一坪裁判 共有運動の歴史と全体像 小長井弁護士が証言

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週刊『三里塚』02頁(0931号02面05)(2015/11/09)


一坪裁判
 共有運動の歴史と全体像
 小長井弁護士が証言

(写真 報告会で発言する小長井証人【10月29日】)

 10月29日、千葉地裁民事第5部(鹿子木康裁判長)で、鈴木一坪共有地裁判の弁論が開かれた。
 この日は、2人目の証人として、三里塚反対同盟発足当初の顧問弁護団団長であった小長井良浩弁護士が立った。小長井証人はまず、顧問弁護士として自らが富里空港反対運動の時に一坪共有地運動創生に関わったことを証言した。
 さらに次のように続けた。空港案が三里塚に移され、三里塚反対同盟が結成されたことで、富里の成果を踏まえ、ほぼ同じ内容、趣旨、会則を持つ「三里塚周辺に土地を持つ会」を作ったこと。目的は三里塚における空港計画の撤廃。会は116人の共有者から発足し、その後労働組合などからのまとまった加入によって、2345人まで拡大したことなど。
 1971年の第1次、第2次強制代執行との闘いでは、反対同盟は一坪共有地に立てこもって闘った。共有運動の積み重ねが実際の闘争の中で生きたのだ。
 小長井証人は富里と三里塚を貫く一坪共有地運動の歴史と全体像を、当事者だけが再現できるリアルな表現で語り、裁判長を含め法廷内を圧倒した。そしてこの裁判で原告・千葉県が、「土地を使用する目的がない。単に土地を共有するだけ」とケチつけしていることについて、小長井証人は「虚偽ですね」と答え、利益を生む事業にしか意味を見出せないという県の浅はかな考えを一蹴した。そして、重ねて「空港反対こそ会の目的であり、反対運動として有効なものだった」と述べ尋問を終了した。
 証人尋問が終わると、裁判長が千葉県に対し、土地の取得後の利用計画を具体的に示すよう要求した。県の代理人弁護士は、予想もしていなかった要求に顔色を変えた。「早期に提出するように」と裁判長から念押しされる中、閉廷した。
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