団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3222号04面06)(2021/12/06)


団結ひろば 投稿コーナー

西郡支部大会を勝ちとる
 全国水平同盟西郡支部 M

 11月14日、午前中に西郡のムラの中を練り歩き、午後2時から大阪・八尾市桂人権コミュニティセンターで全国水平同盟西郡支部第8回大会を勝ちとり、極悪差別発言を行った八尾市・大松市長をさらに追撃する戦闘宣言を発しました。
 久原正子西郡支部長が大会議案を提起。「維新・大松市長の差別発言の謝罪と撤回、辞任を要求する全戸署名に日曜日ごとに回った。多くの住民が八尾市への怒りの声や率直な意見を語り、500筆以上の署名が寄せられ、西郡支部として大きな自信を得た」「この攻撃は岸田政権の改憲・戦争攻撃と一体の分断攻撃だ。地域丸ごとの総決起をつくり出そう」と呼びかけました。佃照夫副支部長は「中国侵略戦争情勢で狭山棄却攻撃が強まっている。下山鑑定を武器に労働者階級の総決起で再審を勝ちとろう」と訴えました。
 討論に入り、佃文弘書記長は「団地署名で地域のつながりができた。もっと大きな団結をつくり出す」と決意を語りました。高齢者からは「天然痘の時、次々と死体が焼かれひどい状態だった」との体験が語られ、八尾北医療センターの末光道正院長が、この時に隔離しかしなかった八尾市への怒りから住民が独力で診療所をつくった経緯を語り、発熱外来のプレハブ設置不許可を弾劾しました。
 高槻支部は「住宅問題で地域で署名を集め闘っている」と報告。八尾北労組・灰垣美佐子書記長は「250人のコロナによる孤独死は天然痘の時と同じ。戦争に向かって命がないがしろにされている。団結して闘おう」と訴えました。昨年、関西合同労組に加入しコロナ解雇を撤回させたAさんが、午前中の練り歩きにも決起し「新たなコロナ解雇を許さない。一緒に闘う」と発言するなど、活発な意見がたくさん出され、議案が深まりました。
 大会は、12月から新年1月にかけて、維新・大松市政打倒!改憲・戦争阻止へ攻め上る総決起集会として大成功しました。

ふくしま診療所報告会開く
 千葉 山中 久

 11月21日に千葉県で、「ふくしま共同診療所 千葉報告会」が、原発なくせ!ちばアクション/避難プロジェクト@ちばの主催で開催されました。
 ふくしま共同診療所建設に尽力し、開設から診療に当たってきた杉井吉彦医師が講演を行いました。杉井医師は「政府の事故対応がひどい」と喝破し、帰還政策の非人道性、検診体制の脆弱(ぜいじゃく)さ、汚染水の海洋放出計画、政治的影響を受けた福島県医師会、東海第二原発に対する政策、そして東京電力への痛烈な批判を繰り出しました。
 そして後半の質疑応答の後に、福島の人たちに保養を提供する団体である「避難プロジェクト@ちば」が、「久しぶりにゆっくりのんびり休めた」などの保養者の声を紹介。最後に、まとめで「福島の原発事故は過去のことではない」ことと、「来年は東海第二原発の再稼働が焦点になる」ことが確認されました。
 杉井医師がテーマにしていたことは一貫して「政府対応の拙悪さへの怒り」です。チェルノブイリより甘い放射線避難基準、福島原発事故から10年たっても事故時の確固たる対策が構築されていないこと、汚染水を薄めても放射性物質の総量は変わらず、逆に広範囲に拡散されることを暴き、東海第二原発の再稼働に警鐘を鳴らしました。
 この国は「原子力」という怪物の恐ろしさをよく分かっています。それが人間に牙をむくことも、人間を刺す刃となりうることもです。原発とは絶対的に非和解であり、打倒しなければならない存在です。東海第二原発再稼働阻止! すべての原発をなくそう!

11月集会で改憲阻止を決意
 東京・南部 Y・M

 私が11・7全国労働者集会に参加して一番印象に残ったのは、高山俊吉先生の改憲阻止の発言でした。JR東海名誉会長・葛西敬之がかつて言っていた「そろそろどこかで戦争でも起きてくれないことには、この国の経済が成り立たなくなる。インドあたりでどうかな」という発想に、怒りを感じました。外国の人を犠牲にして戦争を起こすことは許せない。そのために憲法を改正することなんてありえない。
 「野党共闘」の無意味さの発言もありましたが、選挙制度で今の世の中は変わらない。私も同感です。労働者・労働組合の力が必要なのです。
 関生支部の闘いに関して「日本の労働運動全体の課題です。今必要なことは関西生コンと同じような労働組合を組織し、労働者を結集していく闘いです」という発言もありました。これが重要だと思いす。
 戦争について考えると、実際に戦争に行くのは私たち労働者であり、相手国の労働者と戦うことになります。労働者同士の血が流されることは絶対にあってはならないことです。そのために私は改憲・戦争阻止闘争に積極的に参加します。さらにミャンマーの若い人たちが真剣に闘っていることに感動しました。
 今年の11月集会を自分の闘いとして受け止めました。なんぶユニオンの団結を強めて闘います。

佐藤喜彰同志を追悼する
 神奈川・湘北地区 S

 労働者党への変革と飛躍の真っただ中、去る9月6日早朝、佐藤喜彰同志が「虚血性心不全」により逝去しました。65歳でした。
 前夜のとめよう戦争への道!百万人署名運動事務局会議への出席が彼の最後の闘いでした。警備・誘導員の激務を仕事にしながらも、百万人署名運動湘北連絡会事務局や湘北合同労組副委員長を担ってきました。佐藤同志は行動派でした。少々猫背で首からカメラを提げ、のぼり旗を手にデモの先頭に立ってきました。またバイクを駆使して「前進」配達をやり続けてきた君の奮闘には頭が下がります。「佐藤同志の遺志を11月集会へ」と、地区の仲間は奮闘しました。全国から結集した日比谷野音2150人を前に、「佐藤同志ならどんな写真を撮ったかなあ」と、地区の仲間は語り合っています。
 佐藤同志は都立忠生高校卒業後、東京都水道局に就職。東京西部地区反戦に結集して闘ってきました。再就職先の金属加工(株)アイコーの偽装倒産に当たっては、労組書記長として1年間の工場占拠闘争を指導し、労働債権を確保する画期的な勝利を実現しました。この闘いの中で彼は新たな同志を獲得し、入管戦線や労働者国際連帯へと階級的視野を広げていきました。階級的労働運動、合同労組運動、更には非正規職労働者の団結強化が課題となっている今日、佐藤同志の貴重な経験を受け継いでいかなければなりません。
 近く「偲(しの)ぶ会」を催します。君が残してくれたスナップ写真に想いを馳(は)せ、地区の仲間と共に革命への遺志を分かち合いたいものです。
 黙禱(もくとう)。

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