大坂同志の無罪奪還を(下) 中田賀統 元法政大学第一経済学部自治会委員長 供述調書は検事らのでっち上げ

週刊『前進』04頁(3324号03面03)(2023/12/18)


大坂同志の無罪奪還を(下)
 中田賀統 元法政大学第一経済学部自治会委員長
 供述調書は検事らのでっち上げ


 裁判の中で検事・中津川による供述調書でっち上げの暴力的実態は明らかになった。公判廷で証言したAR、AO、ITの3証人のうち、AO、IT証人は供述調書を否定し、ARは維持した。
 AO証人は、「大坂さんとは今日の法廷が初対面」と証言した。中村巡査殴打現場で大坂さんは見ていないとも証言。「自分で見たこともないことを話してしまったというのかな、そういうことなんですね」「覚えていないことでも覚えていたかのように言わないと、捜査官を納得させないと取り調べは終わらないので」と述べた。
 IT証人は「供述調書は検事の作文」であると怒りを込めて証言した。「お前だけだ、他はもう(調書が)できあがっている。だからお前が言え。そういう責めでずっとやられまして」「ただ大坂だろう大坂だろうって。道案内は大坂だろう、から始まって、ずーっと3日も4日もぶっ続けですからね。そういう映像が浮かぶようになったんです」。承認しなければ終わらない「取り調べ」が強行されたのだ。これを権力のでっち上げ犯罪と言わずして何と言うか。
 1971年11・14闘争当時、ARは16歳、AOは18歳、ITは19歳。朝8時過ぎから夜の午後7時過ぎまでの取り調べ。就寝時間を越え午後10時を過ぎることもあった。「殺人罪でお前は一生、獄中でもいいのか」と恫喝。それが2カ月も続いた。捜査官の誘導で、捜査官の書いた調書に署名して「調書」ができあがった。このような調書に信用性などないことはあまりにも明らかではないか。

AR自ら当時の供述調書を否定

 ARの供述調書では、もっとすさまじいでっち上げが行われた。論告は、AR供述には「創作では到底語り得ない迫真性」があるというが、それは次の供述を指している。
 AR「大阪さん(ママ、大坂の名を誤記!)が、機動隊員を殴っている時の顔は、目を大きく見開き大きな目をよけい大きくさせ、顔をひきつらせていたのがとても印象的でした」
 これは中津川自身が書いたものである。これは誘導ですらない。こうだろう、こうだろう、こうだろうという中津川の創作である。あまりにも貧困な想像力だ。ここに迫真性などない。
 しかも重要なことに、2017年6月、ARは大坂同志が逮捕された後の東京地検での事情聴取で自らの供述調書を否定する供述をしているのである。
 検察官 大坂さんが何か言葉を発していたかどうかに関しては記憶はありますか?
 AR 特に叫んだとか何とかいうことはなかったように思いますけど。
 検察官 目はどうでしたか。その時の大坂さんの目元の印象は残っていますか?
 AR 特に注意していたわけではないのでよくわからないんですね。
 検察官 なんでもいいんです。たとえば「やれ」とか。何か記憶にないですか。
 AR ないです。無我夢中で、耳にはいっていないかもしれない。
 検察官 もっとストレートに聞いてしまうと、その時にその場にいた誰かが「殺せ、殺せ」と言ったということは?
 AR 記憶にないです。
 検察官は、中津川が作ったAR供述調書に沿って、何とか大坂同志が「殺せ、殺せ」と叫んだと言わせようと繰り返し誘導したが、目的を達成することはできなかった。この問答は、ARの供述調書が中津川の貧困な漫画的作文であったことを証明している。
 弁護団は、写真という揺るがすことのできない物証をもって大坂同志の無実を明らかにした。取り調べ自体の違法性をもって供述調書が警察、検察の強制であること、その「供述」は取調官のでっち上げストーリーであることを暴いたのである。
 大坂同志は無実だ。公判を通してこのことが完全に明らかになった。検察の論告は全面的に破綻している。裁判長は真実と証拠に基づいて無罪判決を下せ。
 世界戦争が日々世界を巻き込みつつあり、「沖縄の再びの戦場化を許すな」の闘いが新たに巻き起こる今日だからこそ、大坂裁判に勝たなければならない。無罪戦取へ12・22判決公判に決起しよう。
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