福島菊次郎展 〝三里塚は現在の闘い〟 太郎良さん訴え

週刊『三里塚』02頁(0985号02面02)(2018/02/12)


福島菊次郎展
 〝三里塚は現在の闘い〟
 太郎良さん訴え


 2月3日、東京都府中市で「福島菊次郎が問う『戦後』写真展―原爆・基地・三里塚」が開催されました。武蔵大学教授の永田浩三さんが「福島菊次郎その業績を考える」と題した講演を行い、砂川平和ひろば主宰の福島京子さん、反対同盟の太郎良陽一さんが闘争現場からの報告を行いました(写真)。会場には写真集などの書籍や三里塚野菜の販売コーナー、砂川闘争や三里塚闘争を紹介するパネルの展示コーナーなどが設けられ、来場者が会場を埋め尽くす中で講演企画が始まりました。
 永田さんは、菊次郎さんの広島での業績を中心に紹介しました。一人の被爆者との出会いと「わしの仇をとってくださいや」という言葉が彼の人生を変え、「戦後」を撮ることに没頭していく様子を語りました。
 福島さんは、砂川闘争(立川基地拡張反対闘争)が「原爆を飛ばす飛行場に反対する闘い」として出発したこと、労働者・学生との連帯で勝利をもぎとったこと、その中で三里塚闘争も始まり、北原鉱治事務局長と交流を深めたことを自らの経験を通して語りました。そして、民有地返還の闘いを沖縄の基地反対の闘いにつながるものと位置づけて取り組んだこと、勝利を引き継ぎ、伝えていくことの重要性を強調しました。そして、父である故・宮岡政男副行動隊長の「『絶対反対』で闘わなければ闘いは負ける」「ひとつでも条件を出した時、もうそこで闘いは終わる」という言葉を紹介しました。
 太郎良さんは、冒頭に「一人でも多くの方に今の三里塚を訪れてほしい」「空港はまだ全然完成していない。三里塚闘争は現在の闘いだ」と力強く訴えました。そして、1968年に三里塚反対同盟、砂川町基地拡張反対同盟、全学連の共闘で開催された集会や71年の強制代執行との闘いに触れ、「この経験を通して、三里塚闘争は農民闘争だけではなく、戦争反対で闘う労働者や学生と結びついて反権力の旗印として闘われるようになった」と述べ、「市東さんの農地を守る闘いに、みなさんの力を貸してほしい。4・1全国集会に集まろう」とアピールしました。

このエントリーをはてなブックマークに追加