団結ひろば 投稿コーナーサミット粉砕闘争を闘って②

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週刊『前進』04頁(3297号04面04)(2023/06/05)


団結ひろば 投稿コーナー
サミット粉砕闘争を闘って②

G7への民衆の怒りを実感
 東京・青年 大橋 良

 「そりゃ心の底から歓迎している人なんていないでしょう」。5月20日のデモとデモの間の昼休みに入った飲食店の店主はそう率直に言っていた。その言葉に正直驚いたが、G7サミットを戒厳令下で行い、しかもその内容は「平和」をかたって戦争を推進する戦争会議。民衆にとっては百害あって一利なしだ。
 政府は「ウクライナを助けなきゃダメでしょう」を掛け声に総翼賛体制づくりに躍起だが、人々は政府の思惑ほど政府にだまされてなどいない。メディアや各種言論人を動員して「平和を乱す悪いロシア・中国をやっつけるために軍備増強して戦争準備だ」という宣伝をする中で開催されたG7だが、「広島ビジョン」での核軍拡の居直りは被爆者、そして反戦を掲げて闘ってきた労働者階級の怒りを呼び起こした。そして岸田がこのG7で一番やりたかっただろう「ゼレンスキー電撃訪問」に合わせて国家意思として「鬼の4機」(第4機動隊)による完全なるでっち上げ弾圧を強行したことは、広島市民、そして国内外の民衆に多大な驚きと怒りをもたらした。こうした一連の事態に恐怖した現代の隣組、ネット右翼は「被爆者団体はロシアに利用されている」「逮捕されたからにはデモ隊が悪いに決まっている」などと支離滅裂な罵詈(ばり)雑言を繰り返しているが、帝国主義者の最期の始まりを前にした断末魔の叫びだ。民衆には戦争政治への怒りがあふれている。それと必ずや結びついて闘いたい。土日しか行けなかったが、その決意を新たにした。

警察の醜態を世界に暴いた
 千葉県反戦青年委員会 中井裕也

 今回の広島サミット闘争は非常に大きなものでした。サミット闘争へ至る過程では様々な弾圧もあり、サミット前日のデモ段階でもなお弾圧が増えるような状況にあった中での広島入りとなりました。
 広島市街地は警備の山による厳戒下で、街そのものが獄中と化した様相となっていました。街中で見聞きした「一生分の警察を見た」「これじゃ災害と変わらない」という言葉は、サミットに対する広島市民の率直な言葉でしょう。
 電鉄労働者もこの交通規制により大変な労働強化状態に置かれ、商店街では警視庁が悪態をつく。何のためのサミットなのか、戦争のためでもあるし、何より岸田の選挙地盤へのアピールです。
 デモは3日間(前段日を除く)やり抜かれ、自分も防具と「要求貫徹」と書かれたハチマキを装備しやり抜きました。
 デモの最中にはひどいでっち上げ弾圧も繰り返されましたが、日本の警察の醜態が全世界に暴かれる格好となりました。岸田のもくろみは外れ、アピールされたのは出張先で迷惑をかける警視庁および全国の警察の姿であり、警察官は暴力装置でしかないという事実だったと思います。
 ところで広島県ではJR芸備線の廃線問題が巻き起こっています。自分も「芸備線を守る会をつくろう」と思った時がありましたが、なにぶんもう何年も当該区間に乗っていません。8月は自らの足で芸備線を乗り通してみなければならない。今から旅程を練っておきます。

デモへの応援に勝利を確信
 日教組香川三観地区教組執行委員長 片山元久

 広島G7サミット反対の闘いは、教え子を再び戦場に送らない闘いそのものでした。岸田政権はゼレンスキーをG7に呼び、ついに交戦国の一方を全面的に支援するという日本の参戦をしました。権力者たちの狙いは、沖縄やヒロシマ・ナガサキを先頭とする日本労働者階級の反戦意識の解体にあります。教育労働者でいえば「教え子を再び戦場に送らない」のスローガンを下ろさせることにあります。
 私は、学生時代に広島で過ごしました。夏が近づくと近所の年配の方が、「暑いのお。あの日、あなたはどこでいらっしゃいましたか?」と、8月6日の話をしていたのを記憶しています。その時から私は戦争と核兵器は絶対反対という思いで生きてきました。「教え子を再び戦場に送らない」は私の教育労働者としての生き方そのものです。
 広島サミットが近づく一週間ほど前、職場の人や仲間に折り鶴を折ることを呼びかけました。職場の仲間、家族までが応えてくれました。大勢の市民、労働者の人たちが、デモをする私たちを応援してくれていました。それを感じたとたん、勝利した! と確信しました。しかし、その人たちが闘う私たちと団結することに恐怖した国家権力・機動隊は、文字通り暴力で学生を弾圧したのです。絶対に許せない!
 今こそ闘う学生と団結し、労働者らしい闘いをやる時が来ています! 教育労働者は「教え子を再び戦場に送らない」闘いをやり抜くことです。職場の闘いを通して、組合の組織化を実現します!

ミャンマー人がG7に抗議
 ミャンマー連帯行動実行委員会 鎌田由子



 5月19日午後、G7サミットが開かれた広島に全国から80人の在日ミャンマー人が集まり、「日本政府はミャンマー独裁軍政を認めるな」と抗議するデモを行いました(写真)。ちょうど8・6ヒロシマ大行動が本通を行進していた時、ミャンマーのデモは電車通りを紙屋町交差点に向かっていました。21日にも在日ミャンマー人は広島、東京で抗議デモをしました。
 ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」(AAPP)の発表によれば、19日時点でクーデターから3558人が国軍に殺されるなど、民主化を求めるミャンマー民衆への過酷な弾圧が続いています。しかし、岸田政権は国軍の暴挙に対し、抗議さえしていません。むしろ中国侵略戦争に向けてミャンマー国軍との「緊密な」関係を維持しようとしているのです。
 5月中旬、ミャンマー西部のラカイン州を大型サイクロンが襲い、ロヒンギャ難民キャンプで死者が500人を超える大きな被害が出ています。被災地の北西部ザカイン管区は民主派の拠点であり、4月に国軍が住民の集まりを空爆、攻撃ヘリで機銃掃射し子どもを含む100人もの住民を虐殺した所です。国軍は救援物資の輸送を阻む許しがたい対応に出ています。
 武装して国軍と戦い〝春の革命〟の勝利を目指すミャンマー人と連帯し、労働者の敵=岸田政権を打倒しましょう。

ヒロシマの怒り甘く見るな
 多摩連帯ユニオン書記長 加納敏弘

 広島サミット粉砕闘争に参加しました。今回の闘争で強く思ったのは、労働者の力で戦争は止めることができるし、支配階級がどんな組織的暴力(機動隊)を発動しようと、そんなものは革命党と労働者民衆の怒りが結びつけば粉砕できるということです。
 広島の街に着いて驚いたのは、広島駅の構内を警察官が金属探知機を手にして警察犬を連れて歩いていたことです。また、サミット警備を理由に交通規制がしかれ、路面電車も間引き運転が強制され、運転士が「サミット警備のため歩いて行った方が早い」と乗客に言わされていることです。
 会場に向かうときに利用したタクシーの運転手は、「土日は稼ぎ時なのに商売にならない」と言っていました。これだけ見ても、労働者民衆の生活を犠牲にして強行されたサミットであることは明らかです。
 岸田政権は、広島出身(実は東京生まれ)をかたり、2万4千人の警備でサミット反対デモなど潰せると踏んだのでしょう。しかしそうは問屋が卸さなかった! ヒロシマの怒りが実力デモを実現させた! デモへの沿道の注目は半端ではなかった。岸田よ、ヒロシマの怒りを甘く見るなということです。
 アーケード街でのデモは実に楽しかった! 自己解放的な「機動隊帰れ!」とのコールが権力を圧倒していました。この闘いを地域に職場に返していきましょう。

世界に示した戦争絶対反対
 京都 会沢正道

 今回のG7粉砕連続行動は、我々の手で歴史の歯車を大きく動かしたと思います。デモ一つで、強いられた歓迎ムードの広島を一変させ、抑圧されていた民衆の怒りを解き放ちました。そのことに恐怖した機動隊の暴力的弾圧は、広島サミットの正体が戦争会議でしかないことを満天下に示しました。最も重要なことは、戦争絶対反対を貫く勢力が日本に存在することを世界中にアピールしたことでした。
 これが実現できたのは、1970年安保沖縄闘争で確立された「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」という路線が、50年を超える時間を経てついにその真価を現したということに尽きます。
 3・11福島原発事故で、経済成長という国家目標を喪失した日本帝国主義が生き残る道は、中国侵略に乗り出すしかありません。70年代と異なるのは、総評や社会党といった新左翼の宿り先がないことであり、さしあたり極小の中核派だけで闘うしかありません。逆に言えば修正主義、改良主義、待機主義、護憲の通用する余地がないということです。
 G7粉砕連続行動に参加した人は、実は多くの民衆が戦争の危機と日本社会の没落を予感し、行動の指針を求めていると感じ取ったのではないでしょうか。今こそ「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」「日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」という正確な路線の終着点へ突き進む勇気と主体性が試されています。

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