2009年10月15日

JR西日本 事故調報告の改ざん画策 この責任逃れが民営化

週刊『前進』08頁(2410号7面1)(2009/10/15)

安全破壊のJR体制打倒へ
 JR西日本 事故調報告の改ざん画策
 この責任逃れが民営化の正体

 05年4月のJR西日本・尼崎事故をめぐり、前社長の山崎正夫らJR西日本幹部が、国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)の委員と密会し、鉄道事故調査報告書の改ざんを求めていた事実が発覚した。山崎らは、国鉄OBの事故調委員に働きかけ、事故現場にATS(自動列車停止装置)が設置されていなかったことや、懲罰的な日勤教育が事故原因となったことなどを、事故調の報告書から削除させようと画策した。事故の責任の一切を現場労働者に押しつけ、卑劣な責任逃れを図る山崎らの姿に、国鉄分割・民営化の正体が現れている。

 首切りの張本人たちが結託

 JR西日本と密通して情報を漏らした事故調の委員は山口浩一と佐藤泰生。佐藤は同委員会の鉄道部会会長の地位にあった。これら委員と接触し、報告書の改ざんを求めたJR西日本の幹部として、山崎のほか、東京本部副本部長の鈴木喜也、安全推進部元担当部長の前田昌裕らの名前が挙がっている。また、事故対策審議室の室長でもある副社長の土屋隆一郎は、部下に事故調委員との接触を指示していた。まさに、会社ぐるみの組織的な事故調査報告書の改ざん工作だ。
 事故調委員の山口や佐藤は、事故調の審議状況を逐一、JR西日本に伝えるとともに、最終報告書案のコピーまで手渡していた。コピーを入手した山崎は、山口に「新型ATSが整備されていたら事故は防げた」という記述の削除を要求、これに応じた山口は事故調で、「後出しじゃんけん的であり、科学的でない。カットしたほうがいい」と主張した。
 尼崎事故の責任を問われ起訴された山崎は、社長辞任後も取締役に居座り、今回の事態が発覚してなお、「被害者対応、安全性向上」担当の取締役にとどまるとうそぶいている。何が「安全性向上」だ! 山崎らがやってきたことは、事故の全責任を運転士に押しつけ、自らの責任逃れを図ることだけではないか。
 事故調報告書の改ざん工作に関与したJR西日本幹部や事故調委員らは、すべて国鉄幹部として1047名の首を切った張本人だ。「稼ぐ」を絶叫し、安全を無視した無謀なスピードアップを強行した揚げ句、107人の命を奪う大惨事を引き起こしながら、その真の原因を押し隠し、責任を労働者に転嫁して自らは経営幹部の地位にしがみつく。そのおぞましいあり方は、日勤教育に象徴される強権的労務支配=労働者の階級的団結の解体と、安全の根本的な破壊の上に成り立っている国鉄分割・民営化体制を、必死になって護持しようとしたことから必然的になったのだ。
 山崎だけでなく、井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛ら歴代のJR西日本社長にも、労働者の実力で事故の責任を絶対にとらせなければならない。

 事故の真相隠す国交省も同罪だ

 国土交通省も同罪だ。国鉄OBの事故調委員とJR西日本の改ざん策動の上に作成された事故調報告そのものが、国鉄分割・民営化と規制緩和を強行した国交省(旧運輸省)の責任を押し隠している代物だ。事故調報告は、軽量化車両やボルスタレス台車の問題などにも一切言及していない。
 事故現場となった半径304㍍の急カーブは、97年3月の東西線開通のために無理やり造られた。当時、鉄道本部長だった山崎は、このカーブの危険性を十分に認識しながら、無謀な高速ダイヤを維持するために、ATSを設置しなかった。
 福知山線の電車運転士は、時速約120㌔で高速走行し、このカーブの手前で時速70㌔へと急速にスピードを落とす「サーカス運転」を強いられてきた。こうした「魔の急カーブ」自体が事故の原因だ。

 解雇撤回貫き11月大結集へ

 JR西日本は、事故を逆手にとって強権的労働者支配を打ち立てようと躍起になっている。現場労働者には運転士を外した「106名の犠牲者」への黙祷(もくとう)を毎日強制し、事故現場での献花や立哨を業務命令でやらせ、「反省文」まで書かせている。
 山崎起訴後、新社長に就任した佐々木隆之は、「作業の工夫などで、効果を落とさず安全投資を削減することは可能だ」と言い放った。
 現にJR西日本では、今年2月20日の山陽本線・明石−西明石駅間での下請け労働者の触車死亡事故に続き、9月25日、山陽本線・尼崎駅付近で下請け会社の青年労働者が保線作業中、貨物列車にはねられ重傷を負う事故が起きている。
 この現実の中で、JR連合・西労組や国労西日本本部ら体制内派は、JR西日本が策定した「安全基本計画」に基づき業務に取り組むとして、一層の屈服を誓っている。
 他方、国労5・27臨大闘争弾圧被告団を先頭とする闘う国鉄労働者は、尼崎事故弾劾を真っ向から掲げ、JR資本と激突してきた。その闘いが真価を発揮する時が来た。
 こうした攻防の最先端で、動労千葉は10月1日、幕張車両センターでのストライキに立った。
 動労千葉は、JR東日本が00年に打ち出した合理化計画「ニューフロンティア21」以来、検修・構内の外注化を8年にわたり阻むとともに、青年労働者の結集をかちとってきた。これは、反合・運転保安闘争路線が生み出した勝利だ。合理化との闘いは資本との非和解的激突となる。その闘いを、動労千葉は資本にとって最弱点をなす安全問題を徹底追及することにより果敢に貫いてきた。
 これを憎悪したJR東日本は、動労千葉の拠点=幕張車両センター本区から組合役員を排除する組織破壊攻撃をかけてきた。動労千葉は、この攻撃への総力を挙げた反撃をたたきつけたのだ。
 さらに動労千葉は9月30日、東京高裁で運転士登用差別事件の逆転勝利判決をかちとった。
 大恐慌下でJRは、一層の外注化・合理化に乗り出している。JR総連、JR連合や4者4団体派を取り込んで、1047名闘争を解体し、労働者の階級的団結を破壊し去ろうと策している。この攻撃はさらなる事故の続発を不可避とする。
 これと根底的に対決する闘いは、不屈の精神で職場から反合・運転保安闘争を巻き起こすことだ。1047名解雇撤回を貫くことだ。11・1労働者集会1万人結集を何としてもかちとり、JR体制打倒へ進撃しよう。