農民の解放へ 真の道は何か ④ 農民学習会 労農同盟論を学ぶ 革命ロシアの苦闘 内戦勝利支えた農民の決起 スターリン、農業集団化の裏切り

週刊『三里塚』02頁(0922号02面08)(2015/06/22)


農民の解放へ 真の道は何か ④
 農民学習会 労農同盟論を学ぶ
 革命ロシアの苦闘
 内戦勝利支えた農民の決起
 スターリン、農業集団化の裏切り

(写真 内戦勝利へ、前線に人とパンを送ることを決議した貧農委員の集会【ウラル 1918年】)


第1部 講演 三条克実さん (4)

 第三のテーマは「レーニン労農同盟論を深めて、実践していく」です。私たち革共同は、レーニンの提唱した労農同盟論を継承し、発展させていく立場に立っています。今日の日本においても、どんなに農民の数が少なくなろうが、労農同盟の確立はプロレタリア革命を実現するために必要な戦略です。
 プロレタリア革命をやる過程だけでなく、革命後、プロレタリア権力にとって労農同盟は必須不可欠の絶対条件です。プロレタリア独裁の時期に、プロレタリア権力が食糧をどう保証するのかということは大きな課題です。さらにマルクスが訴えた「都市と農村の対立の止揚」という課題をどのようにしていくのかに関わる問題です。
 レーニンが労農同盟論を確立したロシア10月革命の過程で、貧農(小作農)と農民代表ソビエトの要求であった土地要求を、ボルシェビキと労兵ソビエトが自らの要求として掲げます。そのことによって農民のプロレタリア革命支持・労兵ソビエト支持が広がります。
 レーニンは「土地についての布告」を出し、地主や皇室、教会のすべての土地を農民代表ソビエトによって処理することを命じます。圧倒的な数の農民に土地が分け与えられていくのです。
 しかし、革命政権の農民政策はすんなりとは行きませんでした。国内の内戦の激化、外国の帝国主義の反革命戦争によって、革命ロシアを守るために戦時共産主義政策をとらざるを得ません。1918年6月からです。内容は「労働者の規律維持、労働義務」「穀物割り当て徴収」など、とにかく反革命との戦争に勝つために、無理を承知で、労働者への労働と赤軍への参加要請、農民からの食糧供出が行われます。
 これには、土地を獲得した貧農たちを中心に、農民は必死で応えました。労働者も同じです。写真にあるように、貧農委員たちが深刻な食糧不足の中で、内戦勝利のために、前線に人とパンを送るような決議が次々に上げられたのです。
 他方で、革命ロシアの苦闘は続きます。さまざまな混乱も起こります。歴史上初めての事業を、厳しい内外の条件の中で行うのですから、矛盾は避けられません。
 そこへ1921年3月のクロンシュタットの海軍基地で兵士の反乱が起きました。これをきっかけに戦時共産主義を転換して新経済政策(NEP)に移行します。帝国主義の反革命戦争および白軍(反革命軍)との内戦に基本的に勝利したという前進の上に初めて可能となった政策移行だということをはっきりさせなければなりません。
 まさにレーニンの切り開いた労農同盟の固い団結によって実現された地平でもあったのです。
 NEPにおいては、「納税後、残余農産物を市場で自由に売買できる」としました。このことにより都市部では小規模商工業者が生まれ、農村部では自営農民が生まれることになります。やむを得なかったとはいえ、今までの厳しい取り立てをやめ、一定の自由を認めて行くことになりました。この転換も革命権力を維持するための現実的妥協策でした。
 NEPがそのまま革命ロシアの農民政策・農業政策として展開されていくべきものだとは思いません。レーニンは「社会主義建設へむかった本来の形に戻さなければならない」という思いが強烈にあったと思います。しかし、レーニンは残念ながら病魔に侵され、「本来の形」を作りあげる前に亡くなってしまいます。
 革命ロシアが重大な岐路に立っている時にロシア共産党の実権を握ったのがスターリンです。スターリンは、疲弊する労働者・農民という国内的な厳しさおよび国際的な革命の波の後退=孤立化という厳しさに屈服し、革命の原則を裏切っていきます。スターリンはロシアの直面している困難を世界革命への前進という道で突破することを放棄して、「一国でも社会主義は可能である」(一国社会主義論)として、労働者・農民を犠牲にして工業生産力を高めて帝国主義と競い合うという、誤った道に革命ロシアを引き込みました。そこで強行されたのが強制的な農業の集団化です。
 農業集団化は1928年の第1次5カ年計画と同時に始まります。これ以降の過程は文字どおり農民の意志に反した暴力的な過程でした。飢餓などで何千万人もの農民が死に追いやられたと言われています。

残された実践課題

 レーニンは「プロレタリア革命には労農同盟が必要だ﹂と論を立てました。しかし、この同盟を本格的に発展させる前に亡くなってしまいました。
 ですから、レーニン労農同盟論の実践は私たち自身に残された課題です。ロシア革命の時とは農民の比率も状況も違います。日本の場合は工業が発展し、生産力も高まっています。ロシア革命当時、矛盾を農民に転嫁せざるを得ない場合があった時とは事情が違っています。農民にとって比較的有利に労働同盟を提起できるのではないか、と思います。
 問題はプロレタリア革命とプロレタリア独裁の時期に労働者階級が農民とどういう関係、信頼関係を築くのかということです。社会主義の課題である土地の共有化を暴力的にではなく、労農同盟の形成―労働者と農民の信頼関係にあくまで依拠して進めるしかないのです。
 革共同も全国農民会議の結成を断固支持して、ともに前進してきました。労働者階級と農民との関係をどのように作り上げていくのかということを本格的に対象化してきました。これからどうして行くのか、どういう問題があるのか、みんなで議論していきましょう。
(つづく)

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