大地と共に 三里塚現闘員が語る 江戸川区職から三里塚へ 10・8羽田に職場から決起 現闘40年、確信は変わらず

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週刊『三里塚』02頁(1042号02面01)(2020/06/22)


大地と共に
 三里塚現闘員が語る
 江戸川区職から三里塚へ
 10・8羽田に職場から決起
 現闘40年、確信は変わらず

(写真 「佐藤首相ベトナム訪問阻止!」。全学連が羽田弁天橋で実力決起【67年10月8日】)

 1947年、東京都葛飾区に4人姉妹の長女として生まれました。父はべっこう細工の職人で給料は安く、母が造花の内職をやりながら、栄養失調にならないようにと懸命に育ててくれました。
 当時は貧困で3人に1人くらいしか高校に行けない状況でしたが何とか進学できました。高校では社会科学研究会に入り、文化祭で日韓問題をあつかった展示をしました。すると、朝鮮学校の生徒が来てくれ交流を持ちました。あるがままの状態を知って欲しいというスタンスで、「祖国に帰りたい」という人も「在日として生きる」という人もいました。
 高校卒業時、結婚に展望を持てず、一人でも食べていけるようにと男女平等の公務員だと試験を受け、江戸川区役所に勤めることになりました。
 中核派の活動家が2人いたんですが、組合の執行委員もやっていた前迫易子さんに全国の組合の青年部・婦人部が山中湖に集まり交流する平和友好祭に誘われ、参加しました。
 その後、全逓のIさんから10・8羽田闘争に行こうとオルグされました。私は快諾し、「どういうデモをするんですか」と聞き返したことにびっくりしたと後で聞きました。組合のデモは決まったコースを歩くだけで面白くなかったんです。
 誘う側からすると10・8羽田は自らの飛躍をかけ相当な覚悟でやろうとしていたんですよね。
 10・8前日はみんなと一緒に泊まり込みました。未成年で心配されたんだと思うのですが、革共同の野島三郎さんから「もし捕まったら、とにかく泣いていなさい」と言われました。
 デモでは、機動隊に蹴散らされ一緒にデモをしていた労働者が頭を割られたり、激しくぶつかりました。途中で帰っちゃう人もいたんですが、私たちはもう一度結集して再びデモに立ちました。野島さんから「再結集できてえらい」ってほめられましたね。(笑)
 10・8では京都大生の山崎博昭くんが機動隊に虐殺されましたが、権力は「学生がひき殺したんだ」というキャンペーンを張りました。前迫さんは当時妊娠していたのでデモには参加していなかったのですが、江戸川区労働組合協議会の会議で社・共から冷や水を浴びせられたと言っていました。

組合活動で勝利

 組合活動で印象に残っているのは、キーパンチャー公務災害認定闘争です。江戸川区はいち早くコンピューターを導入しました。データを入力する人のことをを当時キーパンチャーと言って腱鞘炎などになる人が多く、公務災害か否かが焦点となっていました。
 どちらかというと闘争を抑圧する側だった人自身が頸肩腕症候群になったこともあり、勝利しました。婦人部の闘いとして社・共からも一目おかれました。
 10年ほど公務員として働いていました。その間、前迫さんの連れ合いがカクマルに虐殺されるなど、対カクマル戦が激化する中、職場が終わってからの活動だけでは組織をつくれないと職場をやめる決断をしました。
 2年後に三里塚が風雲急を告げてきたので、77年に学生や地区の人と一緒に私も派遣され闘争会館に住み込みました。
 労働者だった頃にも援農に行ったり、集会にも欠かさず参加していました。当時は、法政大学からバスが時間差で十何台連ねて現地に行く体制が取られていました。68年の3・10成田市役所公団分室突入闘争では学生が先頭で機動隊とバチバチやっていて、その後ろに私たちが座り込んでいたのですが、学生に近いところにいたこともあって私も機動隊に背中を殴られたりしました。
 現地に来て感じたのは中核派への期待です。まじめに仕事する中核派という農家からの信頼を裏切ってはいけないと、慣れない作業も一生懸命がんばりました。
 現地で活動している間に最愛の人とも出会うことができました。当時は、毎年のように同盟も招いて闘争会館で現闘の同志の結婚を祝う会が行われていました。ある指導部は、結婚を公的に明らかにすることによって、同盟や他の人との関係をはっきりさせる意味があると言っていましたが、私にとっては目指すものが一致していることが大事なことでした。

「革命の現実性」

 30歳で現地に来て40年が過ぎました。現闘も同盟も本当によく闘ってきたと思います。確かに周辺の景色は変わったけども、闘争的な核心・確信は変わっていません。
 他人への細やかな気遣いができて、かつ闘いと自分の生き方への確信を強く持っている市東さんという農民がいて共に闘っている。そのことへの責任とやりがいを日々感じています。
 今ほど革命の現実性という言葉がふさわしいときはないと感じています。どこの部署にいても同じ。一つ一つの闘いが重要です。若い人たちに闘いの火をつなぎたい。
沢野碧
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