一審判決の見直しを 3人の学者の証言要旨

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週刊『三里塚』02頁(1080号01面02)(2022/01/24)


一審判決の見直しを
 3人の学者の証言要旨

(写真 大看板設置時の市東さん【2002年】)

市東さんに営農権あり
 専修大学教授 内藤光博さん

 成田の問題は長い反対運動の歴史が、国を二分するほどの熾烈な対立の中で続いてきました。
 私は現地に行き、農地ややぐらを実際に見て強い印象を受けました。市東さんの家に上がり、農地の状態、また空港の存在を客観的に見ました。
 この農地には長い年月、大きな労力が投下されてきました。「公共事業」としての空港建設が、個人の命をかけた生存権的財産を奪い、人間の尊厳を奪うものとなっている現実があります。やぐら、立て看板は、空港に反対する農民の50年を超える命がけの意見表明であり、抵抗権の行使です。
 財産権には民衆の衣食住に直接かかわる「小さな財産」の財産権と、利益を生み出す「大きな財産」の財産権の2種類があり、市東さんが耕してきた農地は、自らの生存権を確保するための絶対的なものであり、人間の尊厳にかかわります。
 営農権とは現在の日本国憲法に規定はないが、1961年制定の農業基本法にその理念が書かれています。農民の耕す権利、農民の地位を保障し、職業遂行の自由、勤労・労働の自由などの複合的権利保障と一体のものと位置づけられます。
 「食料安全保障」の重要さは、各国の憲法にも盛り込まれています。食料の欠乏は衣食住をめぐっての戦争が起きることを意味し、平和のために農業を意識的に保護するのは社会の流れです。
 ジョン・ロックは人間が生まれながらにして持つ権利として普遍的な自由権を唱えました。その内容は身体の自由、経済活動の自由、精神活動の自由であり、その自然権の一つとして抵抗権を唱えました。
 人間は協力し連帯し助け合い生きていく存在であり、より良い社会を築くために異議申し立ての自由、表現の自由は最大限尊重されるべきです。人間の尊厳を侵すようなものに対してそれを排除するために闘うことは義務でさえあり、認められるべきものです。
 歴史的には、南北戦争でリンカーンが黒人奴隷解放宣言を出しましたが、その後も黒人の地位は差別と貧困のもとにおかれ、1970年代の公民権運動の高まりの中で、キング牧師暗殺などの反動に屈することなく、人種差別反対闘争が命がけで闘い抜かれたことで、今日の世界に表現の自由が広がっています。
 トマス・エマーソンは、個人の自己実現として、切磋琢磨し真理に近づくものとして表現の自由を解明しました。表現の自由の保障は、社会の安定にも貢献します。多数者の利益で少数者の権利が損なわれれば、社会の不均衡によって分断が生じ、精神も荒廃します。少数者の意見を重視しなくてはなりません。

農地に建つ意味

 表現には必ず、場所・空間が必要です。やぐらは50年の反対運動のその現場にあることに意味があるのです。天神峰の畑にあの看板が建っていることが最も効果的で具体的な表現であり、市東さん自身も「自らの農地と一体のものだ」と主張しています。
 ドイツの法学者イェーリングは「権利のための闘争」の中で「法の目的は平和であり、それへの手段は闘争である」と述べました。
 50年を超す反対運動は、それを支えてきた人が存在するということです。この分裂状態を引き延ばすことは好ましくありません。NAAの言い分ばかりを真に受けるのではなく、裁判所の決断で、この問題を解決すべきです。

居住福祉に向き合え
 北海道大学教授 吉田邦彦さん

 強制立ち退きは居住福祉法学上もっとも深刻な課題です。福島の原発被害の「自主避難者」に対する無償の住宅提供の打ち切りにも表れたように、慎重な検討が必要です。
 特に、借地借家法学の中心的論点である「正当事由」論との比較検討が必要です。単純な賃貸人・賃借人の利益の比較考量ではなく、生活者の賃借人側の事情に重きを置いた解釈に留意すべきです。
 NAAは市東さんに対する賃貸借解約を通知し、その後本件土地の明け渡し請求を行い、上告棄却・判決確定となりました。関連条文は、農地法第20条(農地又は採草放牧地の賃貸借の解約等の制限)2項2号(現行18条2項2号)だが、同項5号「その他正当の事由がある場合」の趣旨を汲んで解釈すべきです。
 しかし一審判決では、居住福祉の根幹である「正当事由」は十分に検討されたか。
 本件では離作補償として、1億8千万円余が提示され「金目の問題」とされています。
 居住を単に容れものとしての「住宅」のみ考えるのではなく、住まいを人格が投影されたものとして、「生業」「消費生活」「教育」「高齢者の医療・福祉」等もかかわるものとしてとらえなければなりません。
 本件でも、市東さんの有機農業が彼の居住生活を支える上で、その人格的・非商品的保護が重要となります。財産には市場価値に置き換えることのできるものと、お金に換えられず市場になじまない財があります。

司法は最後の砦

 アメリカの憲法学では、司法の役割として「反多数主義的視座」という見方が強い。立法・行政で漏れ落ちた社会的弱者をすくい取る「最後の砦」として、司法は機能すべきだという考え方です。そういう基本的視座から、成田関連で行われてきた営農者を蹴散らすような司法で良いのかどうか、小泉よねさんが行政代執行で蹴散らされたようなあり方でよいのかどうかの反省が必要です。
 本件で行政代執行と実質的に大差ない強制立ち退きを迫りながら、「それとは異なる農地法20条に基づく明け渡し請求である」と言い張るのは詭弁であり説得的ではありません。
 かつての歴史の遺産から学ぼうとする営為にあまりに乏しいのではないか。将来世代への司法の教育としてもあるまじきことであり、再度、本件における居住福祉問題に謙虚に向き合ってほしい。
 コロナ情勢で成田の事情はすっかり変わった。これをどう司法に反映するか。「正当事由」の判断に影響しないはずがありません。基本的人権を守ることが何より重要です。私がアメリカで司法を学んだ時に最初に叩き込まれたのが、「司法は何のためにあるのか」でした。
 ライアビリティルール(責任ルール)になじまない、プロパティルール(所有ルール)から、市東さんの賃借権と土地を不可譲渡の所有権としてとらえるべきです。
 「概念法学」に逃げ込み狭い解釈論に終始するような自己満足的な司法に陥らず、今や世界水準の居住福祉的な、人格所有の発想を日本の裁判官も持っているということを、この法廷から世界に示すべきです。
 市東さんの身体の一部をもぎとるようなことでしか、将来を語れないのか、真剣に考えるべき時です。裁判官も天神峰の現地を訪れ、轟音を感じてもらいたい。

成田の破産状況見よ
 埼玉大学名誉教授 鎌倉孝夫さん

 新型コロナ感染症によって、それ以前と比べて成田空港の発着回数は約半分に落ち込み収益は4分の1に減少しました。
 2020年度決算では経常損失660億円。
 さらに空港特有の問題があります。飛行機が飛ばなくても施設や滑走路の維持の莫大な費用、固定費がかかり続けていくのです。店舗などのテナントをつなぎとめるための費用も引き続きかかり続け、それでも撤退していく店が後を絶たない。支援措置として国は634億円を融資しました。また機能強化推進のために、総事業費5000億円のうち財政投融資から4000億円の融資を受けています。
 NAAは一会社としてはとうに破産状況であるのに、国が100%株式を保有していることで存続していますが、結局はその巨額赤字は国民負担に転化します。なぜ国民がそんなものを担わねばならないのか。
 彼らは「いずれ航空需要は回復する」と言い張るが、根拠はなく、旅行需要はすでにぺしゃんこにつぶれました。機能強化策を継続することはコロナ危機への軽視です。航空需要は回復せずますます損失を重ね、無駄な設備が増えるだけです。
 今や世界的にはコロナからの復興に向けて反省が求められており、グリーンリカバリー、グリーンニューディールなどが提唱され、不要不急な航空機の縮小、石炭・石油の火力エネルギーの縮小、二酸化炭素の排出量削減、脱炭素が世界の流れになっています。
 航空機の排気ガスは全体の約2%だがそれでも莫大です。航空政策を見直すべきです。
 航空機を使わず、列車での移動に転換しようという「飛び恥」運動も起きています。長距離を飛ぶ航空機の需要は少なくなります。
 COP26で日本政府は、温暖化防止に努力することを約束した以上、これに反することはできないはずです。ところがNAAは機能強化に固執しています。「日本経済の再生は機能強化が不可欠だ」と国、NAAは言うが、その因果関係を示すことはできません。
 これまでの経済では成長が求められていましたが、労働者の賃金は上がっていません。90年代と比べると現在の賃金は相当減っている。非正規の労働者、とりわけ女性がその矛盾を被っています。女性の貧困が激増しています。

農業は生存基盤

 農業こそ生活・生存の基盤であり、教育・福祉・医療・介護などとともに不可欠の分野であるのに、日本の農業は危機に陥っています。持続可能な社会のためには絶対に必要な基盤こそ農業です。これまで政府は、自動車輸出と引き換えに農産物輸入を拡大してきました。日本の食料自給率は37%。いかにここから転換するかが課題です。農業関連予算は1998年に4兆5千億円だったのが2022年には2兆2700億円で、半減している。
 防衛予算は5兆円を超えました。米中対立が深まる中、台湾危機を煽りながら、日本は自衛隊を増強し米から兵器を爆買いしています。
 その犠牲にされているのが農業です。農民こそが直接土地にかかわる主人公であり、土地こそ農民の命です。農業経済の主体である農民の耕作を破壊することは法の名に値しない、法の原理に反するものであり一審判決は是正されるべきです。

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