能登震災志賀原発で大事故 余震続き危機進行中 全原発の即時廃炉を

週刊『前進』04頁(3328号04面02)(2024/01/22)


能登震災志賀原発で大事故
 余震続き危機進行中
 全原発の即時廃炉を


 米日帝の中国侵略戦争が急加速する中で、能登半島大震災と羽田空港事故という衝撃的な事態が発生した。今回の震災は、多発する群発地震を放置し地方を切り捨ててきた結果起こった人災だ。志賀原発大事故で改めて原発の危機性も露呈した。岸田政権の再稼働攻撃を粉砕し、全原発を廃炉にしなければならない。

道路の寸断で原発事故避難不可能に

 北陸電力の志賀原子力発電所と東京電力の柏崎刈羽原子力発電所は余震が続く中、危機は今なお進行中だ。地震による道路寸断と孤立、津波による被害と積雪による交通途絶、それらと原発事故が重なった時、膨大な地域住民全体が避難できず放置され、苛烈な被曝を強制される。いったん原発事故が起これば避難など不可能だ。
 志賀原発1、2号機は、能登半島珠洲市の震源からわずか65㌔しか離れておらず、志賀町でも震度7という最大の揺れを観測した。発表されているだけでも、使用済み核燃料プールを冷却するため外部から電気を受ける変圧器2台の配管が壊れて、絶縁や冷却のための油が漏れ出し、一部の系統が使えなくなった。復旧に半年以上かかるという。火災が起きたという話もある。実際2007年7月の新潟県中越沖地震では柏崎刈羽原発3号機の変圧器が火災を起こしている。さらに地震が起きればフクシマが繰り返される。
 モニタリングポストは、約120カ所のうち最大18カ所で一時測定ができなくなった。これだけの被害があるのに、どうして「安全上問題はない」と言えるのか。直ちに廃炉にしろ。

核武装のための再稼働攻撃を許すな

 そもそも志賀原発は、1999年に起こした臨界事故という重大事故を8年間も隠蔽(いんぺい)していたいわく付きの原発だ。
 昨年、原子力規制委員会は「敷地内に活断層はない」と2016年の判断を覆した。11月に志賀原発を視察した経団連の十倉雅和会長は「早期の再稼働を期待」と述べ、再稼働攻撃が切迫していた。
 今回の地震の揺れの強さを示す加速度は、1号機で最大957ガルを観測し、旧原子力安全・保安院時代に設定した想定値を39ガル上回った。2号機も25ガル上回る871ガルだった。耐震基準がデタラメなのは複雑に各種配管が絡み合った原発の構造に原因がある。そもそも耐震強度を上げられないのだ。全世界のマグニチュード6・0以上の地震の17・9%が日本周辺で発生する、世界で最も危険な「地震大国」日本に原発などという危険千万なものを造ること自体無理なのだ。
 日帝・岸田は核武装をも狙い、老朽原発の再稼働を含む原子力政策の大転換に踏み出した。岸田は能登半島地震をショック・ドクトリン的に悪用し、戦争国家化に突進している。反戦・反核・反原発を一体の闘いとして日帝の戦争策動を阻止しよう。全原発の廃炉へ、3・11反原発福島行動の大成功をかちとろう。

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