新自由主義の破産は革命の前夜 レーニンの革命的実践の立場 『帝国主義論』から学ぶ

週刊『前進』04頁(3190号04面01)(2021/04/12)


新自由主義の破産は革命の前夜
 レーニンの革命的実践の立場
 『帝国主義論』から学ぶ

(写真 1917年3月8日の国際婦人デーのデモに立ち上がり、ロシア革命を切り開いた首都ペトログラードの工場労働者と家族)

『帝国主義論』とレーニンの関連著作
『第二インターナショナルの崩壊』【1915年】
『社会主義と戦争』【1915年】
『社会主義革命と民族自決権』【1916年】
『帝国主義論』【1916年】
『国家と革命』【1917年】


 コロナ・パンデミック下で米中対立が激化し、世界戦争の危機が切迫しています。今こそレーニンとボリシェビキの闘いに学ぼう。党学校で出された『帝国主義論』のレポート(要旨)を掲載します。(編集局)

帝国主義世界戦争を内乱へ

 第1次世界大戦の真っただ中の1916年に執筆された『帝国主義論』は、「資本主義の最高の発展段階」としての帝国主義の行き詰まりと破産を事実をもって暴き出し、プロレタリアートの階級形成の課題を明確にしながら、「社会主義革命の前夜」としてプロレタリア革命の現実性を照らし出した。そして、『帝国主義論』と『国家と革命』を武器にして、レーニンとボリシェビキ、労働者階級の闘いは、現実に戦時下のロシア帝国主義を打倒したのだ。
 新自由主義として延命を続けてきた資本主義は、社会も自然も破壊し荒廃させ、新型コロナウイルスを呼び起こした。いまや基軸国・米帝の没落と戦後世界体制の崩壊の中で、米帝自身が国際帝国主義を争闘戦に引きずり込み、米中対立は一線を越えて激化し、戦争的危機を醸成している。
 帝国主義は、レーニンの時代のようなむき出しの対立・激突を深め、戦争と革命の時代を招来させている。最末期帝国主義の絶望的延命形態である新自由主義の全世界的展開と大破産、その中から始まった階級的労働運動の胎動と国際階級闘争の内乱的激化こそ、その決定的メルクマールである。そうであるがゆえに、第1次世界大戦を内乱に転化し、ロシア革命の勝利を切り開いたレーニンの闘いに肉薄することがいま本当に求められている。
 『帝国主義論』を「革命の書」として学び尽くし、現代のプロレタリア世界革命の決定的武器としてよみがえらせよう。

社会排外主義との党派闘争

 『帝国主義論』は1916年6月ごろまでにスイスで執筆された。17年2月革命後に帰国したレーニン自身が4月末に序文を書き、17年半ばに初めて出版された。それは1914年7月の第1次世界大戦勃発と第2インターナショナルの崩壊という事態と対決し、プロレタリア革命の現実性を明らかにするためだった。
 各国の社会主義者は、開戦前から戦争に対する立場を確認していた。1912年の「バーゼル宣言」では、「それでもなお戦争が勃発したばあいには、そのすみやかな終結のために手をつくし、戦争のもたらした経済上ならびに政治上の危機を、国民をゆりおこすために利用し、それによって資本主義的階級支配の排除を促進するよう極力つとめることが、その義務である」と決定された。しかし、いざ戦争が始まると各国の社会主義者が軒並み祖国防衛主義=社会排外主義(言葉のうえでは社会主義、行動のうえでは排外主義)に転落した。とりわけ、第2インターナショナルの主軸であったドイツ社会民主党が、ドイツ帝政国家がロシアに宣戦布告した2日後の8月4日、帝国議会で戦時公債案に賛成投票した。レーニンはこの現実と徹底的に闘った。スイスでの亡命生活という困難の中で、主に非合法機関紙での論文を通してロシア国内のボリシェビキの武装と組織強化を進めていった。
 同時に、レーニンは国際舞台での組織化の闘いに力を注いだ。ボリシェビキの在外指導部を組織し、それを土台に国際社会主義者の再結集を必死に追求した。それはまず何よりも、戦争翼賛(祖国防衛主義)に転落した社会排外主義に対する国際的な党派闘争であった。そのために『第2インターナショナルの崩壊』や『社会主義と戦争』を著した。15年9月のツィンメルワルト会議(国際社会主義者の会議)から16年4月の第2回会議(キーンタール会議)では、社会排外主義との非妥協的闘争を明確にするために必死に闘った。この過程で『帝国主義論』は執筆された。
 最大の党派闘争は、「正統派マルクス主義者」であり最大の権威であったカウツキーに対する批判だった。カウツキーはドイツ社会民主党の中間派として、帝国主義戦争にあいまいな「平和」を対置し、「超帝国主義論」で帝国主義の安定的支配を描き、帝国主義のもとでも平和的政策が可能であるかのような幻想をあおり、何よりも日和見主義・社会排外主義との和解を組織していた。これに対して、カウツキー主義の誤りの理論的=経済的基礎を鮮明にさせて、カウツキー主義との決別を組織することこそが求められていたのだ。その立場が『帝国主義論』には貫かれている。
 こうしてレーニンは、帝国主義戦争を内乱へ、自国政府の打倒、祖国敗北主義、そして新たなインターナショナルの建設の旗を鮮明にさせ、党派闘争と組織化を一体的に展開しながら、17年革命へ向かったのである。

帝国主義は社会主義の過渡

 『帝国主義論』の理論的背景としてあるのは、19世紀末からの世界の資本主義に発生した新しい歴史的諸現象を、『資本論』の論理との関係でいかに把握すべきかという問題だった。
 19世紀末からの世界の資本主義は、『資本論』が理論的に想定し(また当時のマルクス自身も歴史発展として認識し)ていたような純粋の資本主義へ向かって進むのではなく、むしろ不純的要素を残存させ、また新たに発生させていった。具体的には小生産者的農村の分解が進まず多くの中間的社会層を残すなど、イギリスが三大階級への分化へ向かって純化・発展し、それに続く国も大きくはこの同じ道をたどっていくという理論的想定とは明確に違う諸現象が現れた。また、『帝国主義論』で取り上げられているように、自由競争の対極にあるカルテルのような独占的傾向がドイツなどで登場した。
 それをめぐってドイツ社会民主党において、『資本論』は現実的妥当性を失ったと主張しマルクスの階級闘争論も含めて批判したベルンシュタインに代表される修正主義が登場した。それに対して、『資本論』の妥当性を教条的に主張し、『資本論』の論理にそのまま世界市場分析を組み合わせて展開しようとするカウツキーに代表される「正統派」が対抗する形になった。それはいずれも、本質的に資本主義の帝国主義段階への世界史的推転としてつかむことができず、第1次世界大戦勃発で理論的にも実践的にも破産した。
 レーニンの『帝国主義論』は、『資本論』体系を継承するとともに、しかしその教条的論理に陥るのではなく、新たな諸現象の具体的分析を通して実質的にはそれを分離し、「資本主義の最高の段階としての帝国主義」という資本主義の発展段階の規定として鮮明にさせていった。
 レーニンは『党綱領改正資料』(17年4〜5月)においても次のように述べている。「帝国主義は、資本主義の発展の継続であり、その最高の段階であり、またある点では社会主義への過渡段階である」「実際に、帝国主義は資本主義を上から下まで改造するものではなく、また改造することもできない。帝国主義は、資本主義の諸矛盾を複雑にし、激しくし、自由競争と独占とを『絡みあわせる』が、交換、市場、競争、恐慌等々を排除することは、帝国主義にはできない」「帝国主義は、寿命が終わろうとしてはいるがまだ終わってはおらず、死滅しつつあるがまだ死滅していない資本主義である。純粋の独占ではなくて、交換や、市場や、競争や、恐慌とならんで存在する独占――これが帝国主義一般のもっとも本質的な特質である」
 こうした立場と方法でレーニンは『帝国主義論』を展開していくのである。

世界の再分割をかけた戦争

 以下、『帝国主義論』の内容展開の核心について要点だけ明らかにする(本文の引用は岩波文庫版。以下、ページ数のみ)。
■独占と金融資本の支配
 「帝国主義とは、独占と金融資本との支配が成立し、資本の輸出が顕著な意義を獲得し、国際トラストによる世界の分割がはじまり、最大の資本主義諸国による地球上の全領土の分割が完了した、というような発展段階における資本主義である」(146㌻)
 『帝国主義論』は、1章(生産の集積と独占)、2章(銀行とその新しい役割)、3章(金融資本と金融寡頭制)を通して、ドイツの重工業を中心にした生産の集積と独占、独占による支配・強制(搾取・収奪)という新たな現象を、帝国主義の経済的本質と矛盾の先鋭化として明らかにしていく。
 1870年代を画期として、それまで綿工業によって「世界の工場」としての位置をもっていたイギリスに対して、ドイツが鉄鋼・石炭など重工業を基軸的産業にして登場。それは巨大な固定資本を前提とし、初めから株式会社形態による社会的資金の集中が行われ、重工業においてカルテルなど独占が生まれた。そうした資金の動員を、長期固定信用の授与と株式の発行業務の引き受けとによって実現する銀行の集中も進み、両者の癒着も促進された。こうして一国内部における生産基軸を支配するものとして、金融資本の典型がドイツで成立した。
 この独占と金融資本とは、「生産は社会的になるが、取得は依然として私的である。社会的生産手段は依然として少数の人間の所有である」「少数独占者のその他の住民にたいする圧迫は、いままでより百倍も重く、きびしく、たえがたいものとなる」(43㌻)という恐るべき現実を生み出す。独占資本主義は資本主義のあらゆる矛盾を尖鋭(せんえい)化した。「矛盾のこの尖鋭化は、世界金融資本の終局的勝利の時代のときからはじまった歴史的過渡期のもっとも強力な推進力である」(201㌻)。こうしてレーニンは、資本主義の末期性と革命の条件を明確にしていく。
 さらに、4章(資本の輸出)、5章(資本家団体のあいだでの世界の分割)で金融資本の世界的展開や国際カルテルの実態を、6章(列強のあいだでの世界の分割)で領土的分割の完了を示し、7章(資本主義の特殊の段階としての帝国主義)でその不均衡性について展開する。
 独占による資本の過剰は、資本の輸出を顕著なものにする。資本主義的生産様式のもとでは、過剰になった資本は決して労働者に富をもたらすのではなく、海外への資本投下、植民地的領有への欲求となり、超過利潤をむさぼる。それは帝国主義が延命するための死活的政策となる。
 20世紀初頭において、ドイツを典型とする金融資本の国際展開と世界市場の独占的分割が始まる一方で、ドイツやアメリカの台頭に対抗したイギリスの植民地拡張主義の加速によって植民地領有の世界的分割は完了した。ドイツの生産力の発展はイギリスよりも急速であるにもかかわらず、植民地領有はイギリスが圧倒的であった。「資本主義の基礎のうえでは、一方における生産力の発展および資本の蓄積と、他方における植民地および金融資本の『勢力範囲』の分割とのあいだの不均衡を除去するのに、戦争以外にどのような手段がありうるだろうか?」(160㌻)
 20年版序文で「検閲に付せられたこの小著にたいする必要な補足」として、「1914〜18年の戦争が、どちらの側から見ても帝国主義戦争(すなわち、侵略的、略奪的、強盗的な戦争)であり、世界の分けどりのための、植民地や金融資本の『勢力範囲』等々の分割と再分割とのための戦争であった」(16㌻)と、帝国主義戦争の階級的性格を徹底して暴露・断罪している。これこそ『帝国主義論』の展開の内容的核心の一つである。同時にそれは、「戦争によってつくりだされた世界的荒廃の土壌のうえに、世界的な革命的危機が成長している。この危機は、たとえそれがいかに長くて困難な紆余(うよ)曲折をたどろうとも、プロレタリア革命とその勝利とをもって終わりをつげるほかはありえない」(19㌻)と、世界戦争を引き起こす帝国主義の打倒とプロレタリア革命の展望を照らし出している。
■社会排外主義を断罪
 さらにレーニンは、8章(寄生性と資本主義の腐朽化)、9章(帝国主義の批判)でのカウツキー批判と、寄生性論による社会排外主義の弾劾を通して、階級主体・変革主体の問題に踏み込む。
 「帝国主義は、世界の分割とたんに中国だけにかぎらない他国の搾取とを意味し、ひとにぎりのもっとも富裕な国々にとっての独占的高利潤を意味するが、このような帝国主義は、プロレタリアートの上層を買収する経済的可能性をつくりだし、これによって日和見主義を培養し、形成し、強固にする」(169㌻)
 20年版序文はもっと明確に述べている。「巨額の超過利潤のうちから、労働者の指導者たちと労働貴族の上層とを買収できる」「そして『先進』諸国の資本家たちは彼らを実際にも買収している」「ブルジョア化した労働者あるいは『労働貴族』のこの層は、第2インターナショナルの主要な支柱であり、そして今日ではブルジョアジーの主要な社会的支柱(軍事的支柱ではないが)である。なぜなら、彼らは、労働運動の内部におけるブルジョアジーの真の手先であり、資本家階級の労働者手代であり、改良主義と排外主義との真の伝達者だからである」(22㌻)この社会排外主義との非妥協的な闘争は死活的である。
 その上で、「ただ一つ忘れてはならないことは、一般的には帝国主義にたいして、特殊的には日和見主義にたいして、反抗しつつある勢力のあることである」「日和見主義は、もはや今日では、それが19世紀の後半にイギリスで勝利をしめたのと同様に、数十年の長きにわたってある一国の労働運動における完全な勝利者となることはできない。反対に日和見主義は、幾多の国で、終局的に成熟し、爛熟(らんじゅく)し、ついに腐敗してしまって、社会排外主義として、ブルジョア政治とすっかり融合しあっている」(176㌻)ということである。
■死滅しつつある資本主義
 最後にここまでの展開の総括として、10章(帝国主義の歴史的地位)において、帝国主義が資本主義の最高の段階であり、「死滅しつつある資本主義」であることを明確にする。
 レーニンは全章を通して、帝国主義が次の社会への過渡であり、その条件をつくり出していることを繰り返し強調してきた。生産や分配が社会的になるような条件をつくり出す一方で、労働者階級への搾取・抑圧・圧迫を極限的にし戦争まで不可避にする、こうした矛盾の深まりこそ、没落期に入った、死滅しつつある資本主義としての姿だということである。
 同時にこれは、主体的条件の問題でもある。労働運動での分裂と分岐の深まりの中で、真に階級的な労働運動の潮流が必ず登場し、勝利するということである。「帝国主義はプロレタリアートの社会革命の前夜である」(1917年『党綱領改定資料』)----16年には「イソップのことば」でしか表せなかったこの一文こそ、『帝国主義論』の結論である。

〈コロナ×大恐慌〉を革命へ

 新自由主義は最末期帝国主義の絶望的延命形態であり、決して帝国主義段階に代わるような資本主義の新たな発展段階が到来したなどということではなく、また単純に資本主義の本性から必然的に発展したというものでもない。1917年ロシア革命以来の歴史、階級闘争の展開と矛盾の激化、具体的には米帝の75年ベトナム敗戦と74〜75年恐慌で表された戦後発展の行き詰まりに直面したなかでの、「国家暴力による労働組合弾圧」を核心にした帝国主義の延命への絶望的なあがきであり、破産形態である。そして今日、労働者階級人民にとって憎むべき打倒対象へと押し上がっているのである。
 いまや基軸帝国主義・米帝が歴史的に没落し、戦後世界体制の破壊者として登場することによって米中対立を激化させ、世界戦争の危機をつくりだしている。その意味で、『帝国主義論』の世界は、いま私たちの目の前に現実的な形で浮かび上がってきているということである。「死滅しつつある資本主義」であり「社会革命の前夜」としての帝国主義の姿が一切の粉飾をはぎとられてあらわになっているのである。
 こうした中で、『帝国主義論』を語りながら「平和で進歩的な21世紀」なるとんでもない世界観で、カウツキーをはるかに超えて帝国主義との和解を組織する日本共産党と徹底的に対決しなければならない。
 〈コロナ×大恐慌〉と対決し、帝国主義を打倒する世界革命を成し遂げよう。

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