天神峰カフェ 〝人民の中へ入ろう〟 北原健一さん、熱く語る

週刊『三里塚』02頁(0979号02面01)(2017/11/13)


天神峰カフェ
 〝人民の中へ入ろう〟
 北原健一さん、熱く語る

(写真 婦人行動隊の木内敦子さんが天神峰カフェ参加者に北原健一さんを紹介【10月29日 成田市天神峰】)


 10月29日、天神峰の市東孝雄さん宅離れの決戦本部で第8回天神峰カフェが開かれ20人が参加した。この日は、故北原鉱治事務局長の長男の健一さんを迎えお話をうかがった。
 健一さんは、母校の遠山中学校で反対同盟結成に向けた第1回期成同盟の集会が開かれた時に、父・鉱治さんから「お前が行ってようすを見て来い」と言われ、講堂に入りきれないくらいの人が集まり熱気あふれる集会だったことを報告した。
 しばらくして、父から「事務局長をやることになった」と言われたが、特に説明も聞かなかったそうだ。そして「親父には商才があった」と語った。几帳面な性格に加え、当時御料牧場に勤めていた人たちに「つけ」で商品を渡し、あとは年2回のまとめての支払いで構わないというやり方を発案した。布団の卸しなども、九十九里海岸から飯岡あたりまで買い付けに行ったという。
 物のない時代だったこともあり、仕入れたものはよく売れ、子どもの頃、店に商品を並べる手伝いをしたりした。
 「一般的には商人は、体制側にまかれやすい。だけど空港絶対反対派が多く、条件付き賛成は少なかった。このことが闘争に踏み出すきっかけになったのではないか」
 「いつも闘いに入るときは家族への相談はなく、明日何時に行くからと言うだけ。自分の姿で示したかったんじゃないか。でも言わなかったからこそ逆に安心できた」
「権力には動じなかったが、地域やまわりには気をつかっていた。自分の利益のためではなく、みんなのために闘っているという自信、信念があったからだろう。成田市議会議員選挙で順位が上がっていったことを自慢げに語ったこともあった」
 闘争をやめていく人も、最後に北原事務局長の所によくあいさつに来ていたという。鉱治さんは怒るかと思ったら、相手の話を全部聞いてじっくり考えてから話をしていた。一方、3・8分裂の時は、「原則を曲げるな」と健一さんにも語っていた。健一さんはあらためて、自らの決意を語った。
 「闘いをやめるのは簡単だけど、われわれには未来をつくるという誇りがある。闘ってきたことは絶対に無駄にはならない。今はまだみんな黙っているが、やっぱり革命しかないんじゃないかと思う。『ヴ・ナロード(人民の中へ)』という言葉があるが、三里塚が市東さん、萩原さんを先頭に人民の中へ入っていけば展望が切り開かれる。一部の人だけでは革命はできない。人びとの中に入らないといけない。これ以上権力の思い通りにさせない。市東さんを絶対に守らなければならない。これは市東さんだけの問題じゃない。地域、全国、全世界の問題だ」。そして、「50年の闘いはみんなに支持されている。自分もこれからがんばる」と締めくくった。熱意あふれる語りに参加者全員が胸を熱くし、決意を新たにした。
 現地行動隊の学生は「三里塚はエネルギッシュな人が多くむしろこっちが元気をもらう。ねばり強い闘いに学び負けないようがんばる」と感想を語った。健一さんは、「ねばりはどこからくると思う?」と尋ね、少し考えてから「やっていることの正しさ、勝利する展望があるから納豆のようにねばりがでる」と語った。市東さんが、「正義はわれわれにある。だから国家権力をもっても闘いをつぶせない」とまとめ、健一さんは「市東さんと共に闘う。これからが大事だと訴えたい」と応えた。次回の天神峰カフェは11月26日(日)。みなさんぜひお越しください。

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