団結街道
週刊『三里塚』02頁(1164号01面06)(2025/07/28)
団結街道
目標10万人に向け被爆証言を開始し、約8万7千人に達した2002年5月、原爆による胃がんで亡くなった在日朝鮮人被爆者の朱碩さん▼1945年8月6日の朝、弟が「今日ぼく休む」と言ったことに腹を立て、首根っこをつかんで「神国日本の勝利のために『撃ちてし止まむ』の気迫でみなが闘っているというのに学徒報国隊のお前がサボるとは何事か。大体不良は学校をサボることから始まる。お前は不良になる気か。さっさと出て行け!」と家から追い出した。涙を拭き出て行った弟は二度と帰らなかった▼「弟を殺したのは自分」。皇民化教育のもとで予科練に志願するほどの軍国少年だった朱さんは自分を責めた。証言を聞いた子どもは「朱さんは悪くない。悪いのは原爆を落としたアメリカだ。戦争をはじめ、引き延ばした天皇だ」。そう言われても自らの責任をあいまいにしなかった。また、「戦争をなくすために何をすればいいか」を問われたた彼は「いじめるな。いじめを止められなくて戦争は止められない」と優しく語った▼「原爆には体を張って反対します。皆さん、今日はヒロシマの反核デーです。何年か後には、このような大規模の平和集会が禁止になるかもわかりません。それまでに不戦アジア、核ゼロを実現させなければなりません。万国の労働者は団結せよ! たたかう日本の労働者階級に栄光あれ!」(最後の8・6ヒロシマ大行動へのメッセージ)