京大生への不当処分粉砕へ 全国学生の団結で仲間を守ろう

週刊『前進』04頁(3188号03面01)(2021/03/29)


京大生への不当処分粉砕へ
 全国学生の団結で仲間を守ろう

(写真 昨年12月10日に京大吉田南キャンパスで開催された集会で、みこしの上から訴える被処分者)

 京都大学で闘いの火の手が上がっています。学生に暴行する大学職員に対して抗議したことを、「執務妨害」とみなして処分するという大学当局のあまりにも理不尽な攻撃に対し、京大生は全学的な団結を組織し、処分撤回・阻止を要求して昨年の12月集会を頂点とする実力闘争を繰り広げています。学生が団結して闘えば大学も未来も変えていくことができます。閉塞(へいそく)した社会を根底から変える原動力は、未来の社会を担い、切り開いていく私たち学生の行動にあります。すべての学生は京大生の闘いに続こう!

「大学改革」は戦争への道

 新入生のみなさん、入学おめでとうございます! 努力の末にたどり着いた大学生活への期待に胸を膨らませている人も多いでしょう。私たちの通う京都大学でも、「自由の学風」にあこがれて入学する学生は多く、中には安倍政権を批判する全学連の立て看板を見て「なんでも主張できる雰囲気」を感じ、一生懸命勉強して京大に入学した人もいます。
 しかし、この数年の間に私たちの目の前で繰り広げられたのは、そうした「なんでも主張できる雰囲気」が破壊されていく過程でした。2018年から本格的な立て看板規制が始まり、学内でビラをまいただけで学生が逮捕されるという事態まで起こりました。そして、これに抗議した学生に対しては、「職員の執務を妨害した」などという理由で無期停学などの処分が乱発されています。
 こんな大学当局のやり方にはもう黙っていられないと、多くの京大生が立て看板規制や処分に反対する運動に立ち上がっています。そして、他大学の学生との共闘が広がる中で、学生が弾圧されているのは京大だけではないこと、その背景には「大学改革」という国策があり、大学を国の言いなりにすることで日本を再び「戦争のできる国」につくり変えることが狙われているという事実を、私たちはつかんできました。
 戦前の日本では大学が戦争に協力し、学徒出陣にまで行き着きました。そのことへの反省から、戦後は労働者・学生の闘いによって「学問の自由」や「学生自治」が確立されました。しかし、現在進められている大学改革は、このような戦後の大学・教育のあり方を一掃し、大学を戦争遂行のための下請け研究機関につくり変えるものです。04年の国立大学法人化以降、国からの運営費交付金は年々削減され、代わりに「競争的資金」の名のもとに、企業の金もうけのための研究や軍事研究の予算が拡充されています。15年に導入された「安全保障技術研究推進制度」は、軍事研究を約束した大学に資金を与えるものであり、京大や大阪大が米軍からひそかに資金提供を受けていたことも発覚しています。昨年の菅政権による日本学術会議会員人事への介入や、かつて「満州」で旧関東軍731部隊が行った人体実験を「なかったこと」にしようとしている湊長博が京大総長に就任したことも、大学改革の流れと一体です。

競争拒否し新たな社会を

 このような大学改革が、キャンパスにおいては何よりも学生を大学当局の言いなりにするための規制・弾圧となって表面化しているのです。立て看板・ビラまき規制や学生寮つぶし、あるいは学生どうしを過酷な競争に追い込み、一人一人を分断して管理することを目的とした各種の評価制度の導入などです。
 もともとは社会インフラとして税金で賄われていた大学のコストは、高騰する学費という形でますます学生個人の負担にされています。国立大学の授業料は、1975年から現在の金額になった2004年までの30年足らずのうちに、15倍近くも跳ね上がりました。バイトで貴重な時間を奪われ、学問どころではない学生も少なくありません。すぐに実用できない分野には予算が回されず、学問をする条件そのものが破壊されています。
 そして就職活動においては、学生は自分らしさや多様性を捨てて取り繕った「個性」を要求されます。就職後の企業内での評価制度なども含めて、資本主義のもとでは、資本の金もうけのために生涯にわたって人間どうしを蹴落とし合わせる競争が組織されているのです。
 しかしながら、ここではっきりさせておきたいのは、私たち学生にはこのような大学や社会のあり方を変える力があるということです。これから先の社会を生き、担う存在であるからこそ、学生は「資本や大学当局の金もうけのために人生をめちゃくちゃにされてたまるか」と心の底から叫ぶことができます。
 マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』には、「プロレタリアは、この革命において鉄鎖以外に失うものは何もない」という言葉があります。学生も同じ立場で闘うことができます。学生から夢も希望も人生も奪おうとする大学改革や新自由主義に対し、私たちが本当に人生の展望を見いだすことができる条件は、学生運動を闘うこと、そして資本主義を打倒して新しい社会を建設するために闘うことの中にこそあります。
 自分らしさを捨てて資本主義社会に適応する道ではなく、学生運動を闘う中から、人間が解放される新たな社会の展望をつかむことができるのです。

学生こそが大学の主人公

 昨年、コロナ禍のもとで全国200以上の大学で学費減免運動が展開されました。全学連による文部科学省への申し入れや全国各地での学費減免デモも多くの学生を引きつけ、継続されています。政府や大学当局も、学生が本気を出した時の恐ろしさを知っています。だからこそ、闘いが広がる前に反撃の芽をつぶそうと必死になっているのです。立て看板・ビラまき規制や処分はそのための攻撃であり、敵の弱さと恐怖の表れです。
 京大では、一昨年と昨年の12月に京大生有志が中心となって処分撤回・阻止を訴える集会を開催しました。大学職員の妨害を学生が実力ではね返し、大学構内への立ち入りを禁止されている被処分者が構内で発言するなど、キャンパスを「解放区」にする闘いとしてかちとられました。この集会での被処分者による「分断を乗り越えて共に闘う」というアピールは決定的でした。
 処分は、大学当局が学生をコントロールできなくなったときにかけられますが、京大生が全国の学生と力を合わせて取り組んできた処分撤回闘争は、もはや簡単に処分などできない力関係を大学当局に強制しています。当局側は学生の足並みを乱すことができず後退を強いられています。
 そして重要なのは、処分との闘いが学生自治会の建設に結び付くものとして闘われていることです。学生を分断する攻撃である処分に対し、これに反撃する中で逆に学生自治会という学生の団結体を打ち立て強化していることは、この間の処分撤回闘争の勝利の地平として象徴的です。
 処分は、大学当局にとっては「最後のカード」ですが、膨大な数の学生が立ち上がれば、全員に処分を下すことは不可能になります。処分との闘いの中で団結を拡大している私たちには、もはや恐れるものは何もありません。学生の力を信じ、闘ってきたかいがあったと、私たちは心から実感しています。
 京大闘争のような、闘いの中で団結が広がる学生運動を全国大学に広げていくことに、大学改革を粉砕し、キャンパスを学生の手に取り戻していく展望があります。京大闘争で切り開かれつつある地平は、全国大学の学生の力を取り戻す運動に間違いなく必要になるものです。
 一方、京大闘争をさらに前進させるためには、全国の学生の皆さんの力が不可欠です。全国の大学に入学された新入生の皆さん、もう資本主義社会の中で生きづらさを感じる必要はありません。学生が主人公の大学、人間が人間らしく生きられる社会を実現するために、マルクス主義学生同盟中核派に結集し共に闘いましょう。
〔マル学同中核派・ 京都大学支部〕
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