2009年10月12日

天野美恵さんを追悼する 北富士現地闘争本部

週刊『前進』06頁(2411号6面1)(2009/10/12)

天野美恵さんを追悼する
 米軍演習をゲリラで実力阻止 北富士闘争に全生涯ささげる
 北富士現地闘争本部

 北富士忍草母の会事務局長の天野美恵さんが、2年余の闘病生活の末、10月4日に逝去されました。「もう一度北富士に帰って闘いたい」という美恵さんの願いはかないませんでしたが、85年の鮮烈な生涯でした。
 1923年に天野美恵さんは、忍野村忍草に生まれました。忍野村は富士山麓(さんろく)の950㍍の高冷地で火山灰のやせた土地の村です。ここで生きていくために忍草の農民は狭い村内の土地だけでなく、富士山麓の入会地(いりあいち)である梨ケ原から馬草や肥料として草を刈り、燃料の薪(まき)を採り、養蚕のための桑やソバを植えて、生活の8割を入会地に依存して生きてきました。
 第2次大戦後、米軍に入会地・梨ケ原を接収され、生活の道を断たれた農民は、1947年忍草入会組合を結成して故天野重知(しげのり)組合長の指導下、「村中一心梨ケ原を守る」の旗を掲げて米軍から入会地を奪い返す闘いに決起しました。若き天野美恵さんもこの闘いに参加し、1960年には忍草農民のデモ隊の一員として安保闘争に参加しました。そこで樺美智子さんの闘いと死に触れ、入会組合の婦人行動隊として忍草母の会が結成されると、渡辺喜美江会長のもと事務局長に就任しました。
 以来50年間、北富士闘争の専従の活動家として、闘いの拠点・忍草区会事務所を住居とし、北富士の先頭で闘いの生涯を貫かれました。
 米軍に奪われた入会地を奪還するために、北富士農民は「入会地無断使用の米軍演習反対」の旗を立て、演習場内に入会小屋を建てて座り込んだり、あるいは演習場内の着弾地に農民ゲリラとなって突入し、「米軍演習実力阻止」の激しい闘いを展開してきました。
 1965年、米軍が東富士から北富士に撃ち込んだ地対空ミサイル・リトルジョンを着弾地に座り込んで実力阻止した母の会は、さらにベトナム戦争の最中の1967年7月、演習場のど真ん中に入会小屋を建てて座り込みを開始し、3年3カ月にわたって北富士での米軍の実弾演習を阻止してきました。
 ベトナム侵略戦争の遂行のために、米軍と日帝国家権力は70年10月27日、機動隊1000人を動員して、母の会が立てこもる入会小屋を撤去し、この弾圧を突破口に入会組合・母の会の切り崩しと第二組合の育成、北富士闘争の圧殺に打って出ました。
 革共同は、この10・27入会小屋撤去を契機に、忍草農民の要請を受けて現地闘争本部を設置し、それ以来、忍草区会事務所で天野美恵さんと寝食をともにして闘ってきました。
 北富士闘争は、これ以降、激化する組合切り崩しに対し、母の会の団結を守り、演習のたびに着弾地に潜入し、狼煙(のろし)を上げ、座り込んで闘いぬきました。逮捕を恐れず決起する中で、演習阻止闘争は継続・強化され、発展してきたのです。これらの決死の闘いは、母の会の豪快な武勇伝に彩られています。
 同時にこの過程は、反革命カクマルとの激烈な内戦の過程でした。母の会は権力や裏切り者=第二組合との厳しい闘いを身をもって闘いぬく中で、即座にカクマルの本性を見抜き、私たちの戦いを支持し、血盟をより強固に固めて闘いぬきました。
 さらに私たちは、忍草農民が入会地奪還闘争の中で権力から奪い返した精華である「桧丸尾(ひのきまるび)入会林」の強奪に権力が出てくる中、革命軍のゲリラ戦闘の爆発と戦闘的大衆闘争の強化・拡大をもって北富士闘争を守り、ともに闘ってきたのです。
 また母の会は「北富士は権力に奪われた入会地を奪い返す闘い。三里塚は農地を権力に渡さない闘い。同じ闘いだ」と、闘いのたびに三里塚に駆けつけ、三里塚農民との連帯を固めてきました。
 忍草農民が梨ケ原に持つ権利を奪わない限り闘いは続き、演習場の安定的な使用はできないと見た国家権力は98年、最高裁判決で「桧丸尾(県有地)に忍草農民の入会地はない」「正当な入会組合は第二組合」という判決を下しました。
 しかし、それにも屈服せず、2003年に渡辺喜美江・母の会会長、天野重知入会組合長が次々と逝去された後も天野美恵さんは、その遺志を断固受け継いで国有入会地奪還の闘いを継続し、生涯をかけて絶対反対・非妥協の北富士闘争を貫いたのです。
 天野美恵さんと母の会が権力と第二組合との闘いの中で示されたことは何か。それは体制内派と激しく闘う現代の青年労働者、学生の闘いに通じるものがあります。
 今日、世界大恐慌が爆発する中、11月集会1万人結集の力でプロレタリア世界革命の突破口を切り開く決意です。そしてプロレタリア革命勝利の中で、北富士闘争の勝利も必ず実現します。
 北富士闘争が生んだ鋼のように強固で心優しい女性闘士・天野美恵事務局長。その生きざまに心から感動するとともに、限りない尊敬と感謝を込めて誓います。美恵さんがめざした北富士演習場撤去・入会地奪還の課題は、われわれ革共同と労働者階級がしっかりと受け継ぎます。
 美恵さん、長い間ありがとうございました。そしてご苦労さまでした。