団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3224号04面03)(2021/12/20)


団結ひろば 投稿コーナー

「学ぼう!福島の今」学習会
 埼玉 S



 12月12日、さいたま市内で椎名千恵子さんを招いた「学ぼう!福島の今」学習会がNAZEN埼玉・反原発アクションの主催で行われました。
 「10年経っても日々、不安を駆り立てる新たな事実が次々と暴露されている。原子力村、国、東電は原発事故を忘れさせたい。どうして忘れることができるだろうか」。椎名さんの重く力強い言葉から講演が始まりました。福島県で293人もの甲状腺がんと診断された人がいる中で、「県民健康調査」検討委は甲状腺検査を「過剰診断や心理的不安、差別につながる」として縮小しようと、検査対象の子どもの保護者あてに同意書を求める通知が郵送されているそうです。
 また、広島の「黒い雨」訴訟確定判決では内部被ばくによる健康被害を認めたが、福島原発事故には当てはまらないとし、帰還の強制が進められています。
 しかし、福島の怒りを抑えつけることはできません。甲状腺がんの手術を受けた青年が実名で検査縮小に抗議しました。また衆院選で福島駅前に現れた安倍晋三を、若い母親が両手に「NO×」と書いて弾劾。その決起に鼓舞された椎名さんも続き、四つの手のひらの反旗が翻りました。感動的です。
 会場からの発言では、埼玉の自主避難者のメッセージが読み上げられました。「健康被害の不安の中、子どもたちを首都圏に送り出せたことを誇りに思います」「コロナワクチンの問題では同調圧力にうんざりします。ワクチン打った人、打たない人の分断は避難区域と自主避難と同じです。じわじわと外堀から埋めていくような国のやり方。東京に原発つくってみな、と言いたいです」
 ふくしま共同診療所を支え来年3・11福島行動に結集し、トリチウムを含んだ汚染水の海洋放出をなんとしてもやめさせましょう。

奪われた学費を取り戻そう
 関東・日大OB 山田顕義

 アメフト事件から3年が経ち、日本大学を牛耳るトップの逮捕が相次いでいる。
 10月7日には井ノ口忠男理事が、11月29日には田中英寿理事長が脱税の容疑で逮捕された。
 井ノ口忠男は田中理事長の最側近であり、アメフト事件の際には、当時加害者になった学生に対して「日大の総力を挙げてつぶす」と、記者会見を行わないよう脅迫した人物だ。
 田中英寿は1968年の日大闘争では古田重二良会頭ら大学当局の用意した暴力学生として日大全共闘の弾圧に加担した。2008年に理事長になり独裁的な体制をつくり上げてきた。
 今回、彼らの容疑は、日大病院の建て替え費用を増額し、日大の予算の一部を横領して身内で分け合うという、いわゆる背任行為である。この過程で、日大事業部を通して病院建設の予算編成が行われている。取締役として井ノ口が管理する日大事業部は、施設管理や人事など、あらゆる場面で日本大学の経営に介入し続け、上層部の金もうけに利用されてきた。非常勤講師を雇い止めし、代わりに外部委託業者に授業を行わせるという「非常勤ゼロ人計画」も進められている。
 日大事業部は、日大生や教職員から搾取した収益を大学に寄付。税金も払わず、最終的には田中理事長ら大学トップが懐に入れていた。
 一連の事件を受けて、末松文科相は日本大学に説明責任を果たすよう求めているが、大学の新自由主義化を推し進めてきた自民党も共犯であり、「ガバナンス改革」など茶番劇だ。1968年10月、佐藤栄作首相が日大全共闘と大学当局の大衆団交をつぶしたが、その時代から自民党は日大からの献金を受けている。
 コロナ禍で強行された東京五輪でもスポーツ日大として巨額の国家事業に関与し続けてきた。新自由主義に支配された大学の行き着く先は、学生や教職員への容赦ない搾取構造とカリキュラムの崩壊である。
 日大生諸君! そしてOB諸君! 奪われた学費を取り戻そう! 日本大学を事業部から取り戻そう!

労働者に国境はないと実感
 東京・南部 T

 11・7集会の発言を聞いて資本主義が崩壊寸前であることと、今の社会が理不尽に満ちていることを改めて実感した。動労千葉の関委員長が提起した5点の内容を意識してこれからの運動を闘っていきたい。
 11月集会の呼びかけ人となっている3労組を結びつけるきっかけとなった闘いは国鉄1047名解雇撤回闘争であり、国鉄闘争の非和解的な闘いが新自由主義との闘いにおいて大きな重要性を持っていることも改めて認識できた。
 5点の提起のうち、集会内で特に感じたのは「労働者に国境はない」ことである。マルクスの共産党宣言の最後の一文が「万国のプロレタリア、団結せよ」である通り、国際連帯は共産主義の最も大きなスローガンである。
 今年はミャンマーの仲間の結集が印象的であった。コロナ禍で外国から来日できなかったが、多くの国の労働組合が11月集会に連帯の意思を示してくれており、国際的な連帯の重要性を身をもって感じた。
 高山弁護士の発言も強く印象に残っている。
 私は学校の授業で戦争の恐ろしさやチェルノブイリの事故の痛ましさを学び、戦争や原発事故のような悲劇は絶対に繰り返してはいけないものだという考えが当たり前だと思っていたが、その当たり前までも新自由主義によって破壊されようとしていることに衝撃を覚えた。
 我々こそが正義であり、間違った方向に進んでいる社会を変えられるのは我々労働者階級だけであることを再認識して、今後も闘い抜いていきたい。

反戦闘争は労働者の課題だ
 首都圏・学生 小林秀樹

 11・7労働者集会に参加しました。まず開会のあいさつで港合同の木下執行委員が、コロナ禍がこの社会の本質を示したと提起した。
 私の周囲でもコロナの影響で給料減額、解雇という話をよく聞く。それにもかかわらず補償はほとんどなかった。立場の弱い労働者こそ最も支援を必要とするはずなのに。
 関生支部の武谷書記次長がゼネコンと警察による労組つぶしと闘いながら、組合の拡大を成し遂げたと報告。とてもうれしかった。
 動労千葉の関委員長は今後の労働運動について言及した。特に「反戦運動が重要な課題である」という言葉が印象に残っている。
 私は経済闘争も重要な課題ではあるが、政治闘争もまた同じと考える。フロンティアを求めてさまよう資本はそれを獲得するために時に戦争という手段を用いる。それにより傷つくのが労働者であることは歴史が証明している。そのため反戦運動の担い手となるのは労働者階級であり、資本と闘う労働組合が中心になって闘うということは間違いないだろう。
 高山弁護士は憲法改正に触れ、反戦運動がそれを阻止してきたと発言した。現在、改憲勢力は必要な議席数を確保しており、立憲民主なども改憲論議に参加する姿勢を見せている。改憲阻止のためには今まで以上に大きな反戦運動が求められていると感じた。
 私はいわゆるZ世代であり、物心ついた時には新自由主義は当然で、あらゆることが自己責任という社会で育ってきた。その中で実際に闘う仲間たちの話を聞くと勇気づけられ、その先に存在する資本主義ではないオルタナティブな社会を想像させてくれる。
 今回、用事があり最後まで参加できなくて残念だったが、実際に現場で闘う人たちの話が聞けて良かった。今後も参加して連帯を強めていきたい。

空に向かって突き上げた拳
 東京・青年労働者 椿 佐十郎

 「戦うぞ! 戦うぞ! 戦うぞ!」。繰り返しそう叫んで拳を突き上げた。集会に参加している人々はその瞬間一体だった。誰もが同じせりふを叫ぶのだ。
 いつのまにか僕は隊列の先頭に立っていた。マイクとカンペを握りしめて。「憲法改正 絶対反対!」
 僕は書いてあるフレーズを書いてある通りの音量で読み上げた。隣を歩く男が肩に担いだ拡声器から増幅された声が飛び出し、背後の隊列に降り注いだ。フレーズはあらゆる箇所を糾弾し、否定し、反対していた。だが多くを含むためにかえってバラバラの希釈液になっていた。通行止めの銀座はガラス張りの渓谷のようで、数カ月前に上京したばかりの僕を無機質に圧迫した。カンペが震えてフレーズが分からなくなり、そこで余計な間を取った。背後からの戸惑いが僕の背に触れた。
 沿道からはツナギを来た男たちが飛び出さんばかりに叫んでいた。
 「てめェら道をふさぐんじゃねェ!」
 怒号は普段の生活には登場しない種類のもので、僕の心臓を揺さぶった。震えないようにと手に力を込める。押し戻すように声を強める。マイクにしがみつくように、僕は呼ぶ。斜め後ろで旗を持つ青年の幼い声が僕に答えた。しかしそれを除けば隊列の声は人一人ほどの質量だった。僕は振り返った。隊列は確かにそこにあったが、彼らは恥ずかしがって隣の人間の音量を気にしているように見えた。横断歩道を横切る若い恋人たちが物珍しそうにこちらを見ていた。音楽堂で空に向かって突き上げた拳を、僕は思い出していた。

精神科医療に司法のメスが
 精神科医療労働者 櫛渕秀人

 いまだに人権がないがしろにされ、閉鎖的・強制的実態がある精神科医療に司法のメスが入りました。
 一つは、精神科病院における「身体拘束」は違法だという判断が最高裁で確定したことです。
 5年前、石川県の病院で身体拘束された患者さんがエコノミークラス症候群を併発して死亡しました。遺族が提訴し、一審では敗訴、高裁で逆転勝訴。そして今年10月22日に最高裁が病院側の上告を棄却し、「患者さんの状態は拘束するような状態ではなかった」という高裁の判断が確定したのです。
 これは極めて重要な事態です。精神科病院では治療を名目に日常的に身体拘束が行われています。本来、人を拘束するには裁判所の判断が必要ですが、精神科のみ精神保健福祉法という悪法により医師の判断だけで簡単に拘束できます。この結果として事故・事件が起こります。何より患者さんは人格と心を立ち直れないほど傷つけられます。
 二つ目は、日本弁護士連合会が強制入院制度廃止を決議したことです。
 10月15日に岡山市で開催された日弁連人権擁護大会において、「精神障害のある人の尊厳の確立を求める決議」を満場一致で採択したのです。これらはまだ始まりに過ぎませんが画期的です。日本の精神科入院ベッド数は世界でダントツに多く、身体拘束も1万件を数え、群を抜いています。この現状を根本的に変革するために、当事者、家族と一体となった労働者、特に精神科医療労働運動が何より求められています。
 精神科入院患者さんに対する日弁連の調査では、精神科入院経験者の81%が入院で「辛い体験」をし、隔離や拘束は「地獄のようだった」との回答もあります。医療とは患者さん本人が求めるもので、強制されてはいけないことです。
 改憲、戦争という暗黒の時代に日本の支配者が引き戻そうとしている時、人の心を押しつぶしている精神科医療の根本的変革を進めるのはとても意義のあることではないでしょうか。

『やさしい猫』果たした役割
 神奈川 寒風澤 実

 小説『やさしい猫』(中島京子著)が1年余りにわたって読売新聞夕刊に掲載されたのは大きな「事件」だった。
 この連載の読者も、語り手である思春期の少女マヤがそうだったように「難民」と言っても外国のことだと思っている人が大半だ。そういう人々を衝撃的な入管問題に向けさせ、闘う母子への圧倒的な共感と感動を呼び起こした。
 ウィシュマさんが入管によって殺された時、この小説を読んでいた人々は「やっぱり、そうなのか!」と思っただろう。滞日・在日外国人や外国人労働者の存在と闘い、入管闘争の営々たる積み重ねが入管問題を社会問題化し、入管法改悪案の成立を阻止した。その中にあって、この小説が果たした役割は決して小さくないと思う。
 物語の中で成長していくマヤの姿には作者自身が投影されている。読売の上層部がこの連載を快く思っていなかったことは間違いない。入管収容所の事件の数々が作者を動かした。中島京子氏のがんばりにも私は感動している。

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