大地と共に 元全学連副委員長が語る 90年闘争会館決戦(上) 成田治安法攻撃と対決 重機・放水を迎え撃つ

週刊『三里塚』02頁(1090号02面01)(2022/06/27)


大地と共に
 元全学連副委員長が語る
 90年闘争会館決戦(上)
 成田治安法攻撃と対決
 重機・放水を迎え撃つ

(写真 闘争会館に放水攻撃【1990年8月22日】)

(写真 来るなら来いと中核旗を掲げ抗戦)

(写真 意気高く奮闘する川添さん【左】)


 1965年に千葉県船橋市で生まれました。父親は自衛官だったのですが、私が生まれてすぐ習志野駐屯地から北海道に異動となります。小学校を何度か転校し、高校は最初は千葉で2年生のときに旭川に転校しそこで卒業しました。その後、東京でアルバイトをしながら専門学校に行っていたのですが、それも何か違うと感じていました。
 その頃、たまたま羽仁五郎の著書『君の心が戦争を起こす』を読んだんです。農民が暴力で土地を取られそうになってることをはじめて知り、これはどうしたものかと大変な衝撃を受けました。
 法政大学の学祭をのぞくと「三里塚農民来る」なんて企画があった。ここに入学すれば反対同盟と会ったり、三里塚に行けるのかなと思って85年に法学部政治学科の2部に入りました。
 入学式の前でしたが、3月の全国集会にはじめて参加しました。乗っていたバスの中にまで機動隊がドドドドって入ってくるわけです。何だこれは、とんでもない、やっぱり本に書いてあった通りなんだと思ったのをすごく覚えていますね。
 当時は、成田用水決戦(本紙1004〜6号で特集)で、誘われたらデモにもどんどん行っていたんですけど、7月に芝山の菱田のデモでいつの間にか先頭になっていて、はじめて逮捕されました。一応、救援ノートは読んでいたんで、完全黙秘でがんばりました。周りはビックリしていたようです。
 10月の10・20三里塚十字路戦闘でも、丸太を持ったりはしていなかったのですが、なぜかいつの間にかパクられていましたね。その時は女性もけっこう逮捕されましたが、起訴された人はいなかったと思います。
 85年の闘いは三里塚二期工事の着工を阻止した偉大な闘いでした。10・20三里塚十字路戦闘、11・29浅草橋戦闘、12・9対カクマルせん滅戦もあった。中核派は言ったことはちゃんとやる。すごいと思いました。

はじめての援農

 87年に全学連副委員長になりました。三里塚の闘争には行っていましたが、普段は大学にいて、朝早く立て看板を出し、マイクでの情宣、ビラまき、クラス討論をやり、夜遅くまで活動に明け暮れていました。
 88年10月に千葉県収用委員会が全員辞任、事業認定も20年経って失効かという状況の中、国家権力は焦っていました。
 89年9月に運輸省(当時)が天神峰現地闘争本部をはじめ三里塚闘争会館など現地の団結小屋9カ所に、成田治安法(運輸大臣が成田空港周辺3㌔以内の建築物の使用を恣意的に禁止できる)にもとづく「使用禁止命令」を通告してきました。これは二期工事着工に向けた敷地内反対同盟農民への脅し攻撃だと確認し、全学連も二期決戦行動隊を組織し、全国から15〜16人が決起していました。
 私は大学にへばりついていたので実は援農に行ったことがなく、はじめて行ったのが89年の夏頃です。当時、闘争会館には「援農の心得」が貼ってあり、持ちものや、「ご飯は残さない」「あいさつはちゃんとする」「手が空いたら何をするか聞け」等々。はじめてなのでそれを肝に銘じて、体力の限り頑張り、「上手い。また来て」と言われました。
 90年1月の天神峰現地闘争本部封鎖後に、闘争会館決戦を学生としても構えようと、私もいつ来るかわからない攻撃に備え、現地に常駐することになります。
 闘争会館は普通の団結小屋で、やっていることは援農とデモ、大きな闘争の前日に全国から駆けつけた人が泊まる生活の場ですからね。それを奪うというのはとんでもない攻撃です。
 これまで女性がこういう砦戦をやることはあまりなかったんです。89年の東峰団結会館の砦戦を女性も闘ったと知り、学生だった私たちはああそうかとけっこう衝撃を受けました。

実力闘争を決意

 その後、立てこもって闘うか聞かれたときに、三里塚はもともと運動を始めるきっかけとなった思い入れのあるところですし、「やりましょう」と即答しました。
 決戦日となった8月22日当日。危ないからと事前に大工仕事の上手な人が2階の角の部屋を補強してくれたところに立てこもり、はじめてバイクのヘルメットをかぶりました。
 早朝から周囲を大量の機動隊が囲み、重機での破壊攻撃が始まりました。最初は防衛的に窓くらいしか開けていなかったのですが、向こうが端っこを崩したのでとってもよく外の様子が見えるようになった。そうすると、応援の人が山ほど近くにいるし、機動隊も何千人と周りにいる。テレビの中継車はものすごく近くで撮影している。機動隊に対する「何をやってくるんだ、ふざけるんじゃない」という怒りはありましたけど、ものすごく面白かった。これまで一方的にやられていただけだったのが、闘争会館で闘ったときは「やってやった」という感じがあり、放水攻撃にずぶぬれになりながらも絶対に負けないって思いました。
川添望

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