戸村義弘さんを追悼する 兄・一作委員長支え反戦貫く

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週刊『三里塚』02頁(1093号01面04)(2022/08/08)


戸村義弘さんを追悼する
 兄・一作委員長支え反戦貫く

(写真 19年3月集会で戸村義弘さん(左)と市東さん)


 7月14日、三里塚教会信徒の戸村義弘さんが逝去した。享年97。近時、施設に入居していたが、最後は肺炎で亡くなった。義弘さんは、故戸村一作反対同盟委員長の実弟で、「反対同盟の歌」の作詞者である。3年前までは同盟の全国集会に駆けつけ、同盟歌合唱の際には、楽しそうに音頭を取っていた。
 義弘さんのライフワークは、三里塚教会と兄一作さんの闘いの継承・持続である。三里塚教会は、明治時代に福音宣教に接した祖父が自宅内に設立した由緒ある会堂に発する。戦後建設された現在の教会堂は有名設計者(吉村順三氏)の手によるものであり、最近、建築史において関心が寄せられている。戸村一作氏の三里塚闘争はキリスト者としての闘いでもあった。一作氏は農民の闘いに沈黙する教会牧師に改めを説いた。教会(堂)は幼稚園もかねていたが、牧師は一作氏、義弘氏ら5名の教会員を「除名」し、国・空港公団(当時)から移転費用を得て移設した。そのため三里塚教会の建物を撤去しなければならなかったが、一作氏は自ら立ちはだかり阻止した。「キリストを売ったユダ」に等しい牧師の三里塚教会への破壊策動に、農民の脱落・屈服を重ね見た戸村委員長の怒りは、怒髪天を衝くばかりであった。この一作氏の闘いを支えたのが、義弘さんであった。義弘さんは、教団を越えたキリスト教関係者に「三里塚教会」闘争を呼びかけ、広範な人士を結集し、教会のあるべき姿を問い続けた。戸村委員長の絵画、スケッチ、鉄の彫刻など闘争関係の遺品は教会及び付属の施設に保存されているが、戸村家と義弘さんの努力によるものである。

市東さんを称え

 義弘さんは、天神峰現闘本部裁判を支援する会の代表世話人になっていただき、04年からの裁判には欠かさず傍聴してくれた。また市東さんの農地取り上げに反対する会の会員であり、「市東さんは1億8千万円積まれても売らない。公(おおやけ)、道徳というなら真っ先に取り上げたい人物じゃないですか」と、市東孝雄さんの闘いを絶賛した。そして、星野文昭さんをとり戻そう全国再審連絡会議の会員でもあり、反権力で闘う者を「私は晴れ晴れとした気持ちで闘う人を見ますよ。闘争者のモラルの高さに感心する」と温かく見守った。
 義弘さんを貫くものは、反戦平和の思いである。彼は、学生の時に戦争に動員された。敗戦間際で、訓練させられたのは米軍の上陸に戦車の下に潜り込んで自爆することであった。しかし、渡された爆弾は「陶器」製のものであった。人命を湯水のように消費し、顧みない帝国主義の極みである。生き延びた彼は、戦後、英語教師として生きることになる。
 彼は、「今の時代も似ている」と、絶えず警鐘を鳴らし続けた。そして「こういう時代だからこそ三里塚のように権力に対して徹底的に闘う、政府批判を中途半端にとめておかない闘いが本当に必要だ」と指摘する。
 義弘さんは、我々に対して、時には厳しく叱咤もし、励ましてくれた。笑顔の素敵な先達であった。中国侵略戦争―世界戦争の切迫情勢の中、彼の思いに全面的に応え三里塚闘争に勝利しよう。ご冥福をお祈りします。

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