10・8控訴審~10・12全国集会へ 〝地球規模での戦争の危機阻む〟 --北原鉱治・反対同盟事務局長に聞く

週刊『三里塚』02頁(0902号01面01)(2014/08/25)


10・8控訴審~10・12全国集会へ
 〝地球規模での戦争の危機阻む〟
 --北原鉱治・反対同盟事務局長に聞く

(写真 反対同盟一斉行動の先頭で、周辺住民への訴えを行う北原事務局長【昨年6月23日 多古町五辻】)

 8・17日比谷大集会は、東京・日比谷公会堂に1830人の労農学市民を結集して、改憲と戦争の安倍政権を打倒する全人民反撃の拠点を築いた。こうした闘いのうねりと一体で、三里塚における安倍政権との対決が白熱化している。「新成長戦略」の中に首都圏空港機能の大幅強化をうたう安倍政権は、反対同盟破壊と一体化した攻撃として、2020年までの4万回化増便・24時間空港化とその上に立った3本目の滑走路計画をゴリ押ししている。三里塚闘争は安倍政権そのものと対決する決戦場としてせり上がった。この反対同盟破壊との最先端攻防こそ、市東孝雄さんの農地を死守する農地裁判控訴審だ。10月8日に第3回弁論が行われ、10月12日には全国総決起集会(三里塚現地)が開催される。市東さん3万人署名を圧倒的に前進させ、秋の決戦に上りつめよう。今回は、北原鉱治事務局長に49年目に入った三里塚闘争の課題について伺った。

小林裁判長の審理打ち切り阻止を

 三里塚闘争は、去る7月4日をもって、49年目の闘いに突入した。ほとんど半世紀だ。なぜこれほどの長い闘いになったのか、闘い続けることができているのか。
 それは、一点「国策」の理不尽による。そもそもなぜ、都心から70㌔も離れた三里塚の地に「日本の表玄関」と位置付けられる成田空港が計画されなければならなかったのか。この原点からして、大問題だった。
 周知のことだが、最初は富里・八街に今の成田空港の2倍の規模の空港が計画された。ところが、1000軒もの優良農家を立ち退かさなければ実現できない無謀な計画であったため、農民たちの実力抵抗を含む激しい反対運動が起きて、計画の段階で、富里・八街空港計画はとん挫してしまった。
 ここで、政府は新空港計画を白紙に戻して出直すべきだったのだ。ところが、場当たり的な三里塚地域への空港計画の変更を行った。敷地を半分に減らし、滑走路も5本から3本に減らした中途半端な空港だ。
 その理由が、御料牧場と千葉県有地が敷地の半分を占め、買収地が少なくてすむ。さらに三里塚地域は富里・八街に比べて貧しい開拓農家が多いから買収しやすいだろう、という農民を蔑視したものだった。
 さらに加えて、計画〜内定〜閣議決定までを一気に強行してしまおう、というのだから「公共事業」も何もあったものではない。実際、1966年6月23日の新聞リークから7月4日の閣議決定まで、わずか12日間だ。
 そこから今日にいたる49年間の激闘に次ぐ激闘についてはくり返さない。この間、3千とも5千とも言われるすさまじい逮捕者、万を超える負傷者、十指に及ぼうとする犠牲者を出しつつも、北は北海道、南は沖縄までにいたる全国津々浦々の労農学人民の熱い支援を受けて、三里塚は今日まで、「反戦・反核の砦」としての責任を感じつつ、闘い抜いて来た。
 その結果はどうか。機動隊による国家暴力をはじめとした暴虐、だまし討ち、おびただしい国家犯罪、憲法違反の治安立法まで含め、国はわれわれに対して、あらゆる攻撃、弾圧を浴びせてきたが、三里塚は屈服しなかったし、今もしていない。その結果が、現在のぶざまな成田空港の姿だ。
 三里塚闘争は住民の生きる権利の主張だったから、正しかったのだ。十重二十重の支援者が結集してくれた原点でもある。

3万人署名の前進へ

(写真 自分のインタビューが載っている「タイペイ・タイムズ」を見る北原事務局長【8月22日】)

 8月11日、今年の1月に三里塚を訪れ、私のインタビューを含め、現地を取材してくれた台湾のタイペイ・タイムズの記者から三里塚闘争を紹介した新聞記事(7月18日付)が送られてきた。そこには次のように書かれている。
 「一見、普通の混雑する国際空港であるかのように見える成田だが、一歩ターミナルを出てみるとそこには鉄塔が立ち、監視ヤグラが立ち、民家が2軒も存在し、神社、墓地まである。まさに成田空港は未完成だ」と。そして、台湾でも台湾桃園国際空港の拡張反対する住民の激しい闘いが存在することを同時に記事にしている。
 そのとおりだと思う。成田は永遠に完成しない。国交省は3本目の滑走路建設などととんでもない計画を言い出した。さらに数百軒もの農家、民家を追い出すこの計画は断じて許してはならないが、反対同盟が存在するかぎり、絶対に阻止するし、できる。その上で、「3本目」などと言い出したことは、49年前の三里塚空港計画の破綻を示している。元々5本の予定だった滑走路を3本に減らして、むりやり、それも場当たり的に造った計画のずさんさがここに来て、露呈したということだ。2010年10月に羽田の国際線が本格的に再開された瞬間、一気に成田の地盤沈下が加速したのも、そもそもなぜこんな遠いところに造ったのか、という反対同盟の当初からの主張の正しさを裏付けている。
 だから、もう一度言う。成田空港計画は最初から間違っていたし、間違いの連続でここまで来ているし、撤回すべきだと。
 安倍政権の戦争と改憲の政治を見るにつけ、70年前の戦前にもどりつつあるとの危機感を強くする。沖縄の辺野古基地建設の強行はどういうことか! 半世紀、国策に負けない三里塚の責任は重大だ。地球規模での戦争の危機を阻むための先頭に三里塚は立つ。
 そして、三里塚の最大の攻防が市東孝雄さんの農地を守る農地裁判・控訴審だ。親子3代約100年に渡って開墾し、耕作してきた農民から、生命の糧である農地を奪うなどということが許せるはずがない。それも住民無視の空港建設のためだ。
 10月8日、東京高裁をさらに厚く包囲する闘いを実現したいと決意している。そして10月12日の全国集会を跳躍台に、市東さんの農地死守、2020年までの4万回増便の策動、24時間空港化の策動、そして第3滑走路を粉砕する闘争陣形を固めたい。何よりもそのために3万人署名を前進させたい。よろしくお願いします。

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