8・6広島 ドーム前集会守りぬく 機動隊の強制排除を打ち破り 「石破の式典出席弾劾、核戦争阻止を」 逮捕・弾圧に一歩も退かず反戦反核を貫いた

週刊『三里塚』02頁(1165号01面01)(2025/08/11)


8・6広島
 ドーム前集会守りぬく
 機動隊の強制排除を打ち破り
 「石破の式典出席弾劾、核戦争阻止を」
 逮捕・弾圧に一歩も退かず反戦反核を貫いた

(写真 機動隊の暴力的排除と徹底対決し、原爆ドーム前での反戦反核集会を実力で開催【8月6日】)

(写真 石破の平和記念式典出席を弾劾するデモに出発)

(写真 午後のデモに立つ婦人行動隊の宮本麻子さん)

(写真 集会参加者をどう喝し暴力的に襲いかかる機動隊)


 被爆80年、今夏8・6広島反戦反核闘争は米日帝国主義による中国侵略戦争阻止・帝国主義打倒の歴史的決戦勝利の突破口を開いた。新たな核戦争の危機が迫る中、8・6ヒロシマ大行動実行委員会が呼びかける原爆ドーム前集会に全国から650人が駆けつけ、強制排除する機動隊の暴力に一切屈することなく毅然と座り込みを貫徹し、「ヒロシマ・ナガサキを繰り返すな!」の叫びを被爆地から世界に響かせた。「闘えば必ず勝つ!」。三里塚闘争が体現してきた実力闘争・内乱的闘いをさらに拡大し、中国侵略戦争に突き進む米日帝国主義を打倒しよう。
 米トランプ大統領と一体で対中国戦争準備にまい進する石破政権の意を受けた広島市・松井一實市長は昨年同様、平和公園一帯への入場規制を敷き、原爆ドーム前での反戦反核集会の禁圧を試みた。集会参加者に一指も触れられず敗北した昨年の轍(てつ)を踏まないと市当局は今年、機動隊・国家暴力を使った初の強制排除に踏み切った。
 だが、広島の被爆者、2世、3世を先頭とした前日夜から徹夜で座り込んだ闘う仲間は、固くスクラムを組み徹底抗戦。襲いかかる国家暴力・機動隊を迎え撃ち、何度もはね返した。この過程で警察権力は2人の仲間を不当にも逮捕したが、参加者は怒りとともに戦闘意思をますます強めていった。一方、機動隊は消耗の度を強め、7時頃にはついに集会参加者の1割も排除できないまま退いた。
 7時半、引いた機動隊の前に市職員数名がおずおずと出て、用件を告げることなく「代表者は出てきてください」とマイクで何度もつぶやく。妨害をはねのけ、集会を断固貫徹した。
 原爆投下時刻の8時15分、全員で黙とう。警察は式典弾劾の声を届かせまいと卑劣にもデモ出発時刻を遅らせた。「NO NUKES/STOP WAR」のメッセージボードを見て飛び入り参加する外国人もあった。
 午後からは集会禁圧を実力ではね返した勝利感そのままに8・6ヒロシマ大集会が開かれた。
 「二度と広島・長崎を繰り返させない!」被爆者、2世、3世の決意表明を先頭に、沖縄・福島、韓国から連帯アピール。改憲・戦争阻止!大行進呼びかけ人の高山俊吉弁護士が10・5反戦デモへの参加を訴え、動労千葉の中村仁副委員長が11・2全国労働者集会への結集を呼びかけた。全参加者は再びのアジア侵略・核戦争を阻止する決意を新たにし、8・6暴処法弾圧を粉砕し、沖縄返還協定批准阻止・渋谷闘争でっち上げ弾圧と闘う大坂正明さん、6・5天皇訪沖阻止闘争弾圧と闘う田丸鴻一郎さん、朝に不当逮捕された2人の仲間の奪還を誓った。
 集会後、市内中心部をデモ行進。反対同盟婦人行動隊の宮本麻子さんも参加し、意気高くシュプレヒコールを上げた。
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夜を徹して広場死守
 三里塚現闘 松井 剛

 8月5日夜の広島の暑さは覚悟していたより低く感じた。21時、機動隊に包囲されながら行われた前夜決起集会で、何が何でも原爆ドーム前広場を死守するという決意が強固に打ち固められた。米帝トランプのイラン核施設への爆撃という核戦争のリアリズムの中で、ドーム前を絶対に明け渡してはならないという思いを肝に据えながら夜明けを待った。
 翌朝4時過ぎからドーム前は機動隊を引き連れた広島市職員の「退去」通告で一気に緊迫状態に突入した。5時30分、ついに機動隊による暴力的強制排除が始まった。しかし誰もが怒りに燃えて決起した。固いスクラムと気迫の前に一人を引きはがすのも容易でなく刻々と時間は費やされた。
 結局、1時間半以上かけても参加者の1割にも満たない「排除」しか許さなかった。
 7時過ぎついに機動隊は後退した。「ドーム前を実力で守り抜いたぞ!」誰もが勝利を実感した。まぎれもなく実力闘争でかちとった勝利だ。
 その中で自分は2年前の市東さんへの2・15強制執行阻止闘争の場面を思い起こしていた。あの時このぐらいの数のスクラムが組めたら本当に勝ち切れていたのではないか。労働者階級人民の実力闘争こそが歴史を変える力なのだと。不退転の人民の決起が今こそ問われているのだ。
 戦後80年、愛国主義と排外主義があふれ、国会は総翼賛化しつつある。再び天皇を前面に押したてて人民の怒りの矛先をねじまげ戦争へ向かわせようとしている。天皇制軍国主義教育によって、突き進んだ歴史の過ちを繰り返してはならない。
 午後の集会で「平和を見せかけで語る者と、命をかけて闘う者」との峻別(しゅんべつ)を訴えた高山俊吉弁護士の言葉と、集会資料の栗原貞子さんの詩『ヒロシマというとき』の「〈ヒロシマ〉といえば/〈ああヒロシマ〉と/やさしいこたえがかえって来るためには/わたしたちは/わたしたちの汚れた手を/きよめねばならない」が重く心に残った。
 血債の思想の貫徹が問われている。ヒロシマの地に立って、原爆の業火の中に死んでいった人びとの「過ちを二度と繰りかえすな」という地の底からの叫びに応えていくためにも。 

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