投稿 長谷川健一さんを追悼する 汚染水の海洋放出を絶対阻む 福島 柳沢幹男

発行日:

週刊『前進』04頁(3221号03面03)(2021/11/29)


投稿
 長谷川健一さんを追悼する
 汚染水の海洋放出を絶対阻む
 福島 柳沢幹男

(写真 故・長谷川健一さん)

 福島第一原発の事故から10年たっても福島の現実は変わらないどころか、むしろ悪化していると言っていい。11・7全国労働者集会で佐藤幸子さんが弾劾していた通り、コロナ禍に乗じて事故を「なかったこと」にしようという動きは加速している。事故で避難を余儀なくされた人々に対して医療や介護の保険料を全額免除している特例措置について、2023年度には見直すつもりだというのだ(11月6日付福島民友)。
 冗談ではない。好きで避難したわけでもなく、ましてやふるさとを奪われたがゆえに医療や介護が必要になった人が多数いることは、多くのメディアが報じている。また、飯舘村長泥地区(帰還困難区域)の工事現場で発生し、33日間にも及ぶ休業を余儀なくされた労災事故を隠ぺいした大林・東亜・大本特定建設工事共同企業体(JV)が指名停止処分を受けている。闘うことなしには生きられない状況が今そこにあるということだ。
 このような中で、全国農民会議結成の先鞭をつけた全国農民交流集会(12年2月)で講演をいただいた飯舘村の長谷川健一さんが去る10月22日に逝去された。
 長谷川さんとは講演以降、全国農民会議結成後も親しくお付き合いいただいていた。特に、17年の全国農民会議総会企画のTPP講演会(鈴木宣弘氏)では率先して呼びかけ人になっていただき、陣形構築に大きく尽力いただいたことは感謝にたえない。その後も、新潟県小千谷での講演とデモなど様々な協力をいただいていた。
 それだけでなく、事故直後から全国のみならず世界の反原発の闘いとつながり反原発を訴え、地域においても原発事故被害者団体連絡会の共同代表を務めるなど、反原発の闘いの中心にいた方だ。そのような方を失ったことは本当に残念でならない。
 本年1月に訪ねた際には「農民として農地を荒れ野にすることはできない。だから自分は50町歩を耕してそば畑にしている。しかし子どもや孫は別だ。将来を考えたら今は帰ってきてはだめだ。東電や国の責任ははっきりしている」と元気に語っておられた。ところが2月に体調不良から甲状腺がんが見つかり、急性ということで手術を受け放射線治療もして、10月にはそば畑の案内ができるまでに回復していた。それで安心していた矢先の訃報(ふほう)に言葉もなかった。
 チェルノブイリの例でも大人の甲状腺がんが事故から10年を過ぎたころから急増しているデータがあるという。それに照らしても、事故との因果関係を疑わざるを得ない。国と東電が、かけがえのない人々をこのような形で奪っていくことを徹底弾劾したい。まさに闘って闘って命を守っていくことが残った私たちの使命であり、追悼の実践であろう。
 汚染水の海洋放出は、11・7集会で布施幸彦医師が訴えられたように「まだ1年半ある、しかし1年半しかない」ところにきている。これを許すことは国と東電の命を奪う策動を許すことになる。絶対反対で闘おう。全国の仲間と共に勝利するまで闘いぬこう。
このエントリーをはてなブックマークに追加