●特集 デモとストが激発する欧州 Ⅱ ユーロ危機で大揺れのEU 戦後世界体制崩壊の発火点 EUは欧州帝の延命形態――ウクライナめぐる争闘戦の軍事化

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月刊『国際労働運動』48頁(0460号03面02)(2015/01/01)


●特集 デモとストが激発する欧州 Ⅱ
 ユーロ危機で大揺れのEU 戦後世界体制崩壊の発火点
 EUは欧州帝の延命形態――ウクライナめぐる争闘戦の軍事化

⑴EUは帝国主義の絶望的危機の産物

 レーニンは第1次世界大戦の渦中で以下のように述べた。
 「帝国主義の経済的諸条件、すなわち『先進的』、『文明的』な植民地領有国による資本の輸出と世界の分割という見地からみれば、ヨーロッパ合衆国は、資本主義のもとでは、不可能であるか、あるいは反動的である」「資本主義のもとでは、個々の経営や個々の国家の経済的発展が均等に成長するということはありえない。資本主義のもとでは、破壊された均衡をときどき回復する手段は、産業における恐慌と政治における戦争よりほかにはありえない」
 「もちろん、資本家のあいだや、列強のあいだの一時的な協定は可能である。この意味では、ヨーロッパの資本家の協定としてのヨーロッパ合衆国も、可能である。……なにについての協定か? どのようにして共同でヨーロッパの社会主義をおさえつけ、かきあつめた植民地をどのようにして日本とアメリカにたいして共同でまもるかということについての協定にすぎない」(「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」。レーニン全集21巻、1915年8月23日)
 EU(ヨーロッパ連合)は、ヨーロッパ28カ国で構成される国家連合体である。そのうちの18カ国が、ユーロを統一通貨とする「ユーロ圏」を形成している。ドイツ・フランス・イタリアなどの帝国主義諸国が中心であるが、イギリス帝国主義は、あくまで自国通貨ポンドに固執し、「ユーロ圏」には参加していない。
 第一に確認すべき点は、EUは、もともと、EEC(ヨーロッパ経済共同体)という形で、米帝とソ連スターリン主義の世界分割支配体制=戦後世界体制の一部として、ヨーロッパ帝国主義の延命形態として1958年に誕生し〔これに先立って1951年ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が、58年にヨーロッパ原子力共同体が設立されている〕、その後、戦後世界の展開のなかで、1967年にEC(ヨーロッパ共同体)となり、さらに1993年にEU(ヨーロッパ連合)という現在の形をとるにいたった、ということである。
 第二に、戦後ヨーロッパ帝国主義の復活は、ドイツ帝国主義の東西分割とヨーロッパの西と東欧への分断を米帝とソ連スターリン主義が協定したことが前提となっているということである。
 第三に、このようなヨーロッパ帝国主義の「国家連合」は、対米経済ブロックという争闘戦を内包しているということである。帝国主義の共通市場=経済ブロックとしてのヨーロッパ連合は、戦後世界経済の発展のなかで、ほぼ半世紀をへて1999年、ついに一つの共通通貨のもとでの経済圏を形成するにいたり、争闘戦を繰り返すなかで世界戦争に突き進んできた。主要帝国主義が統一通貨を形成したことはかつてなかった。
 第四に、ヨーロッパ帝国主義は、第2次世界大戦前後の民族解放闘争をつうじて、アジア・中東などにおいて、植民地支配の崩壊に直面した。それは従来の原料食糧供給地の喪失を意味した。こうしたことから、ヨーロッパ共同市場は、「自立した経済共同体」という性格を濃厚にもって結成されたという側面もある。それは、とりわけ、ヨーロッパの食糧自給を目標とした域内農業への保護政策、そのための膨大な共通資金の供給という問題として、現在にいたるEUの重要な課題の一つとして存在し続けている。
 第五に、対米ブロックであるEUの独仏協調が、対スターリン主義対決を軸としたアメリカ帝国主義の世界支配の枠内で生まれ、対立をはらみながら現在にいたるまで発展してきたこと、さらに独仏が国家主権の本質的要素である通貨発行権を放棄したことの中に今日の帝国主義の絶望的危機を見ることができる。
 EUの中軸を形成するユーロ圏、統一通貨ユーロはどうして形成されたのか、その構造と危機はどこにあるのか。

ドル危機がユーロ形成の第一の要因

 EECが結成された1958年は、それまで圧倒的に戦後帝国主義経済を支配してきたアメリカ帝国主義の世界的位置に揺らぎが生じていた。第2次世界大戦の敗戦帝国主義日独の戦後復興・発展が、一定の段階に達したのである。
 ドイツ帝国主義は、1947年のトルーマン・ドクトリン(冷戦時代)とマーシャル・プランが、英仏の懲罰的な対ドイツ政策を転換させたことにより、経済復興を保証され、ヨーロッパ全体の復興の牽引力となるにいたっていた。
 1968年には、広域共通市場として発展してきたEEC6カ国(フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)の域内関税が撤廃された。日独の戦後発展のなかで、1960年代後半には、第2次世界大戦後、政治・経済・軍事にわたる絶対的強者であったアメリカ帝国主義のドル危機が進み、1971年8月15日にドルと金の交換が停止された。基軸通貨ドルを中心とするブレトン・ウッズ体制の崩壊、これがユーロという共通通貨形成に突き動かした第一の要因である。
 ドルが変動相場制へ移行するなかで、ヨーロッパ通貨同盟に向けて一定の経過をたどるが、1979年にまず、ヨーロッパ通貨制度(EMU)が発足した。これは、ヨーロッパ経済のインフレーションと失業の深刻化(スタグフレーション)に対して、通貨安定をとおして、1974〜75年の世界恐慌によって脅かされたヨーロッパ経済の復活を図ろうとするものである。〔EMSはヨーロッパ計算単位(ECU、参加国通貨の加重平均)を導入した。基準レートからの乖離の限界を±2・25%にとどまるように運用した。この固定的な為替レートを維持する仕組みがERM(為替レートメカニズム)である〕。戦後一貫して経済の安定化政策を追求してきたドイツと、拡張主義政策をとるフランスなどとの経済政策の協調が1980年代になって図られ、ERMはユーロが導入される1999年まで維持された。
 1987年にヨーロッパの単一市場計画がスタートした。1992年を期限として単一市場の完成が明記された。域内市場は、財、サービス、労働、資本の自由移動が保証された国境のない地域からなると規定された。1970年代後半の経済停滞が深刻であったヨーロッパは、とりわけ先端的技術の導入においてアメリカ、日本に後れをとった。産業界の中から、競争力の強化を緊急の課題として、単一市場の完成が求められた。

東西ドイツの統一が第二の要因

 1989年11月ベルリンの壁崩壊、90年10月に東西ドイツ統一。91年12月ソ連崩壊。これは、戦後世界体制を根底から崩壊させる意味をもった巨大な衝撃を全世界に与えた。敗戦帝国主義ドイツのヨーロッパ中央における巨大統一国家としての復活と、ソ連スターリン主義とともに東欧スターリン主義圏が解体して、ヨーロッパの東半分で体制移行が開始されるということである。このときに通貨統一期限まで決めたマーストリヒト条約が92年に調印された。ドイツ統一と通貨統合は重なり合って進んだ一体的過程であった。
 ヨーロッパ統合の推進と引き替えに、統一ドイツへの同意を引き出そうとしたドイツのコール首相と、統一ドイツが強大化することを懸念し、「ドイツ封じ込め」のためにヨーロッパ統合を加速しようとしたフランスのミッテラン大統領、こうしたそれぞれの思惑が、ヨーロッパ統合=マーストリヒト条約に結実した。
 マーストリヒト条約ではEUの目的を、経済的には域内国境のない地域の創設(単一市場)、経済社会的結束(格差のない共同体)の強化、単一通貨を含む経済通貨同盟(EMU)と規定している。
 ドイツは単一通貨が可能な限り安定的であることを求めて、厳格な規則と罰則を主張した。具体的には、単年度の政府財政赤字は国民総生産の3%に、また国家債務残高が同60%を超えないというもので、財政主権に大きく切り込み、緊縮財政を課すことになった。フランスはじめ緩和を求める諸国と対立したが、譲歩しつつ主張をおおむね貫いた。それが財政安定協定である。
 ドイツが、スターリン主義体制のもとにあった東独を包摂し、国家統一へと進むなかで、復興需要が発生し物価が上昇した。92年夏に連邦銀行が金融引き締めに転ずると、9月以降、イギリスのポンドとイタリアのリラが売られた。ポンドが急落しイギリスとイタリアは為替相場メカニズム(ERM)を離脱した。93年7月にはフランス・フランが売られ、変動幅は2・5%から15%へと拡大し、ERMは著しく弛緩してしまった。国際的な投機に直撃されて単一通貨ユーロの導入が促進された。

ユーロ圏は静寂のオアシスか?

 1999年1月に決済用通貨としてユーロが発足し、2002年1月に現金通貨ユーロが流通した。
 「ユーロ圏は静寂のオアシスだ」
 これは初代ヨーロッパ中央銀行(ECB)総裁ウィム・ドイセンベルグの言葉であるが、果たして静寂のオアシスだったのか。
 世界金融大恐慌が、2008年のリーマン・ショックに先立って、2007年のパリバ・ショックを機に爆発していったことに示されるように、アメリカのサブプライム関連証券化商品を多く持っていたヨーロッパ銀行が、多額の損失を発生させ、破綻した。各国政府は銀行へ公的資金を注入し、国家財政赤字は拡大した。統一通貨の流通によりユーロ圏内の周辺国では、統一金利のために実質金利が低下し、インフレや労働コストの上昇が起こった。国外からの投資が増え、国債に依拠した歳出が膨張した。これで2010年以降の財政危機の爆発となった。
 EUとIMFは2010年以来、財政・金融危機が爆発したギリシャ、アイルランド、ポルトガルへの共同緊急融資を行った。これら諸国には、巨大な投機資金が、有利な金融商品、投資機会を求めて流入していたからだ。
 現ECBのドラギ総裁は2011年秋就任以来、大規模なユーロ防衛策を導入し、一時的にせよユーロ不安の緩和に成功し、「ドラギ・マジック」と呼ばれた。
 最初は2011年12月と12年2月に行われた二度の流動性の供給であり、総額は1兆ユーロ(約100兆円)を超えた。
 次は国債の購入である。「通貨ユーロを守るためには何でもする」と宣言し、ドイツ連邦銀行の反対を押し切って南欧諸国の国債購入を決め、危機に陥ったスペイン、イタリアの国債利回りの高騰を抑えた。
 2010年5月にEUとIMFは1100億ユーロのギリシャ支援を決定した。2012年2月に2度目の1300億ユーロ融資を決定したが、同時に民間の債権者負担としたためギリシャ国債はデフォルトし、清算価格は元本に対して78・5%減になった。このためギリシャ国債を多く持っていたキプロス銀行〔ヨーロッパとロシアにおけるタックス・へーブン(税金逃れの逃避所)であった〕は破綻した。
 ギリシャの債務返済が厳しいことは変わりなく、2014年10月に10年物国債金利が一時9%を上回るなど不安定な状態にある。
 ユーロ危機を封じ込めているのは、緊縮財政による財政赤字の削減である。これが高失業・マイナス成長をもたらしている。EU委員会の掲げる「成長と安定」方針などというのは、〈アベノミクスの三本の矢〉のように、最末期帝国主義の矛盾に満ちた絶望的政策にほかならない。
 ECBはデフレ懸念払拭のために金利を引き下げ、ついにはマイナス金利にまで訴えたが、効果はなく、今度は量的緩和に訴えようとしている。マイナス金利とは、銀行が余剰資金をECBに預けたら、金利を取られる制度。このようにして、銀行の資金貸し出しを強制的に促そうとしているが、過剰資本・過剰生産力状態で資金需要がないなかでは、銀行の融資は促進されない。かえって投機を煽るだけである。

ヨーロッパ憲法条約は否決された

 EUの総仕上げとなるべき位置にあったのがヨーロッパ憲法条約であるが、2005年にフランスとオランダにおける国民投票で否決され、「憲法的概念は放棄する」ことになった。フランスでは投票率69・37%、賛成45・33%、反対54・67%。オランダでは投票率63・3%、賛成38・46%、反対61・54%。
 大差で否決され、かつ原加盟国による否決であった。そもそも、それぞれ異なった利害と社会構造を持つ帝国主義諸国間の国家連合という、争闘戦を内包したヨーロッパ連合が、労働者階級人民に対して、将来のヨーロッパの明確なビジョンを示せなかったことは当然である。「資本家のあいだや、列強のあいだの一時的な協定」(レーニン)でさえ、矛盾に満ちたあり方なのに、「恒久的な国家連合」「帝国主義としての国家主権の制限」は、ブルジョアジーにとってさえ、簡単に容認できるものではない。にもかかわらず、こうした方向に延命の方策を求めざるをえないところに、ヨーロッパ帝国主義、そして帝国主義そのものの危機の深さがある。「ユーロ危機」への労働者階級の実践的回答は、言うまでもなくプロレタリア世界革命である。
 こうした危機を打開すべく、独首相メルケルのイニシアティブで仏大統領サルコジと連携してヨーロッパ憲法条約のエッセンスを2007年にリスボン条約として調印し、2009年に発効した。
 リスボン条約の内容は、①EUにおける意志決定の効率化。税制、対外政策、社会保障といったセンシティブな分野については全会一致。その他の分野は特定多数決。(特定多数決は加盟国の55%以上、人口の65%以上の賛成で決定する。)②民主主義の強化。③対外的な「顔」を決める(「EU大統領」、「EU外相」)。④EU脱退条項。⑤条約改正手続き。
 リスボン条約で国民投票を避けたことがヨーロッパ懐疑派を勢いづかせている。14年5月のヨーロッパ議会選挙では、英国ではEU離脱・反移民を主張する英国独立党(UKIP)が29%で初めて首位、フランスでは反EU・反移民を掲げる極右の国民戦線が24・85%で初めて首位、ギリシャでは緊縮策の放棄と債務の不履行を主張する急進左派連合が26・6%で首位となった。ギリシャは2015年2月、大統領選挙を迎えているが、その過程で解散・総選挙もありうる。昨年10月の世論調査では、急進左派連合支持が35・5%でトップである。
 数百万人が失業中で、25歳未満の失業率がEU最高の54%に達するスペインでは、14年1月に結党したばかりの左翼政党ポデモス(「私たちはできる」)が4カ月後の欧州議会選挙で5議席を獲得した。最近の世論調査では27・2%の支持率でスペインの全政党のトップに躍り出た。
 大恐慌の深化はEUを揺るがしている。
 すべてのEU加盟国にとって通貨統合に参加することは義務である。イギリスとデンマークは、例外的措置が条約で認められているが、財政安定協定を満たす限り、イギリスとデンマーク以外はすべてユーロを導入する義務がある。その基準が守られていないと、財政規律の強化を目指す新財政協約が2013年1月に発効した。イギリスとチェコが強固に反対し、EU条約の枠外でイギリスとチェコを除く25カ国の政府間協定として署名され、発効した。
 主な内容は、単年度財政赤字をGDP比0・5%にすること、そのことを国内法で立法化する、ユーロ首脳会議の制度化(年2回)などであり、この義務を怠る場合の制裁金まで決めている。
 ヨーロッパ―EU諸国は、崩壊的危機のなかで、デフレ経済、長期の大不況に突入しようとしている。EUの政策は、緊縮財政と労働法制改悪を進め、労働者人民に大失業と死を強いるものでしかありえない。
 ユーロの危機のなかで、アジア共通通貨をつくれという日本共産党をはじめとする体制内のスローガンは消えてしまった。ユーロ危機、そして東アジア危機への労働者階級の回答は、プロレタリア世界革命である。

⑵ウクライナ危機でのNATO臨戦体制化

 ウクライナ危機をめぐってNATO(北大西洋条約機構)の臨戦体制化が進んでいる。注目すべきは、その体制内に、加盟まもない中東欧諸国やバルト3国、さらには加盟していない北欧諸国までもが組み込まれていることだ。これは、直接的には、ロシアに対するすさまじい軍事的重圧である。NATOの軍事演習が、黒海にまで入って行われていることは、ロシアやカフカズ地方に直接の衝撃を与えざるをえない。
 また、こうしたロシアに隣接する地域へのドイツの軍事的登場は、きわめて重大な事態を作り出している。

「即応行動計画」

 9月4〜5日のNATO首脳会議において、即応部隊の創設を柱とする「即応行動計画」が打ち出された。即応部隊は有事の際に最短2日で数千人規模の兵力を投入できる初動対処部隊で、加盟国の持ち回りで構成する。英国のキャメロン首相は3500人の貢献をすると表明している。さらに「即応行動計画」は、迅速な増派のための東欧加盟国への司令部の常時設置、受入施設の整備、装備・物資の事前配備、演習計画の強化を打ち出している。ポーランド、ルーマニア、バルト諸国がこれら施設提供の意思を表明している。司令部や弾薬、燃料をポーランドなどの拠点に設置・配備し、東欧の基地の利用を拡大するというものだ。既に米軍は4月以降バルト3国やポーランドに陸軍部隊約600人を展開している。
 NATOの臨戦体制化と東方拡大の中で、これまでNATOに加盟していなかったスウェーデンとフィンランドの2カ国が、ウクライナ情勢のインパクトを受けて、有事の際のNATO軍の駐留を認める方針を打ち出している。2カ国はこれまでもNATOとの合同軍事演習などを実施しているが、NATO加盟済みのノルウェー、デンマークなどの北欧諸国、バルト3国も含め、バルト海を囲むすべての地域がNATO陣営に塗り替わる可能性があり、欧州に地政学上の大きな変化をもたらすものだ。
 NATOの臨戦体制の実戦的発動としての軍事演習が頻繁に行われている。米国やウクライナ、独英カナダ、ポーランドなど15カ国は9月15日から12日間、ウクライナ西部のポーランド国境付近で軍事演習を行った。米軍は欧州を拠点とする空挺部隊200人を派遣。ウクライナ領内でのウクライナ軍を含む軍事演習を公然と行っているのだ。またこれとは別に、8日から3日間、米、カナダ、ウクライナなどは、ロシアに併合されたクリミア半島が突き出た黒海で軍事演習を行った。米海軍はミサイル駆逐艦を派遣。NATOは「NATOの訓練ではない」としているが、参加国はNATO加盟国とウクライナであり、ウクライナをも組み込んだNATOの合同軍事演習であることは明らかだ。既にウクライナはNATOの臨戦体制に組み込まれている。

ウクライナのNATO加盟の動きが加速

 また、合同軍事演習だけでなく、財政的にも、EU、NATOによる軍事援助、資金援助も行われている。8月、ウクライナのクリムキン外相は、EUとNATOにウクライナへの軍事を含む援助を要請した。これを受けて、NATO首脳会議が開幕した9月4日、ウクライナのポロシェンコ大統領は、NATO加盟国がウクライナへの軍事を含む機器と装備の供与、ウクライナ軍を改革するための資金援助を約束したと発表した。
 このような既成事実の上で、ウクライナのNATO加盟に向けての動きが加速されている。ウクライナ政府は8月29日、軍事的中立を定めた議会決定を廃止し、NATOへの加盟を可能にする法案を閣議決定した。ラスムセン事務総長(当時)は「ウクライナの安全保障政策と加盟に関する決定を全面的に尊重する。他国もそうするよう求める」と述べていた。
 さらに、先の総選挙(東ウクライナを除く)の結果を受けて、11月21日、ポロシェンコ大統領率いる与党「ポロシェンコ連合」を中心とする親欧米派5党は、連立政権樹立に向けた政策合意文書に調印し、そのなかでNATO加盟を目指す方針を明記した。
 またEU加盟に向けてもウクライナは6月27日、EUとの「連合協定」に署名した。3月に政治部分の締結を済ませ、今回は自由貿易協定(FTA)を含む経済部分の署名であり、EU加盟に向けての前段階のプロセスである。グルジアとモルドバもEUとの連合協定に署名した。

ドイツの軍事的突出

 このようななかで、独自の国外派兵などに慎重だったドイツが変わり始めた。攻撃力の強い対戦車ミサイルをイラクのクルド人勢力に供与することを決めたほか、バルト3国への派兵をも検討し始めた。ドイツ連邦議会(下院)は9月1日、イラクのクルド人勢力に武器を供与することを承認した。クルド人勢力の戦闘員はドイツ国内で訓練するという。実はドイツは米露に次ぐ世界3位の武器輸出国である。また、ポーランド国防相の報道官の「同国などでの演習にドイツ軍の参加を排除しない」との言に示されるように、東欧はドイツ連邦軍の派兵を受け入れようとしている。これは、第2次世界大戦でナチス・ドイツの侵略を受けたこれら諸国としては、一大転換である。ドイツの軍事的突出へのカジは切られたと言える。〔なお、欧州理事会の次期常任議長にはポーランドのトゥスク首相の就任が決まっているが、これはドイツのメルケル首相の強力な推薦によるものである。〕

危機感強めるロシアの軍事的対抗

 臨戦体制化を進めるNATOに対抗し、ウクライナのNATO、EUへの包摂を絶対に阻止したいロシアは、9月4日からのNATO首脳会議を前にして、軍事戦略の指針となる「軍事ドクトリン」を年内をめどに改定すると決めた。現行の軍事ドクトリンは2010年2月に決定され、軍組織や通常兵器の近代化を課題に挙げているが、今回の改定は、NATOの拡大、ミサイル防衛(MD)問題、ウクライナ情勢に対応する内容になると言われている。
 また、核ミサイルを搭載できるロシアの戦略爆撃機が10月31日、欧州の空域を飛行し、英軍機などが緊急発進した。欧州でのロシア軍機への緊急発進は、1週間で3回と頻発している。
 ウクライナ東部におけるウクライナ政府軍と親露派勢力との戦闘は継続しており、9月5日の「停戦合意」は破綻している。ウクライナをめぐる欧米とロシアの争闘戦と戦争化の危機は深まらざるを得ない。

国際連帯で世界革命を

 東アジア危機をはじめとし、ウクライナ危機、イラク・シリア危機、さらにパレスチナなど中東全域に拡大する帝国主義・大国間の争闘戦の軍事的激化に対する労働者階級人民の回答は、自国支配階級の打倒=プロレタリア世界革命を実現することである。帝国主義世界戦争の勃発と労働者同士の殺し合いへと労働者階級を動員させてしまった敗北の歴史を繰り返してはならない。
 勝利の道、すなわち階級的労働運動の復権と国際連帯の強化、それを実現する労働者階級の階級的指導部の形成の鍵を、われわれは今、握っている。