己犠牲ではなく、労働者の当然の行為、むしろ社会的役割ととらえている。団結と連帯とが揺るぎのない精神的主柱になっている。一人だけではないというこの団結と連帯への階級的自覚が何ものにも負けない強さの秘訣(ひけつ)であると思いました。
 武委員長は、経済闘争、政治闘争、思想闘争の三つを一体のものとして学ぶことを力説する。闘いは労働者としての感性、想像力を育む源泉。そこでこそよく学んで得た知識は何倍にも生かされると闘争と学習との一体性を強調される。思想闘争の重視も関生労組の強さを生みだしている。熱烈さと冷静さ、「鳥の目と虫の目」を合わせもつ堅固さは、しっかりとした基礎活動に裏打ちされたものであることを鼎談から学びました。関生への大弾圧に改めて怒りをもちました。
 反撃が始まったとの報にこぶしを握りしめました。共に闘っていきたい、大切なものを得られるにちがいない、生み出すにちがいないと思いました。関生と動労千葉、港合同との3労組共闘に心から期待し、そのために飛躍をかけて活動したい。

国のJR支援、合理化が狙い
 国鉄全国運動・徳島 S

 国は、JR北海道、四国、貨物に2500億円の支援を発表した。コロナのなかで、「地域交通のインフラ維持」のためという。JR連合は「政労使一体の成果」と自画自賛した。しかし内実は、「省力化、省人化」「債務の株式化」を強調する合理化攻撃だ。「廃線跡地の引き取り」まで表明している。
 そもそもコロナ以前は、JR本州3社が年間で1兆3000億円(2018年)の黒字を続けてきた。この黒字には、国鉄の枠なら地方の生活路線の整備に回されるはずの財源も含まれている。それなのに、コロナにかこつけて国交大臣が「少なくない額だ。各社頑張ってほしい」と恩着せがましく2500億円を「支援だ」と強弁する。
 一方、JR四国の社長は平身低頭5年間の中期経営計画を発表した。「運賃値上げ」「ワンマン拡大」「多度津工場の近代化」、高松駅・松山駅再開発、ホテル・マンション経営、大学誘致。
 この資金注入は、まさに、「地域交通のインフラ維持」ではなく、民営化の破綻、地方破壊の号令だ。とくに「債務の株式化」は一線を越えた踏み込みだ。ダイエーなど民間企業再建の手法を公共に適用する。赤字部門を破綻させても解散せず、株式化して「売る」。自治体にも「売り出せる」。金さえあれば誰でも公共の経営権を「買える」。
 されど、ものは考えよう。労働者側から見れば、コロナの中での国鉄解雇撤回署名に労組復権の火種がある証拠だ。全力で取り組みたい。

「杉山精神」継承へ奮闘誓う
 なんぶユニオン執行委員長 宮里勝博

 なんぶユニオン副委員長・杉山実さん! 安倍が倒れ、菅政権になったんだよ! いよいよ労働者階級、労働組合が政権打倒の前面に躍り出る時が来たのに、あなたと共に闘えないのが残念でなりません。
 杉山さんはコロナ禍で街頭に打って出て、亡くなる前日まで組合員を鼓舞激励し続けました。北海道から沖縄、そして韓国・ベトナムと闘争の現場に登場し、各戦線の闘争に参加していました。
 ユニオン事務所で杉山さんが残した書類などを整理すれば、彼の「革命にかけた人生」の足跡が偲(しの)ばれ、まず「現場に駆け付ける」杉山さんの姿が目に浮かびました。
 杉山さんの闘いを継承することはそれらすべてを担わなければなりません。私は「杉山精神」を継承するために奮闘する決意です。
 11月29日、「杉山実さんを偲ぶ会」に多数の御出席ありがとうございます。皆さんの「杉山精神で闘う」とのご発言に感謝します。
 この数年間は毎日のようにユニオン事務所で会っていたので、杉山さんとの思い出は尽きません。やはりもう一度、訪韓闘争に行きたかったです。それもかなわぬものとなりましたが、天国から、星野文昭さんと語り、訪韓闘争・全国各地の闘争に私たちと共に参加して下さい。

黙々とユニオンを守った人
 なんぶユニオン N

 今から45年前、慶應大学通信教育のスクーリングで知人に紹介されて、杉山さんを知りました。それから25年後、なんぶユニオンで行動を共にすることになりました。
 とにかくよく泣く人で、ユニオンでも有名でした。社会的弱者についての報道をテレビで見ていると、もう涙ボロボロ状態です。それを何度も見ています。怒りが涙としてあふれ出したのでしょう。
 杉山さんには何度も面倒をみてもらいました。兄貴が弟を世話するように、とても大事にしてくれたんです。杉山さんに何かあったら、いの一番に駆けつけ力にならなければならなかったのに、何にもやってやることができなかった。それがとても悲しい。
 亡くなる5日前、ユニオン事務所で豆腐を半分ずつ分け合い、しょうゆがなく麺つゆをかけたが、「麺つゆじゃうまくねえ」と二人でボソボソ言いながら食べた。それがとうとう最後になってしまった。
 杉山さんは結果を求めず、黙々とユニオンを守り抜いた。杉山さんほどの根性はないものの、その教えを一ミリでも受け継ぐことを誓う。
 さらば 杉山さん

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