私と三里塚闘争 50周年記念企画 ③ 50年の闘い 時代への回答 斎藤郁真・全学連委員長

週刊『三里塚』02頁(0943号01面02)(2016/05/09)


私と三里塚闘争 50周年記念企画 ③
 50年の闘い 時代への回答
 斎藤郁真・全学連委員長



(写真 3・27三里塚全国集会のデモをけん引する全学連のデモ隊【成田市赤坂】)


 三里塚闘争50周年、おめでとうございます。私は今27歳ですから、50年とは私には想像のつきようのない年月です。そしてそれだけの年月にわたって闘いが続き、国家権力の執念をもってしてもひとつの空港が完成しない。労働者・農民が腹を固め、団結した闘争がいったいどれほどの力を持ちうるのか、その最高の表れこそが三里塚闘争だと思います。
 その巨大な力は、世界を揺るがしてきました。最も有名な例でいえば、ドイツのミュンヘン空港建設において農民への手厚い配慮をドイツ政府から引き出した話があります。もちろんこの例は帝国主義の政治の一環であり、それ自体の評価はあるとは思いますが、三里塚闘争が歴史に与えた影響は海を超え、遠くヨーロッパにまで轟いているということにほかなりません。
 羽仁五郎氏は「三里塚闘争は現代のパリ・コミューン」と評しましたが、パリ・コミューンの偉大な闘いが資本主義をして社会保障を整備させる決定打となったように、ドイツにまで轟いた三里塚闘争の力は共に闘ってきた私たち全学連すら知らないところで帝国主義に多くの制限を強制したことは容易に想像できることだと思います。まさしく「反戦の砦・三里塚」は、既存の農民闘争の枠をぶち破ったその存在をもって世界の帝国主義者を震え上がらせ続けてきました。

勝利の道筋を

 「三里塚闘争のようにしてはいけない」......。国家権力はもちろん、「左派的ポジション」を利権とする勢力が資本主義・帝国主義を原理レベルで否定する三里塚闘争を恐れ、悪罵を投げつける歴史は今も続いています。
 しかし、「50年間国策と闘って空港ひとつ完成させない」という三里塚闘争がかちとった客観的事実は反原発闘争や沖縄・反基地闘争が進むべき闘争勝利の展望と明らかにしています。
 三里塚闘争50周年を、三里塚闘争が貫いた運動の原則・魂を全社会に訴え、広めるきっかけにしていく。その名誉を全学連が共に担えることを誇りに思います。
 今、歴史的な経済危機・大恐慌の下、第三次世界大戦前夜ともいえる状況が世界を覆っています。今年2月末、在韓米軍司令官カーティスは米議会で「今、朝鮮半島で衝突が起これば第二次大戦に匹敵する事態になる」と述べながら、3月から4月にかけて原子力空母2隻をも動員した史上最大規模の米韓合同軍事演習を朝鮮半島近海で行いました。
 とんでもない戦争挑発行為であり、アメリカ帝国主義の狙いは明白です。日本も兵站基地としての役割を担い、事実上この演習に参加しました。中東でも石油利権の再編をかけた泥沼の戦争が続いています。
 三里塚農民が空港反対闘争を貫くなかで示した生き方は、この時代に対する回答です。戦争は実際には帝国主義者自身が遂行できるものではありません。
 兵士の食料は結局農民がつくっているように、戦争の実体はどこまでも労働者民衆自身の労働の成果にほかなりません。「生きていくためにはしかたない」「仕事だからやるしかない」......。
 人間労働が他人に所有される社会、つまり資本主義社会の矛盾の極みが現代戦争です。市東孝雄さんが空港会社から1億8千万円もの買収金を提示され、「農業では一生稼げない金額」だと言われたことに対して「1本100円の大根を売って生きていくのが自分の人生だ」と答えたエピソードは農民の誇りを示したものにとどまらず、戦争に対する人間としての最高の回答ではないか。三里塚闘争の真髄は「人が働いて生きること」そのものを武器とした誇りの中にあるのだと、私は考えています。
 全学連が学生自治会にこだわり、ストライキの復権に挑戦している地平は、三里塚闘争との連帯、そしてそれと共に闘ってきた動労千葉をはじめとする階級的労働運動との連帯の歴史なくしてありえなかったはずです。
 時代の根底的な変革へ、これからも共に闘いましょう。改めて三里塚闘争50周年、おめでとうございます。

このエントリーをはてなブックマークに追加