能登震災 新自由主義が招いた惨禍 軍事優先で被災地切り捨てる岸田

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週刊『前進』04頁(3327号04面01)(2024/01/15)


能登震災
 新自由主義が招いた惨禍
 軍事優先で被災地切り捨てる岸田


 能登半島地震は新自由主義による地方切り捨てと崩壊の現状を突き出し、何より軍事優先で労働者人民の命など一顧だにしない岸田政権の醜悪な姿を明らかにした。当日被災した仲間の現地ルポです。(編集局)

ほとんどが「殺された命」だ

 実家が石川県羽咋市(倒壊十数棟、死者1人)にあり、1月1日に元旦郵便局ビラを終え、新幹線とレンタカーで能登の実家に帰省した。一人暮らしの94歳の母に再会して約50分後の午後4時10分、大地震に見舞われた。縦揺れか横揺れか全く覚えていないが、とてつもなく激しく長い時間だった。
 携帯アラートが鳴り続け、テレビとラジオは「津波です。すぐに逃げて」とがなりたてる。腰の抜けた母を車に乗せ、とにかく遠くへ逃げ始めたが、避難渋滞で30分間はまだ海岸から1㌔メートル、海抜3㍍あたりにいた。冷静ではなく、免許証も財布も持たず、家のブレーカーも落とさず、母はサンダル履きのまま。来るかわからない津波を思い「死ぬ」と感じたことは確かだ。山沿いの標高50㍍あたりで4時間避難待機し、家に戻った。翌日未明までの余震120回と30回ほどのアラートは不安だけを駆り立てた。
 母は「お母さん一人やったら、あのまんま寝そべって動けんで死んどったかもしれんな」と涙ながらに振り返るが、「生きていて良かった」と励ましあった。もし、マグニチュードや津波が少しでも高ければ、犠牲者は桁違いに増えていただろう。
 田舎の病院や施設は逃げようがない。人手も手段もない。事実、車での移動途中、玄関前に立っているおじいちゃんに「乗って。いっしょに、逃げよう」と声をかけたが、ニコニコと手を顔の前で左右に振るだけだった。どんな事情があるかは知る由もないが、家の中に連れて行けない連れ合いがいたかもしれない。
 奥能登4市町の惨状はあまりにひどい。死者百数十人。加えて安否不明者が倒壊した家屋の下で何日も埋もれている。殺された命だ。能登半島周辺の活断層とこの数年間の活発な地震活動をみれば「危ない」ことははっきりしていた。選択と集中、地方切り捨て、新自由主義が今回の惨禍を引き寄せたことをはっきりさせなくてはなりません。
 災害は新自由主義(最末期資本主義)の姿をあらわにした。2日の輪島の映像が事態をはっきりと伝えています。燃える200軒を相手に消火活動にあたるのがわずか3台の消防車。倒壊した7階建てのビルで「頑張れ」と声をかけながら手動のエンジンカッターで救出しようとしているのがわずか数人の消防隊員。多くが殺された命だ。
 北陸の主要紙・北国新聞の元旦一面で、石川県の新年度の目玉方針が「能登空港に『統合病院』 奥能登4病院機能集約」と出されています。現在、輪島市、珠洲市、能登町、穴水町(激甚被害4市町そのものです)にそれぞれある公立総合病院が人手不足、「医療過疎」で維持できないから整理集約して、この4市町の真ん中に機能と人材を集約した「統合病院」を設置するというものだ。既存の4公立病院を「かかりつけ医の拠点として残す」方向だという。今でさえ買い物も通院もままならぬ住民にどうやって通えというのか。「かかりつけ医の拠点」とはちょっとした診療所のことだろう。今でさえ足りない医療を縮小・廃止し強奪するということだ。
 鉄道(交通)も医療も教育も能登(地方)から奪ってきた国と県が、あからさまな棄民化政策を開き直って合理化をさらに推進するつもりだ。さらに重大なことは、日本海を俯瞰(ふかん)する軍事拠点(能登空港)に高度救急救命(トリアージ)を附属させることだ。中国侵略戦争への踏み込み、準備そのものだ。
 ブルジョアジーの手先としてオリンピック招致のため、もうけのために「いくらでもある官房機密費」を嬉々(きき)としてばらまいていたのが現石川県知事の馳浩だ。この2年間、我々は革命の党、共産主義者として全面的に闘ってきた。間に合っています。階級の悲しみ、怒り、気づきと結びつき、戦争絶対反対、自国帝国主義打倒へ、団結してともに闘いましょう!
(杉並 木梨義孝)

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