多見谷判決の正体暴く② Q&Aポイント解説 農地法の趣旨 小作農の耕作権を防衛 多見谷判決 農民の生きる権利全面否定

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週刊『三里塚』02頁(0904号02面08)(2014/09/22)


多見谷判決の正体暴く②
 Q&Aポイント解説
 農地法の趣旨 小作農の耕作権を防衛
 多見谷判決 農民の生きる権利全面否定

(写真 1946年に福井県大野町に掲げられた農地委員会の立て札。農地改革の実施を告知している   )

 Q 多見谷判決は、農地法を破壊したと、言われますが。
 A 多見谷判決は、農地法成立以来初めて①「耕作者の同意なき農地買収」、②「専業農民の農地転用許可による解約許可決定」を認めた判決です。いずれも、農地法の趣旨に根本的に反するものです。
 今回は、これら個別の争点の前提であり、基盤をなす農地法の立法目的や役割について、歴史的事実も紹介しつつ明らかにして、多見谷裁判長がいかにそれらを破壊し、農民の生きる権利を奪ったかについて暴露します。

地主を打倒した農民の闘い

 Q どういうことですか。
 A 農地法は、農業生産活動の土台である農地制度の基本法であり、農民の営農に直結する重大な権利に係わります。農地法は第1条で、「農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認めて、耕作者の農地の取得を促進し、その権利を保護し、もって耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を図る」と明記しています。 このように耕作者=農民の生きる権利を明文で保護していますが、その意味を正確につかむには、農地法を実現した歴史的な闘いや事実を知ることが特に重要です。
 農地法は、戦後農地改革の終了に合わせて改革諸法(「改正農地調整法」「自作農創設特別措置法」「農地改革ポツダム政令」)を一般法化し、農地改革の成果を恒久化しようとしたものです。
 Q では、農地改革とは何だったのですか。
 A 農地改革は、農地解放とも言われますが、日本が戦争に負け、支配体制が根底的に動揺する中で、決起した数百万の労働者によるいわゆる「戦後革命」の闘いと一体で立ちあがった膨大な小作農の闘いによって実現しました。
 戦前の農民の約7割は小作農で、いわゆる寄生地主制による支配によって、食うや食わずの苦しみを味わっていました。29年大恐慌は、日本農村にも壊滅的打撃を与え(繭などの商品価格の暴落)、東北の飢饉が起きた時には、「娘を売る」しかないような悲惨な状況もあったわけです。
 当然、農民たちは激しい闘いに立ち上がり、巨大な規模での小作争議が起きましたが、戦前の治安維持法下の弾圧の中で、いったんは抑えつけられました。
 しかし、敗戦と共に戦争への怒りを労働者たちとともにした小作農たちは、戦前の農民組合の活動家を先頭にして、小作地の奪還闘争に各地で立ち上がり、地主制を打倒しました。こうした農民の根底的な要求に押され、支配者が制度化せざるをえなくなったのが農地改革です。

闘いの中で耕す権利を確立した

 Q 農民は何を要求したのですか。
 A 46年創立した日本農民組合の綱領の第一は「農地制度の根本的改革」です。戦前小作争議は、地主や国との激しい闘いを通して、「耕すものに権利あり」という「耕作権」思想を確立しました。そして敗戦とともに、「すべての土地を農民へ」のスローガンの農地解放闘争に発展させたのです。
 Q 農地改革の結果は?
 A 地主制は解体されました。農地の買収・譲渡は1950年までに193万㌶、農地に占める小作地の割合は、46%から10%に激減しました。農民闘争の圧力により「耕作者の権利の保護はどこまでも保証されなければならない」とまで、時の占領軍に言わしめたのです(吉田茂首相あてマッカーサー書簡)。
 その結果、50年9月の政令では、「土地取得資格を自ら耕作するものに限定する」「小作地の譲渡は当該小作農が購入を放棄・売却しないかぎり購入資格を保持し続ける」としました。このようにして「耕作権」が確立し、それが農地法にも明文化されているのです。
 Q 小作農の大半が自作農になったと?
 A 基本的にはそうです。農地改革の目的はまず、小作農に土地を所有させること=自作農化です。
 しかし、もう一つ重大な問題があったのです。市東孝雄さんの父・東市さんの場合のように、戦争からの復員が遅れた結果、小作地の所有地化手続きが正しく行われなかったり、地主の抵抗や偽計で小作農のまま残ったり、という事例が少なくなかったのです。こうした小作農の人びとへの権利保護が農地改革のもう一つの趣旨であり、それを法律化したものが農地法です。
 農地法は農地改革の成果を法的に防衛するとともに、自作農になれなかった前述の小作農たちの権利=耕作する権利を保護することを最大の趣旨としているのです。これが農地法の目的です。だから「耕す者に権利あり」と、農地法の冒頭に書かれています。
 したがって農地法がある限り、市東さんのような残された小作農の耕作権は絶対的に保護されなければなりません。農地法に明記された「耕作権」は、戦前戦後の幾多の小作農たちが労働者の応援も得て、血と汗でもぎりとった農民の生きる権利であって、絶対不可侵権です。
 Q 多見谷判決では、結論として、市東さんに「農地を明け渡せ」という内容になっています。どうしてそのようなことが可能なのですか。
 A 「農民の生きる権利」より、時の政府の「国策」を優先する、というデタラメを強行することによってです。多見谷判決は、あくまでNAAの側に立って、市東さんの生きる権利を奪おうとする所に本質があります。ですから農民殺し判決なのです。
 とても裁判とは呼べません。全人民の力で打ち砕かなくてはなりません。
(つづく)
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