団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3272号04面04)(2022/12/05)


団結ひろば 投稿コーナー

福島・沖縄・三里塚は一つだ
 福島 柳沢幹男

 25回目の11月集会に今年も参加した。反対同盟の市東孝雄さんの連帯あいさつの際に、全国農民会議共同代表の小川浩さんと共に壇上に立たせていただいた。壇上から見た全国の闘う仲間たちは皆、解放感と闘いの息吹に包まれていると強く感じることができた。
 市東さんは、不当な強制執行に対する激しい弾劾とともに、軍事空港を阻止し戦争を止めること、国策と闘う福島・沖縄・三里塚を一つの闘いとして勝利するまで闘うと鮮明な決意を明らかにした。まったく同感だ。全国・全世界の闘う仲間の団結で、人間が人間らしく生きられる社会をつくるために闘おうという気概に満ちた、勝利感ある集会とデモだった。
 福島では、放射能汚染水の海洋放出をめぐって、カネに物を言わせるような矢継ぎ早の攻撃がかけられている。その本質は、三里塚や労働者人民にかけられている収奪・圧殺と同じものだ。とことん実力で闘い勝利することこそが生きる道だと、あの場にいたすべての人が感じたと思う。
 その思いを力に変えて、汚染水海洋放出阻止、核武装も原発も許さない、日米帝の中国侵略戦争を阻止する闘いとして、来年の3・11は福島市で開催し闘いぬく決意だ。全国から大結集をお願いします。侵略戦争阻止・岸田打倒、勝利の日まで共に闘おう!

甲状腺裁判の若者と連帯を
 改憲・戦争阻止!大行進神奈川 船木明貴

 311子ども甲状腺がん裁判原告たちの意見陳述を紹介します。「自分の考え方や性格、将来の夢も、まだはっきりしないうちに、全てが変わってしまいました」「恋愛も結婚も出産も私とは縁のないもの」(高校3年・女性、事故当時幼稚園年長組)。「病気になったのが、身内や友達ではなく、自分で良かった」「今もこれからも不安に思う人が300人以上いてその家族たちも不安に思っていることを伝えたい」(事故当時中学1年・女性)。原告の皆さんが刻まれた11年の日々がこれらの言葉ににじみ、切なすぎます。
 原告の7人は福島第一原発事故当時6~16歳の男女で、甲状腺がんの繰り返しの手術、全摘手術や転移、アイソトープ治療と再発など、人生が希望で膨らむはずの年頃に全てが閉ざされる絶望。しかも周囲からは「歩く風評被害」などと中傷され健康被害を口にすることもできず、保険やローンも難しく、再発を恐れながら薬を飲み続け、元には戻れない、それなのに存在自体をないことにされてきた若者たち。
 小児甲状腺がんの発症は通常100万人に1〜2人。それが、福島では約38万人に300人以上。これからを生きるために、そして多くの子ども・若者たちや家族の苦しみが少しでも軽くなるようにと、匿名で顔を伏せての訴訟であっても11年の時と思いを経て立ち上がったのです。
 東京地裁は小法廷を使用して、原告の意見陳述も制限しマイクもないという密室裁判を押し付けてきました。来年3月から大法廷に移り原告全員の意見陳述も認められたのは、全国からの怒りの署名や抗議の声の結集の力でした。
 この裁判の本質は、福島原発事故で放射能による激甚な健康被害が生じていることを真正面から告発し認めさせること。国・東電の将来にわたる加害との原告の若者たちの闘いに、さらなる連帯が求められます。

岡山大で自衛隊入構と闘う
 動労西日本書記長 山田和広

 10月27日、岡山大学と自衛隊の共同防災訓練阻止行動を闘った。10月13日の申し入れに続き、学生・教職員先頭に地域の仲間と、香川、山陰の仲間も参加し、多くの飛び入りの学生も参加した。
 朝から医学部職員組合の仲間を先頭に、自衛隊の学内入構阻止の座り込みを行い、昼休みには岡大全学連主催で集会。岡大生は基調報告で「中国侵略戦争のため、防衛省の研究開発費は1兆円に増額されようとしています。私たちが戦う相手は他国の労働者学生ではなく、私たちを戦争に加担させ戦場に送り込む権力者・政府です。岡大の軍事研究を阻止した力で、学問の場に軍隊を入れるな!」と訴えました。駆け付けた京大生も連帯アピール。
 集会後、大学で働く仲間を先頭に訓練会場に向けデモ行進。会場に近づくと、すでに裏口から自衛隊車両が入構していた。私たちは自衛隊車両を包囲して徹底弾劾。さらに、岡山理科大学横の三軒屋駐屯地(弾薬庫)から入ってきた幌トラックの前に座り込んで抗議。自治労倉敷の仲間は「災害時の住民避難を担うのは自衛隊じゃない、自治体職員だ!」、元大学教員の仲間は「大学の次は小中学校や高校へ自衛隊が来る」と弾劾の声を上げた。
 岡大当局は、抗議を受ける自衛隊トラックから職員が物品を運び出して訓練を強行し、さらに弾圧を狙い制服警官を学内に入構させた。絶対に許さない。
 岡山県の日本原や三軒屋の自衛隊は今年11月、北海道でロシアに向けて行われた日米共同演習にも参加し、2015年にはJR貨物で155㍉りゅう弾砲などを帯広まで軍事輸送している戦争部隊そのものだ。今回の防災訓練は、自衛隊広報が担当し何の関係もない海上自衛隊まで参加した。同じく11月5日には、倉敷市が主催する防災訓練に地対空誘導弾を展示しようとしたが、鳥インフルエンザへの災害出動を口実に展示をとりやめた。
 中国侵略戦争阻止、軍事研究を阻止しよう!

「渋谷事件の群像展」を開催
 徳島星野救援会 黒田 勇

 11月11〜12日、「沖縄返還50年と渋谷事件の群像展」を開催した。閲覧者は180人。ウクライナ戦争は収まる気配もなく、中国侵略戦争に向けて沖縄でも軍備増強がエスカレートしている。戦争を身近に感じる人が増えてきた。このなかで事実上の星野文昭さんの再審として、大坂正明さんの裁判が闘われている。
 大坂裁判には日本労働者階級、農民の死闘と革命的精神がある。それが検察側の虚偽の証言者を圧倒している。
 ベトナム戦争下の沖縄返還当時、基地の労働者は「自分の職場が無くなる」のに基地の無い返還を求め立ち上がり、あらゆる人々がそれに呼応して同時に行動を起こした。また、星野さん、大坂さんらも連帯して東京・渋谷でデモをした。老若男女が団結して、連帯して立ち上がった。それを個人としてではなく、群像としてよみがえらせたいと思う。
 みなさん、大坂さんの冒頭意見陳述の「五つの無実」を熱心に閲覧された。88歳男性は「戦争中は勉強も思うようにできなかったし、食べるものにも困った。新制中学校でも生活は苦しかった」。86歳女性は「小学生で徳島空襲に合い、学校は焼け、教頭先生が亡くなった」。赤ちゃん連れの30代の夫婦は「辺野古の基地は許せない」とつぶやいた。
 終わり際には、9歳の女の子も一生懸命に感想を書いてくれた。星野さんの絵や沖縄ゼネストの写真を見ながら、今の戦争、沖縄の現実について意見を交わすことができた2日間であった。

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