三里塚闘争 農地死守を貫き57年

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週刊『前進』04頁(3287号02面02)(2023/03/27)


三里塚闘争
 農地死守を貫き57年

(写真 市東孝雄さん)

 ベトナム戦争真っただ中の1966年7月、日本政府は、ベトナムへ飛び立つ米軍機のチャーター利用で手狭になった羽田空港の代替空港として、千葉県成田市三里塚を中心とする地域に4千㍍級滑走路を持つ新空港を建設すると閣議決定した。事前に何の説明もなく、「寝耳に水」で自分たちの農地が取り上げられることを知った現地の農民たちは怒りに燃えて「三里塚芝山連合空港反対同盟」を結成。以来「農地死守」の原則を守り、71年の2次にわたる強制代執行などの攻撃に対して、動労千葉や全学連をはじめ全国の多くの支援者と共に実力闘争を貫き、今日まで空港完成と軍事利用を阻んできた。
 政府・空港公団(現NAA)は、殺人をも伴う機動隊の暴力と卑劣な買収工作で農地取得を図ったが、市東孝雄さんら不屈の反対同盟農民の農地を奪うことはできなかったので、市東家に隠して地主からひそかに底地を買収。文書や印鑑の偽造にまで手を染め、裁判で農地強奪を認める不当判決を出させた。

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