「農地とりあげと戦争を考える」 市東さん招き高崎で集会 実力闘争で戦争止める決意を共有

週刊『三里塚』02頁(1121号02面03)(2023/10/09)


「農地とりあげと戦争を考える」
 市東さん招き高崎で集会
 実力闘争で戦争止める決意を共有

(写真 農地守る決意を表す市東さん【9月24日 高崎市】)

 9月24日、群馬県高崎市で、三里塚芝山連合空港反対同盟の市東孝雄さんをお招きして「農地とりあげと戦争を考える映画&講演会」が開催された。
 「高階(たかはし)文庫」の高階ミチさんが主催者あいさつを行った。「未来を担う若い人たちのために17年積み重ねてきた、群馬・市東さんの農地を守る集会。軍事空港化を止める意義が大きい」と強調される。
 DVD「三里塚2023 天神峰農地強制執行との激闘の記録」が上映された。私も初めて見る大画面での映像に胸が熱くなる。実力闘争の思想の新鮮な息吹に会場は魅了された。後に発言された三里塚現闘の方も「自己解放的」と話していたがその通りだと思う。
 歌とピアノ演奏をはさんで、田島俊昭さんが「農地強奪と戦争 群馬ではどうだったか?」と題する講演を行った。
 講師は、「戦争はどのように始まるか」と問うて始めた。農地が奪われる時に戦争が始まる。明治初期にゼロだったのが、どのように群馬で約4500㌶もの土地が軍に奪われたかを暴露した。明治期「中野秣(まぐさ)場闘争」で、農民1千人が鎌・竹槍・猟銃で武装し軍隊・警察隊と闘った。今の相馬原駐屯地だ。
 今は原研(高崎量子応用研究所)などがある群馬の森となっている「陸軍岩鼻火薬製造所」も、「憲兵から『国のために買い上げに反対する者は国賊だ』といわれ」「うちの祖父が怒って押しかけて行って、三日も牢に入れられた」(当時の小中学生の文集より)と農民を弾圧し作ったのだ。
 農地がとられたその次は人がとられる。命がとられる。1945年7月、高崎第215連隊が行ったビルマ(ミャンマー)の「カラゴン村虐殺」で、600人以上の村民(子どもだけで260人)が殺された。
 国内では、配給制で商店は必要ないと店じまいさせて軍需工場に動員。今日の集会会場も、10代前半の女学生が風船爆弾の火薬装填工場に動員された女学校の教室と知って驚いた。
 「しかし人民は黙って従ったわけではない。その闘いを引き継いで三里塚闘争があり、昨日の9・23東京集会でもビルマ人民との国際連帯闘争が始まっている。ここに戦争を止める力がある。今日の話は昔のことではありません。再び始まっている中国侵略戦争を、今度こそ止めよう」と。
 いよいよ市東さんの登場だ。
 市東さんは耕作権裁判について、「100年耕している土地を奪おうとしているNAAと政府」を弾劾。「裁判官はこちらの話を途中までは聞いたふりをしてるんですよ。しかし最後、判決のときになると、特に国策のときはコロッと変わるんですよ」と話し、会場の誰もが深くうなずく。「今年の夏の暑さで虫や草も大変でしたが、除草剤を使わず皆さんにおいしいと言ってもらえる喜びでやってます。第3滑走路を皆さんの税金で作ろうとし、防衛相が『軍事で使う』と明言する。10・8全国集会、三里塚に来れる方は来ていただきたい」と訴えられた。映像の中でもビニールハウスや作業小屋が再建された様子が映し出され、第2ラウンドの闘いの勝利を誰もが確信した。
 会場からの発言も市東さんの闘魂と実力闘争の息吹に触発され熱気に満ちたものになった。三里塚にかかわるきっかけとなった羽仁五郎の「パリコミューンがここにある」という言葉を引いて新たな決意を語られる方。群馬の「無産強戸(ごうど)村」の闘いと「工場制度は社会革命の出発点」(ロバート・オーエン)に触発され、群馬合同労組で闘うと語られる方。高崎女子高の卒業生は、「私が教えている子どもたちに早速、今日の話を伝えたい」と。流通企業ベイシアとの春闘団体交渉で賃上げを実現した群馬合同労組の労働者は、カンパを市東さんに渡しながら「三里塚の闘いが私の原動力になった」と話された。
 実力闘争の思想で具体的に戦争を止める闘いに立とう。10月反戦闘争、11・19全国労働者集会へ組織しよう。
(群馬・小林亮)
このエントリーをはてなブックマークに追加