十亀弘史の革命コラム 第9回 ミャンマーにおける内乱

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週刊『前進』04頁(3310号04面05)(2023/09/11)


十亀弘史の革命コラム 第9回
 ミャンマーにおける内乱

 映画「ミャンマー・ダイアリーズ」を見ました。クーデター後に一般の市民が撮った記録映像と、映画作家10人による創作映像をつないだ、70分の作品です。全篇に軍政への強い怒りがみなぎっています。
 戦争を内乱へと言う時に、では内乱とは具体的にどういう状況をいうのか、そのイメージをつかみたくなります。もちろん、ロシア革命を第一として、歴史の中からいくつかの内乱の具体相を学ぶことができます。その上で現在的には、「ミャンマー・ダイアリーズ」によっても、内乱を知ることができると実感しました。
 映画から、私が感じ取った、内乱の指標を何点か挙げてみます。まず、広範囲の、日常的な激しい闘いがあります。デモや街頭集会、弾圧に対して街中から鳴らされるフライパンや鍋をたたく抗議の音、機動隊員を叱り続ける女性、強固な三本指のサイン、など。社会が常時、青年層を中心に怒りで沸き立ち、その広さと深さが内乱の基底をなしています。
 一方で、闘いへの苛烈(かれつ)な弾圧があり、悲痛な犠牲も生まれます。軍と警察がデモ隊に襲い掛かり、殴りつけ、発砲し、殺害します。住まいを襲う突然の連行。街頭には民間人の服装で集会参加者を襲撃するグループがあります。街路に放り出される死傷者。内乱においてむき出しの暴力との激突は不可避です。
 当然に、闘う側に武装への意思が生まれます。何人もの町の青年が、ジャングルに入り少数民族の武装組織から軍事訓練を受け始めます。初めて銃を手にした青年が、訓練で的を撃つと、見ていた仲間たちが後ろから励ましの拍手を送ります。射撃と拍手の取り合わせに胸を突かれます。人民の武装や、既成の軍隊の革命への獲得は、内乱の必須の道です。
 そして、内乱の核心は、常に明確に権力奪取を目指すことです。直接には語られませんが、映画の根本の主題は、人民は権力を奪い返せ、ということだと思います。戦争を止めるには内乱しかない、と言う時、それは戦争へ突き進む帝国主義権力を打ち倒して、労働者階級が自らの権力を打ち立てることです。
 ところでミャンマーの内乱は、日本においても在日ミャンマー人によって豊かに闘い抜かれています。日本の支配階級がミャンマーの軍政を支えていることを思えば、闘うミャンマー人との強い連帯が求められています。
(そがめ・ひろふみ)

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