明日も耕す 農業問題の今 人新世と呼ばれる時代に 環境危機と農業問題

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週刊『三里塚』02頁(1050号02面05)(2020/10/26)


明日も耕す 農業問題の今
 人新世と呼ばれる時代に
 環境危機と農業問題


 人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きくなった20世紀半ば以降は、地質学的に見ても新たな年代に突入したとして、人新世(ひとしんせい=アントロポセン)という新しい時代区分が提唱されている。

 人新世なんて取っつきにくい言葉だが、この言葉が注目され始めるほどに、時代は転換点にある。
 気候変動に見られるように、人類は地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまっている。コロナ禍はまさにこうした危機を象徴するものだ。
 前号で取り上げたグリーンリカバリーなどでは解決しない。なぜなら、無限の経済成長を追い求める資本主義こそが気候変動をはじめとする環境危機の原因にほかならないからだ。例えば、人類が使用した化石燃料のなんと約半分が、冷戦が終結した1989年以降のものだという。
 しかし、人新世というこの時代で環境危機を前にしても、資本家階級は自ら資本主義をやめたりはしない。カール・マルクスは「我が亡き後に洪水は来たれ」がすべての資本家のスローガンだと表したが、まさに洪水は目前に迫っている。資本家階級を倒さなければ人類が生きられない環境になってしまう。いや、すでにコロナ禍の中で労働者民衆は首を切られ、命を奪われ、生きられなくなっているではないか。
 社会主義を支持するアメリカの若者に象徴されるように、資本主義以外の選択肢を求める動きが胎動している。

自然界との代謝

 こうした時代において、農業はどうだろうか。資本主義のもとで人口が増大し、人間の活動が地球環境に目に見えるような影響を与えるようになると、農業による環境への影響も無視できないものになった。
 大量の化学肥料の投入は、自然界の窒素収支バランスを崩し、製造過程では大量の二酸化炭素を発生させる。温暖化や酸性雨の要因になっている。日本で窒素負荷を低減するためには、輸入飼料と化学肥料を低減させることが必要だ。
 リンは生命を形成するための必須元素だが、食物連鎖やリン鉱石の生成という長い時間を経て循環が成り立つ。リンを含む家畜排泄物や生ゴミが堆肥として利用され、農地を介したリサイクルができればいいが、化学合成肥料で使用が増大した現代農業によるリンの消費スピードでは、資源の枯渇が避けられない。
 また、地球の自然サイクルを持続するためには生物多様性が不可欠なのに資本主義はこれを壊している。
 生物絶滅の進行速度は100年前には1年間で1種類だった。1975年には1年間で1千種となり、今や1年で4万種以上だ。
 農業や牧畜業は、数百年にわたって小麦、トウモロコシ、イネあるいは牛、豚など少数の生物種を世界中に広げた。野生生物は雑草、害虫、害獣とされ、生物多様性は著しく減少した。
 人類は自らの人口を増やすと同時に、家畜の数も大幅に増やしてきたので今や家畜は哺乳類のバイオマス(生物量)の60%を占めるに至っている。人のバイオマスが36%で、野生の哺乳類はわずか4%でしかないといういびつさだ。
 コロナに引き寄せるなら、家畜数の増大はそれらを利用するウイルスにとって好条件となり、人獣共通感染症が人間にも拡大するリスクは確実に増えている。

農業変革の好機

 こうした情勢分析に立つならば、いかに高く売れるかを重視するような農業がこれまで通りというわけにはいかない。農業の成長産業化などあり得ないし、輸出農業の促進などもってのほかだ。遺伝子組み換え作物は農薬とセットで環境を破壊し生態系を壊した。
 もはや待ったなしの環境危機の中で、金もうけでない農業が見直される時代だ。小欄でも取り上げてきた産直や家族農業、小農のあり方があらためて見直され、注目される時代だ。農業のあり方を変革するチャンスでもある。確信を持って菅政権と対決しよう。菅政権はコロナ禍を惨事便乗的に利用し、強権政治を進めてくるだろう。当面の課題は、秋の臨時国会でねらわれている種苗法の改悪を絶対に阻止しよう。 
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