市東さんの控訴審陳述(上) 〝農民殺しの判決覆す〟

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週刊『三里塚』02頁(0893号01面03)(2014/04/14)


市東さんの控訴審陳述(上)
 〝農民殺しの判決覆す〟

 3月26日に東京高等裁判所第19民事部(貝阿彌誠裁判長)での第1回口頭弁論で市東孝雄さんの感動的な意見陳述が行われた。陳述は23枚のスライド写真を使って行われ最後には「三里塚の土」を裁判長に突きつけた。3回に分けて紹介する。

❶ はじめに
 空港会社が取り上げようとしている畑は、祖父市太郎が大正10年から耕作し、戦後は父東市が休まず守り続けてきた農地です。
 一審・千葉地裁の判決は、空港会社の違法を全面的に不問とし空港会社の請求を全面的に認めるという、考えられる最も悪質なものでした。当然にも仮執行宣言は付けられなかったわけですが、このような判決を下した裁判所に激しい怒りがこみ上げます。
 南台農地と天神峰農地は私にとって命そのものです。一審判決は、私から農地を取り上げて、農業をやめろというものです。これは〝農民殺し〟の判決です。私は絶対に受け入れることができません。

❷ スライド写真でみる南台農地と天神峰農地での営農状況
 私は、空港会社が明け渡しを求めている南台農地と天神峰農地の小作地で農業を営んでいます。また空港会社が取り壊しを求めている天神峰農地にある作業場・離れ・農機具置き場・ハウスなどは、いずれも私の営農に不可欠な農業用施設です。
A 「南台農地」
① 全景
原判決別紙図面1から作成
② 請求放棄した南台41―9
 これは南台農地の脇の「南台41―9」の写真(2014年3月24日撮影)です。右側のフェンスと真ん中の黄色のロープの間の土地が、請求を放棄された「南台41―9」の土地です。空港会社は、請求放棄後にロープを張りました。
 市東家は、「南台41ー9」の土地を借りた事実もないし、一度も耕作したことがありません。空港会社が場所を間違えたのです。
 このように千葉県知事の解約許可は著しく杜撰で、請求放棄で済む問題ではないと思います。裁判所は空港会社の請求を退けるべきです。

 (以下、市東さんは23枚のスライドを使い、農地別に営農状況、農作業状況等を詳しく説明した=略)

(写真 スクリーンに上のようなスライド写真23枚を映して市東さんが説明した)

❸ 空港会社がなぜ、私の畑の地主なのか!
 私が一番納得できないのは、空港会社が、私の南台農地と天神峰農地の「地主」だと名乗り出たことです。
 空港会社は、私の畑の「地主」として小作契約の解除を主張していますが、これは農地法に全面的に違反しており、まったく許されるものではありません。
 そもそも空港会社は1988年に私の畑を買収したと主張しています。しかしその売買は父東市に秘密で行われたため、売買以降も父東市と私は、南台と天神峰の畑を小作地として耕し続けています。また小作契約に基づく地代も、空港会社が名乗り出た2003年までの15年間は藤﨑さん(元地主)に払い続け、その後は空港会社に支払ってきました。
 空港会社は、1988年の買収が「転用目的」のための売買と言っていますが、そもそも全く事実に反しているのです。
 もともと南台農地と天神峰農地は、農地改革で解放されるべきだった農地です。残存小作地は小作人に買い取る権利がある、小作人の承諾しない売買は許されない、これは農地法の根本原理です。現在の農地法でもこの原則は変わりません。
 このことは解放闘争を先頭で闘った反対同盟員故三浦五郎さんから、私が天神峰に戻って最初に教えられたことです。
 それにもかかわらず、なぜ農耕者でない当時の空港公団が、小作としての父東市を飛び越えて、農地のまま買収し、農地として持ち続けることができたのでしょうか。
 それは、父東市には秘密にし、農業委員会の許可も受けずに売買したからです。これは明らかな農地法違反です。こんな悪質でデタラメなやり方が許されてよいはずがありません。
 このことについて空港会社は、「農地の賃貸目的ではなく、転用目的で買った」と言い訳しているわけですが、買収してから17年間も転用せず放置しておくこと自体が農地法に違反しているのです。
 農業委員会の山﨑事務局長は、弁護団に追及されて「自分の知る限りこんな例はない。好ましくない」と証言していますが、なぜこのような農地法違反が空港会社には許されるのか。この違法・無法のあげくに、私は明け渡しを迫られているのです。
 要するに、1988年の空港会社による買収は、農地法に違反し無効なのです。この売買を容認した判決は、根本的に間違っています。
(つづく)

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