団結広場 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(3292号04面06)(2023/05/01)


団結広場 投稿コーナー

団結の力でもぎ取った議席
 首都圏・学生 福田 薫

 ほらぐちさん当選を心からうれしく思う。団結の力でもぎ取った1議席だ。これまで政治から遠ざけられていた私は、この選挙で初めて候補を全力で応援し、街頭でマイクを握った。
 「リベラル」勢力は労働者の味方であるかのような文句を口にしながら、結局はすべてを裏切っていく。それは岸本区長の振る舞いが語っているし、全国的な低投票率もそれに対する不信の現れだ。そんな中でほらぐちさんが労働者の立場=戦争絶対反対を貫き、「左」右からの攻撃をはねのけ再選を果たしたことは総翼賛化する議会に巨大な風穴を開けた。
 ほらぐちさんの議会闘争で注目を集めた「性の多様性条例」反対が、選挙戦でも一つの焦点になった。私は街頭で性的少数者当事者として支持を訴えた。先日G7外相会合が性的少数者の人権擁護をうたう、当事者をなめ切った共同声明を発した。リベラルな姿勢を見せながら被抑圧人民を権力者に救済されるだけの存在におとしめ、戦争の論理に組み入れていくものでしかない。杉並区の条例も結局同じことだ。私はこんな欺瞞(ぎまん)を絶対に許せない! 労働者と女性・性的少数者の自己解放の立場に立ち切るほらぐちさんこそ、私たちの仲間だ。
 応援演説では「単なるほらぐちへの1票ではなく、自分自身の決起として票を投じてほしい」という訴えが度々なされた。右翼の襲撃を目の当たりにしながらほらぐちさんに投じられた2632票は、まさに一人ひとりの決起だ。これらの人々と固く連帯しながら、団結の輪を千倍万倍に広げなければならない。
 ほらぐち選挙勝利の地平から5・15沖縄とG7広島サミット粉砕の大闘争を勝ちぬこう! 労働者の力を全世界にとどろかせよう!

戦時下の入管法改悪許すな
 東京 佐々木 舜

 戦時下で狙われる入管法改悪を絶対に止めよう。
 国家にとって「必要な」人間と「必要ではない」人間とを分ける。コロナ下で「命の選別」が顕在化したが、そのずっと前から、こうした選別と分断は続いてきた。いや、支配のための選別と分断、つまり「異分子」の排除こそが「国家」の本質だ。そのことを最も明け透けに示すものこそ入管体制であり収容所だ。
 「多様性の尊重」「異次元の少子化対策」などとドヤ顔で語る支配者たちは、親が「非正規滞在者」であるというだけで、18歳になった瞬間から入管施設に収容される恐怖にさいなまれながら暮らす子どもたちの現実を知らないわけではない。「見えない監獄」と呼ばれる「仮放免」者の現実、労働することはおろか県境の川一本渡れない生活を知らないわけではない。日本帝国主義の侵略戦争で郷里を奪われ、言葉を奪われながらも闘って生き抜いてきた在日の人々の苦しみと誇りを知らないわけではない。これが帝国主義だ。
 審議入りを受けて国会前で行われた抗議行動では青年・学生の姿が目立った。「これは『外国人の問題』じゃない」という訴えには大きな拍手がわいた。アフリカにルーツをもつ別の学生は「すべての人が自由にならないうちは、誰一人自由ではありえない」という私も大好きなスローガンを紹介した。国籍で人間を分断し支配する国家のもとで自由に生きられる人などいるはずもない。入管体制は私たち「日本人」を縛り付けるための鎖でもある。
 「入管法改悪反対」では足りない。日帝が朝鮮・中国への侵略戦争を通して構築した入管体制の全てをたたき壊し、社会を根本からつくり変えよう。新たな戦争を阻む道もここにある。

安重根の決起を受け継ぐ道
 東京 櫛渕秀人

 旅順刑務所に収監されていた安重根(アンジュングン)は処刑当日の1910年3月26日、安に心服していた日本人看守・千葉十七に「東洋に平和が訪れ韓日の友好がよみがえった時、生まれ変わってお会いしたいものです」と述べました。この場面に安重根という人物の全てが凝縮されているように思えます。
 安重根は、09年10月26日に朝鮮初代統監・伊藤博文をハルビン駅頭で狙撃・打倒した朝鮮の義士です。暴虐の限りを尽くした朝鮮侵略の先兵・伊藤に対し、ロシア兵数千人と日本官憲の監視の中で単身決起しました。そしてロシア革命の風を頬に感じることなく32歳の短い生涯を終えました。
 大日本帝国が行った朝鮮・中国侵略戦争。敗戦から78年の今、日本帝国主義は戦後的制約を取っ払い、大軍拡と中国侵略戦争へ突進を始めました。沖縄はすでに戦場化しています。この情勢を前に安の決起に向き合い、引き継ぐとはどういうことか。彼のなそうとした「東洋平和」とは何か、どうしたら可能なのか。
 安の生きた19世紀後半から20世紀初頭は帝国主義の勃興期です。東アジアでは英仏ロが植民地争奪戦を展開し、遅れて登場した日本も参戦。歴史的大動乱の中で、民衆が新たな時代を模索していた時です。安は獄中で「東洋平和論」を執筆。「東西六大州に大砲の煙と弾丸の火が絶え間な」い状況を嘆くとともに「東洋平和」を訴えました。
 未完に終わった安の東洋平和論とは、朝鮮、中国、日本人民による新しい共同体とは考えられないでしょうか。まさに今、日本、南北朝鮮、中国人民の共同の闘いによる東アジア革命が俎上(そじょう)に上ってきています。この力で日帝を今度こそ倒す。こうした偉大な事業こそ、安の決起を今日的に受け継ぐことではないかと考えます。

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