■マルクス主義・学習講座 労働組合と国家――資本主義国家と闘う労働組合(4) 丹沢 望

月刊『国際労働運動』48頁(0455号05面01)(2014/07/01)


■マルクス主義・学習講座
 労働組合と国家――資本主義国家と闘う労働組合(4)
 丹沢 望

(写真 クリーブランド・フィッシャー・ボディ工場の労働者2000人が座り込み、GMの大ストライキの引き金を引いた【1936年末】)


目 次  
はじめに
第1章 労働者と国家の闘い
   ・階級対立の非和解性の産物としての国家
   ・国家に対する階級闘争の歴史
   ・革命の主体、労働者階級の登場
   ・マルクスの労働組合論(以上、4月号)
第2章 労働組合の発展史
   ・初期の労働者の闘いと国家による弾圧
   ・マルクスの労働組合論
   ・パリ・コミューンと労働組合
   ・サンジカリズムの台頭(以上、5月号)
   ・ロシア革命と労働組合
   ・30年代のアメリカ労働運動(以上、6月号、今号)
   ・労働者階級の自己解放闘争と労働組合
   ・暴力について
第3章 パリ・コミューンと労働組合
   ・労働組合と革命
   ・コミューン時代の労働組合
   ・労働の経済的解放
第4章 ロシア革命と労働組合
   ・05年革命とソビエトの結成
   ・1917年2月革命と労兵ソビエトの設立
   ・労働者国家を担う労働組合

▼アメリカ共産党

 アメリカ共産党はロシア革命の勝利を契機として1919年に結成された。当初はAFL内反本部派の労働組合教育連盟に一定の影響力を持っていた。共産党は最初は「二重組合」(AFLから脱退し別個に組合を立ち上げる)に反対していた。
 しかしスターリン主義的に変質したコミンテルンは27年に突如として「二重組合」方針に転換した。アメリカ共産党は、これに追随し、28年後半からAFL傘下の共産党の影響力の強かった労働組合を脱退させ、労働組合統一連盟(TUUL)を結成した。その結果は労働組合への影響力の大幅後退だった。
 大恐慌が深化し、全世界で30年代階級闘争が革命と反革命の激突として大爆発していくが、スターリン主義は、国際プロレタリアートの闘いを「ソ連防衛」の手段としてのみ位置づけ、各国のプロレタリア革命を内部から裏切る反革命の役割を果たした。それはアメリカ階級闘争においても同じだった。
 コミンテルンは28年に「第3期論」という資本主義危機論と「社会ファシズム」論を打ち出した。これは世界最強と言われたドイツ労働者階級をナチス反革命の前に武装解除し、壊滅に導いた最悪の路線だった。
 アメリカ共産党は、この「第3期論」に従って失業者を軸に戦闘的な大衆闘争を展開した。しかし「第3期論」は、危機にある資本主義の突っかえ棒である社会民主主義を倒せば資本主義は自動的に崩壊するという客観主義であった。
 資本主義の危機において、革命の準備のために職場で労働組合をつくり、拠点化し、積極的・意識的に党と労働組合を一体的に建設していくという主体的な観点はまったくなかった。
 アメリカ共産党の31年9月の党内報告によると、約1万人の党員の中で「職場の核」に組織されているのはわずか4%だった。
 33年、大恐慌の下で絶望的危機に陥ったドイツ金融資本は、ナチスに国家権力を渡し、ドイツ労働者階級の一掃と侵略戦争・世界戦争の道へ踏み込んだ。
 ドイツの対ソ侵攻を恐れたソ連スターリン主義は、35年5月にフランスと相互防衛条約を結んだ。同年7月にコミンテルンは、反ファッショ人民戦線戦術を打ち出し、「ファシストに対抗するために社民や自由主義ブルジョアジーと幅広い統一戦線を形成せよ」と指令を発した。
 アメリカ共産党は、この方針に従った。社会主義者、自由主義者、そしてルーズベルトの民主党にいたる幅広い統一戦線を目指した。これは打倒すべきアメリカ帝国主義ブルジョアジーとの反ドイツの統一戦線であった。レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ」という革命路線の裏切り、恐るべきマルクス主義への敵対、階級性の放棄であった。共産主義革命の旗を投げ捨てる行為であった。
 アメリカ共産党が組織した反戦反ファシスト連盟は、39年の大会には政府の内務長官から祝辞が届き、2人の下院議員を会員に加え、会員数700万人に達したという。完全に体制内化した姿をさらけだした。
 36~37年頃、CIO運動が大発展していた。CIOで活動していた共産党員は、組合の指導的な位置についていた。CIO指導者のジョン・ルイスは元々反共主義者であったが共産党員を労組活動家として積極的に利用していた。共産党の拠点組合であった海員連合組合や毛皮労働者組合はAFLを脱退し、CIOに加盟した。CIOの爆発的な発展とともに共産党の影響力を拡大していった。最大時にはCIO傘下の約40%がアメリカ共産党の影響下にあったと言われる。
 しかしそれはニューディールとルーズベルトを支持する運動であり、ソ連スターリン主義を「防衛」するための運動であり、革命を裏切る運動であった。
 そして39年8月、突如として独ソ不可侵条約が締結され、9月にドイツ軍とソ連軍は東西からポーランドに侵略戦争を開始し、これに対して英仏が宣戦布告して第2次世界大戦が始まった。コミンテルンは、これまでの「反ファシズム」を投げ捨て、アメリカの仏英の側への参戦に反対するようにアメリカ共産党に指示した。
 これを機に、反ファシズム統一戦線に結集していた労働者人民は一斉に共産党から離れていった。
 ところが41年6月、ドイツは独ソ不可侵条約を破棄して対ソ戦争に踏み切った。ソ連スターリン主義は、またもや態度を百八十度ひっくり返して今度は連合国(仏英ソへ)の全面協力をアメリカ共産党に指示した。アメリカ共産党は、またもや豹変して、第2次世界大戦を「ファシズムと民主主義との戦争」だと言い、「アメリカの対ドイツの即時参戦」を要求した。
 アメリカは、以前から仏英の側に立って事実上参戦していたが、41年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃をもって第2次世界大戦に全面的に参戦した。
 戦時下においてアメリカ共産党は、この帝国主義戦争を全面的に支持し協力した。しかし労働者は、戦争のための労働強化と賃金抑制に怒り、山猫ストなどに決起した。対日戦争中の44カ月間に1万4471件のストが行われ、677万人がストに参加した。AFLもCIOも労働者のストライキに対して「戦争協力の妨げになる」として徹底的に弾圧した
 CIO内部の共産党によるニューディール政策と第2次世界大戦参戦への全面協力により、CIOの戦闘性は次第に衰退した。43年のスターリン指示のコミンテルン解散を機にアメリカ共産党は自ら解党した。
 これを「スターリン主義の裏切りの結果」という一言に終わらせてはならない。当時の国際プロレタリアートが、スターリン主義によるマルクス主義の歪曲・解体と全面的・非和解的に対決し、それを革命的に打倒して乗り越えて進むことができなかったということだ。
 トロツキーと第4インターがスターリン主義を批判しながらスターリン主義打倒の立場に完全に立ち切ることを回避し、逆に「労働者国家無条件擁護」のスローガンを掲げ続けたことにその問題性が示されている。

▼第2次世界大戦後のAFL―CIO

 戦争終結とともに兵士400万人が復員した。国内の失業者は急増した。賃金は大幅に下がった。労働者は次々とストライキに決起していった。戦後革命的情勢が訪れた。45年から46年にかけて石油労働者、GM労働者、電機労働者、精肉労働者、炭鉱労働者、鉄道労働者などの数万人から数十万の規模の大ストライキが行われた。46年のスト参加者は460万人と言われる空前の規模であった。さらに占領地では駐留するために帰還できない兵士が決起し、帰還した兵士も労働組合員と共に闘った。
 政府は、軍隊の派遣を含めて戦後革命の抑え込みに駆けずり回り、AFL、CIOの労組幹部は、その先兵となってストライキの圧殺に全力をあげた。
 こうして戦後革命の危機をとりあえず乗り切ったアメリカは、戦後帝国主義の盟主としてソ連スターリン主義と対決する政策に転換し、国内では反共主義をテコに労働運動の弾圧に乗り出した。そこにあるのはアメリカ戦後革命を闘った労働者階級への恐怖と反動に他ならなかった。そして国家権力は、戦後再結成したアメリカ共産党に対する壊滅的弾圧に走った。
 47年6月、タフト・ハートレー法が成立した。この法律は、①労働組合の役員はすべて共産主義者ではないことを宣誓しなければならない、②労使間に紛争が起きた場合、80日間の冷却期間を設けて、この期間中はストライキを宣言できないようにする、③2次的ストライキ(=連帯スト)とボイコットの禁止などの恐るべき労働運動弾圧法であった。
 屈服したCIO指導部は反共主義一色に染め上げられていく。民主党のトルーマンを支持し、冷戦政策を支持したCIO指導部は、49年大会で国際港湾倉庫労働組合(ILWU)を含む左派11組合を追放した。政府・資本と一体化したCIOは、賃金の凍結の承認、さらに政府の全世界的な侵略戦争政策への協力をAFLとともに推進した。
 52年にアイゼンハワー大統領が選出され、マッカーシー上院議員の下で「マッカーシー旋風」と呼ばれた反共攻撃と「レッドパージ」が吹き荒れると、CIOだけではなくAFLもその対象になった。AFLとCIOは自己防衛のために55年に合体し、1500万人のAFL―CIOを結成し、帝国主義に対する忠誠を誓った。
 AFL―CIOは、米政府や米資本と密接に協力して、アメリカの戦後世界支配体制を支えた。国家と一体化しその先兵となった。
 第2次世界大戦後、AFLとCIOは、アメリカ国務省と連携して、ギリシャ、トルコ、イタリア、西ドイツ、フランス、日本などで、労働組合指導者を買収し、アメリカの対外政策を支持させ,47年の欧州のマーシャルプランや日本の占領政策の実施を担った。
 親ソ連の労働組合との対抗のためには、反共的な労働組合に資金助成を行った。また、各国の労組活動家を3カ月間アメリカに留学させ、アメリカ労組の運営方法を学ばせ、アメリカ政府が利用できる労組指導者を育成した。帰国後もこれらの労組指導者に資金援助を継続した。
 フランスではCGTという左派労組を分裂させる策動を展開し、「労働者の力」の設立に力を貸した。
 イタリアではイタリア共産党が支配するナショナルセンター・イタリア労働総同盟(CGIL)を分裂させた。さらにキリスト教民主党系の労組・自由イタリア労働同盟(LCGIL)を分裂させた。のちに共和党系と社会党系の労組もCGILから脱退させた。これら三つの反共労組を統合してイタリア労働組合総同盟を結成させた。
 西ドイツでは、反共主義的労組指導者を支援して西ドイツ労働組合総同盟(DGB)を結成させた
 日本では共産党の影響が強かった産別会議に対抗して、反共主義の総評の結成にかかわった(1950年)。しかし、総評は「にわとりからアヒル」に転換した。
 ラテンアメリカでも、左派のラテンアメリカ労働者連盟に対抗して反共労組連盟を設立した。
 最近の例では、エジプトでの独立労組やウクライナ自由労働組合総連盟への介入などがある。
 労働組合の反動化と国家による取り込みと利用は、革命の防止のために決定的な意味を持った。労働者階級はこんな労働組合の腐敗を許してはならない。資本によって買収され、資本主義を守る労働組合指導部を打倒し、階級的労働運動を推進する労働組合を再建しよう。

▼AFL―CIOや連合の支配の崩壊の始まり

 しかし、このような現状を突破する決定的な兆候が見え始めた。
 最近、ILWUはAFL―CIOから脱退した。
 AFL―CIOが、国家や資本の攻撃と闘わないばかりか、傘下の労働組合によるILWUのピケットやスト破壊を積極的に承認してきたことや、オバマの一定額を超える医療保険への課税を支持しようとしてきたことへのランク&ファイルの怒りをILWU本部が抑えきれなくなったからだ。
 またシリアへの侵略戦争へのAFL―CIOの支持への怒り、オバマによる移民労働者の追放と国境の軍事化への怒りも噴出している。これらはオバマ政権と一体化したAFL―CIOの支配を崩壊させている。
 2011年2月のウイスコンシン州の公務員労組など10万人の州議会包囲の反乱から始まる闘いの発展がある。州の負債削減のための公務員労働者からの団体交渉権の剥奪、賃金と年金の大幅削減に対するベトナム戦争以来最大規模の労働者の闘いは、全米の労働者に巨大な影響を与えたが、最終的には民主党支持の選挙運動に集約されてしまった。
 しかしこの闘いの限界を乗り越えようとする闘いがついに開始された。とりわけILWUローカル21の闘いや、ローカル4(バンクーバー)、8(ポートランド)、19(シアトル)などの港湾労働者の闘いである。昨年11月、組合官僚の支配を打ち破ったボーイングの労働者の闘い。執行部権力を奪取した戦闘的指導部の下でのカリフォルニア大学の医療労働者のストライキと看護師や技術者の共闘、大学院生・大学講師の連帯ストの爆発などがある。
 日本でも昨年夏の連合傘下の自治労大会やJP労組大会、日教組大会で体制内指導部に対する労働者の怒りが噴き出した。
 その土台に動労千葉を軸とする国鉄決戦の前進がある。絶対反対・非妥協で闘う労働組合が切り開いた地平だ。連合支配の崩壊情勢において連合傘下の労働者を大量に獲得する決定的チャンスが来ている。帝国主義国家と対決し、打倒する階級的労働運動路線の巨大な発展が開始された。
 以上に見たように、階級的労働運動を生み出し、それを発展させるために、労働者は激しい歴史的試練を経てきた。そこから学ぶべきことは、マルクス主義に基づいた階級的な労働運動でなければ国家権力と対決し、資本家と真正面から闘うことができないということだ。
 だからこそ階級的労働運動によって勝利をかちとったロシア革命から、真剣に学びなおさなければならない。
 (以上第4回)