全学連三里塚現地行動隊日誌 市東農地決戦の先頭に立つ 勝利へ! 執念の人

週刊『三里塚』02頁(0887号02面02)(2014/01/13)


 全学連三里塚現地行動隊日誌
 市東農地決戦の先頭に立つ
 勝利へ! 執念の人

(写真 新年デモの先頭に立つ全学連三里塚現地行動隊【1月12日 成田市天神峰】)

 萩原進さんを悼む

 東北大学・I

 新たな年を迎え、12日の反対同盟の旗開きに続いて出荷も開始、消費者の方々のところにも野菜が届き始めた頃でしょうか。あっという間に1月も20日になって、昨年末に萩原進事務局次長が亡くなってから、1カ月が過ぎようとしています。昨年12月21日は三里塚産直の忘年会の日。当日も料理やお酒、カラオケを楽しみ、会の最後に「今年はいろいろなことがあったけれど、あとは正月野菜を残すだけ。最後までよろしく」と、来年への決意を新たにしたその帰り道での急変の知らせ、そして訃報でした。直後にはあまりのことにとても信じられず、翌日にそれが夢でなかったことを知り、12月27日の通夜、12月28日の告別式…日を経るにつれて、この事実を否応なしに実感させられます。
 この1カ月間はどこに行っても、萩原さんがどういう人だったとか、こんな話をしたんだとか、そういう話題になって、どれだけ多くの人の心を捉えていたのか改めて知ることになりました。
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 僕と萩原さんとの出会いは、初めて援農に訪れた2010年11月、だんだんと寒さが増してきた現地でした。萩原さんは寡黙で、でも家族に向ける眼差しはとても優しくて、楽しそうに農業をやっているのが印象的で、「日本の農民像」を見せられた気がしていました。僕が何度か現地に通い、萩原さんの本「農地収奪を阻む」を読み、三里塚に住むようになって打ち解けていくうちに萩原さんは本当に労農連帯を誰よりも重視し、農民の立場から三里塚闘争を体現してきた人物だと知るようになりました。
 昨年10月の全国集会前日には、全学連の仲間が萩原さんとの座談会を行い、高裁決戦に向けての決意と学生に対する期待を語ってくれていました。パンフレットにしましたので一読してもらいたいのですが、この中で萩原さんが、運動の拡大、そのための署名や裁判闘争という組織化について「競ってやりましょうよ」「千葉県中を同盟にしたい」と言っていたのが印象的です。僕たち学生や若者に対する期待と、それと自らがひとつになって何としても三里塚闘争に勝利したいという気概がこもった言葉だったんだと思います。
 萩原さんが亡くなった後に現闘の仲間が「あの人は本当にどうしてもこの闘いに勝ちたかったんだ」と言っていました。振り返ると、まさにそれを体現した2013年の闘いだったと思います。三里塚の闘いを何とか多くの人に知らせよう、拡大しようと、現地での同盟一斉行動を開始し、東京での反原発やTPP反対の集会、経産省前テント裁判に通い、先頭に立って三里塚闘争を訴え、三里塚の裁判や企画に人を呼び、署名を集め、その中で結合も生まれ、「新入生歓迎の時期には大学に呼んでくれ」と更に前に進もうと学生に話していました。学生が最先頭に立ち、何としても3万筆署名を集めきって「霞が関に攻め上ろう」という言葉を実現しよう!
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 先日、僕の夢に萩原さんが出てきました。萩原さんはニコニコしていて、僕は「なんだ元気そうじゃないか」と思って、夢から覚めました。今になって思うと、現地のみんなのことが気になって、顔を見に来たのかな。萩原進事務局次長、見ていてください、学生は労農連帯の拡大の最先頭に立ちます。そして市東さんの農地決戦、三里塚闘争を勝利させます。
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