市東さんの農地を守れ 強制執行と闘う裁判の争点

週刊『三里塚』02頁(0981号02面01)(2017/12/11)


市東さんの農地を守れ
 強制執行と闘う裁判の争点

(写真 左の3本目の誘導路と右のB滑走路で空港の中に取り囲まれた市東さんの家や畑)



 現在、成田市天神峰で無農薬・有機野菜を作る専業農家・市東孝雄さんの農地をめぐる裁判が闘われています。NAAは「農地明け渡しを命じる判決が確定した。農業をやめて出ていけ」と市東さんに迫っています。判決執行の対象となっているのは2か所です(左の図)。合わせて1・3㌶もの広大な農地であり、市東さんの全耕作面積の73%。営農に不可欠な育苗ハウスや作業場、離れ、トラクター置き場なども含まれています。農地強奪を絶対に認めることはできません。
 成田空港のB滑走路は市東さんの畑の存在によって誘導路が「へ」の字に曲がっています。NAAは「これで支障はない」と言いながら、02年に供用を開始しました。しかし、翌年になって突如「効率が悪い」などと言って市東さんに明け渡しを求めてきました。

事業認定失効で収用できず

 成田空港建設は国による公共事業として進められてきました。公共事業における土地の強制収用は土地収用法による以外にありません。しかし、成田空港建設においてはもはやこの法律を使うことはできません。88年に千葉県収用委員会が解散。収用裁決の請求権も89年に時効消滅しました。93年、空港公団(現NAA)は収用裁決申請を正式に取り下げました。さらに94年、公団はB滑走路建設のために「あらゆる意味において強制的手段は用いない」と社会的に宣言します。そして、これまでの暴力的土地取り上げについて「謝罪」しました。
 これらの事実により任意買収以外に土地の取得はできなくなっているのです。
 しかし、結局は何としても空港建設を推し進めたいNAAは、農地法を使って裁判で農地を取り上げるというデタラメな方策を繰り出してきたのです。

公団の買収は違法・無効だ

 市東さんの農地は、いわゆる「残存小作地」です。100年前に祖父である市太郎さんが開墾し、父親である東市さんが耕し続けてきました。東市さんが太平洋戦争に動員され復員が遅れたために、戦後の農地改革でも登記手続きが適切に行われず、小作地として残されました。本来であれば市東家の所有地になるはずの農地なのです。
 小作地であることに目をつけた空港公団は、耕している小作人に無断で土地を地主から買収するという暴挙に出ました。そもそも、農地法では、農地の所有は農業に従事する者しかできず、売買の時も小作権者に買い取ってもらうか、同意を得なければならないと農地の売買を厳しく制限しているのです。空港公団は小作人の同意のない底地の売買は無効であるにもかかわらず、秘密裏に強行しました。さらに、15年間登記せず、市東家に小作料を元の地主に払わせ続けてきました。そして03年、NAAは自分が地主だと名乗り出て、明け渡しを求めてきたのです。これらすべてが違法行為のオンパレードです。

署名を集めて傍聴に行こう

 13年7月、千葉地裁・多見谷寿郎裁判長はこれらの違法・無法にふたをしたまま農地強奪判決を強行しました。生きる権利、耕す権利を否定し、離農を強制する許し難い判決です。高裁、最高裁もこれを追認しました。
 しかし、市東さんはNAAが裁判所に強制執行を請求する権利はないと請求異議の申し立てを行い、千葉地裁に受理させました。判決が確定してもその執行はさせないという前人未到の闘いです。今この請求異議裁判で高瀬順久裁判長は早期に弁論を終結させようという意志をむき出しにしてきています。反対同盟が呼びかける「強制執行反対」署名へのご協力をお願いします。次回、3月8日の裁判前に千葉地裁に提出する予定です。裁判傍聴、千葉市内デモに集まり、強制執行を絶対に阻止しましょう。

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市東孝雄さんの決意

 父祖から3代100年にわたって耕し続けた農地は私にとって命そのものです。
 安全な野菜を作り消費者に届け、喜びを伝えることが、私の生きがいであり誇りです。これを奪い農業をやめろと言うNAAと裁判所への憤りを抑えることができません。お金の問題ではありません。私のつくる1本100円の大根には、空港会社が提示する「補償金」1億8千万円よりも価値があります。
 同じ国策によって沖縄や福島でも多くの人々が踏みにじられています。国策と闘う全国の人々と共にこれからも1本100円の大根を作り、この地で生きていきます。不当な強制執行には体をはって闘う決意です。

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