2008年6月30日

紹介 共産主義者157号 マルクス主義的時代認識が各論文のベース

週刊『前進』06頁(2349号5面3)(2008/06/30)

紹介 共産主義者157号
 マルクス主義的時代認識が本号各論文のベースに

 新自由主義の破産の下で噴出した帝国主義の矛盾が、全世界の労働者階級・被抑圧人民に襲いかかっている。だがそれは、労働者人民に絶望と屈服をもたらすどころか、全世界に労働者階級の歴史的なストライキと食糧暴動の嵐を巻き起こしている。躍動に満ちた世界革命の現実性がそこにある。
 本号の各論文がベースにしているのはこのマルクス主義的時代認識だ。各筆者がそれぞれの切り口から、「世界は革命情勢」「労働者の力で革命をやろう」のテーマに実践的に踏み込んでいる。

 第1章 世界金融大恐慌と労働者の決起

 巻頭の無署名論文は、前号の巻頭論文に続いてサブプライム危機を口火とするアメリカの住宅大不況と世界金融大恐慌の情勢に切り込み、現代帝国主義が最末期の崩壊的危機にもがき苦しむ姿を実証的にえぐり出す。「労働者階級を搾取し、収奪し、貧困のきわみにたたきこんだこと自体が、結局いま、帝国主義を死の苦悶(くもん)にたたきこんでもいる」(16㌻)——この指摘は、サブプライムローンなどという詐欺的手口で労働者人民に犠牲を強いることによってしか延命できない帝国主義支配階級への激しい怒りと打倒の決意に火をつける。
 最終章に紹介されている資本攻勢の激化に対する国際労働者階級の歴史的決起は、その一つひとつが「世界は革命情勢」を実証するものだ。再録された天田書記長の3・14アピールとともにサミット粉砕への武器としよう。

 第2章 「団結論」を軸に帝国主義論読む

 この帝国主義の死の苦悶をめぐる今日の客体的・主体的な革命情勢の成熟を、レーニン『帝国主義論』の現代的復権と結合したのが村雨論文である。今春開催されたマル学同強化合宿の報告・討論をまとめ直したもので、『帝国主義論』の「論評型の読み方」などを吹き飛ばす衝撃性がある。中でも「階級的労働運動路線のもと、団結論を軸にしてとらえかえしたとき、レーニン『帝国主義論』はその真価を発揮する」(114㌻)という提起の斬新なパンチ力。「団結論で読む」とはどういうことか。一つには、パリ・コミューンへの恐怖から労働者階級の分断・団結破壊を決定的な契機に成立したのが帝国主義だという把握。もう一つは、その手先である体制内派=カウツキー主義批判こそ帝国主義論の核心中の核心であるというとらえ方だ。本誌152・153号の秋月論文の成果が実践的感性で深められている。
 革命情勢成熟の現在だからこそ体制内労働運動との対決が重要だという問題は、国鉄戦線における4者・4団体路線批判の菅沼論文とカクマル松崎・JR総連批判の矢剣論文で存分に展開されている。どちらも動労千葉の闘いとの対比で具体的・歴史的に体制内運動・ファシスト運動を断罪しており、団結論と絶対反対論という点でも説得力のある力作だ。

 第3章 攻めの改憲阻止闘争論を明確化

 松山論文は、憲法闘争にかんする護憲論的傾向や立憲主義的限界を批判し、階級的労働運動路線の下での「攻めの改憲闘争」を路線的に明確化し010た実践的論文である。「われわれは『憲法9条を守りたいから、そのためには革命しかないから闘う』のではない。われわれは労働者が権力を握る革命をやりたいから、9条改憲という日帝のきわめて綱渡り的な、バクチとも言えるクーデター攻撃をチャンスとしてとらえ、この千載一遇のチャンスをものにするために」憲法闘争を闘うということだ。この立場から、職場生産点での闘いと一体の大衆的署名運動の決定的重要性が明らかにされている。
 革共同広島県委員会の反戦反核論文もまた、プロレタリア革命をめざす階級的労働運動路線との関係でヒロシマ・ナガサキをとらえ直した画期的な路線論文である。「たしかに原爆、核兵器は、『無差別性』をもった兵器である。しかし、そこからヒロシマ・ナガサキを階級対立を超越した『人類の悲劇』として描き出すのはまったく間違いだ」として、階級的・マルクス主義的な反戦反核闘争の路線的明確化を行っている。階級的団結を軸に新たな8・6—8・9闘争を闘おう。