「前線基地化」進む石垣島 軍民共用で島丸ごと戦場に

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週刊『前進』04頁(3238号03面02)(2022/04/04)


「前線基地化」進む石垣島
 軍民共用で島丸ごと戦場に

(写真 建設中の陸上自衛隊駐屯地【石垣市】)


 3月23〜24日、全学連の有志で石垣島に行き、自衛隊基地建設反対で闘う地元の方に話を聞き、現場を見学させてもらいました。 はじめに、石垣島のある八重山諸島の歴史について教えていただきました。八重山の歴史に詳しい講師の方は、現在の石垣島への自衛隊配備は、明治政府がやろうとしたことと同じであると指摘しました。
 明治政府は当初、八重山諸島に全く興味がなく、日清修好条約の制定の過程では琉球列島から八重山と宮古島を割譲し、清国に押し付けようとさえしました(琉球処分と分島案)。その後、西表島から石炭が産出されることがわかり、清仏戦争も始まる中で日本政府は急転換し、八重山諸島を「南門の最要衝の地」(山縣有朋)と位置づけました。皇民化政策も強力に進められ、この過程で統治反対派への凄まじい拷問と「民族抹殺」とも言える同化政策が実施されました。
 八重山諸島には、鹿児島―沖縄―石垣―台湾を結ぶ海底ケーブルが敷かれるなど島全体が軍事要塞化されました。沖縄戦では、島全体が戦場となりました。日本軍はマラリア有病地帯と知りながら、その地帯に島民を強制疎開させ、3600人以上が「戦争マラリア」で亡くなりました。日本軍は、住民を守るどころか八重山の人々を敵視していたとも言われています。 次に白保空港反対闘争を闘ってきた方から、戦後の闘いを聞かせていただきました。1950年代以来、米軍は石垣島の軍事要塞化を狙っていました。住民の反対で止まった白保空港建設も軍事化の延長線上にありました。この政策は、今の日本政府に引き継がれていると言えます。自衛隊の南西シフトは、南西諸島全体にミサイル部隊を配備し、戦前と同じく八重山諸島を戦場にしようとするものです。お話を聞いて、戦争を絶対に許してはならないという思いがより一層強くなりました。
 レクチャーの後は、島を回って自衛隊基地建設の現場、反対運動の現場、八重山の戦争マラリア慰霊の碑を案内してもらいました。 基地建設工事の現場は、遠く離れた場所からでも森の中から突き出す巨大なクレーンが何本も見えました。驚いたのは、建設現場の近くにも住宅地があることです。こんな場所に基地をつくれば、島全体が戦争に巻き込まれることは明らかです。島の道路には、様々な場所に「戦場はイヤだ!命どぅ宝」など基地建設反対ののぼりが立っていました。沖縄戦で住む場所を奪われた本島出身の人々が住む集落もあり、そこでは基地建設反対の看板やのぼりが多く見られました。
 島には、巨大港湾施設もあり、そこには海上保安庁の船が密集していました。農業用土地改良、新空港、電波施設といった、民生用にしか見えないものにも軍事化計画が背景にあるという、島丸ごとデュアルユース(軍民共用)とでも言うべき状況です。戦争阻止のためには、軍事利用させないという闘いが必要であり、労働者が戦争反対で闘うことの重要性を再認識しました。
 2月に行われた石垣市長選は、オール沖縄側の候補が日本会議所属だった極右議員であり、基地反対派住民の反発がありました。資本家や自民党と手を組むというオール沖縄路線は破綻しています。全学連が、石垣島や宮古島など南西諸島の闘いに駆けつけ、共に闘い巨大な反戦運動と組織をつくり出すことが求められていると強烈に感じました。
 5月沖縄闘争の成功を勝ち取り、学生と労働者の団結した闘いで日米帝による世界戦争・核戦争を阻止しよう!
(全学連 A)

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