大地の響き 投稿コーナー

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週刊『三里塚』02頁(1004号02面07)(2018/11/26)


大地の響き 投稿コーナー

援農で感じた連帯感
 関西学生 佐々木研二

 秋も深まりつつある11月初頭、友達に頼んで三里塚へ援農に行きました。「三里塚へ」というよりは、正直なところ「援農」への意欲の方が強く、いろいろあって疲弊した心を農作業で修復したいという私心がありました。
 関東平野に位置する成田の地には豊かな農地が広がり、山地が多い日本ではあまり見ない大面積の野菜畑の上には、やさしい空気が漂っていました。収穫の秋と言うように、今回の援農の内容はさつま芋、春菊、人参、里芋、ピーマン、ブロッコリーの収穫がメインでした。育てるのに力を出したわけでもないのに、収穫の喜びだけを体験するという、夏場に来た友達と比べて、ずいぶんおいしい所をとったもんだと、若干気負い気味なことを考えながらも、やはり農作業は大変で、2日目には全身筋肉痛になっていました。(写真
 農作業をして心をリラックスさせるという当初の私欲は十分満たされたわけですが、三里塚だからこそ感じたところもありました。
 その一に、生産生活の共同性です。市東さんと萩原さんのところで援農しましたが、出荷などの時は共同で作業をしています。また、援農に来る全国の学生、労働者との連帯が加わり、労農学共同のコミューンが出来上がっています。
 人間が生きていくためには農業がなければいけませんし、安全でおいしい野菜を食べるには無農薬有機栽培が好ましいとされています。
 しかし、それでは個人に分断された社会において、「儲かるものを作る」という市場経済に反してしまいます。
 こういった背景の中、三里塚での完全無農薬有機栽培が成り立っているのは、労農学が連帯・団結することによって「分断された個人が利益追求のために働く」局面を突破し、生産する者が主体性を持ち「私たちに必要なものを作る」ことができるからではないかと感じました。
 もう一つ感心したことは、ここでは「農地を守る」という意志をみんな持っていることです。
 僕が子どもの頃、祖父母の家が農家でした。おじおばもいて、大家族で農作業をしている光景が大好きでした。しかし、当時はまだ幼く、作業に交ざりたくても「お前にはまだ早い」と言われてきました。僕が成長するとともにしだいに農業の収入が厳しくなり、やがて都市の拡大によって農地が徴収されました。このことは僕にとってとても悔しく、またおばや母が「昔自分たちで作った野菜の方がおいしかったのに」とこぼしたりしています。
 だからこそ三里塚で、資本や権力に屈せず農地を守ろうとする人たちに感動し、それを支持したいと思いました。
 今回の三里塚援農で、労農学連帯による農業の未来の構図と、農地を死守する今の闘いを見て、団結と闘いの重要性を改めて確認しました。52年闘いぬいて、僕の代まで引き継いできた方々に敬意を表します。

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