2009年10月12日

天野豊徳さんら3人が弔辞 美恵さんを偲び告別式

週刊『前進』06頁(2411号6面3)(2009/10/12)

“忍草の夜明け信じ”
 天野豊徳さんら3人が弔辞
 美恵さんを偲び告別式

 10月7日、10月4日に急逝された天野美恵忍草母の会事務局長の告別式が山梨県・富士吉田で、北富士闘争に生涯をささげた天野さんの闘いをたたえるにふさわしい内容で行われた。
 忍草入会組合の天野豊徳さんが弔辞を述べた。豊徳さんは故天野美恵さんを「姉」と呼んで、「事務局長として北富士梨ケ原への入会権の確立、平和利用の最終目的に向かってありとあらゆる手段をもってその目標に挑戦してきたよなあ」と故人に語りかけた。そして「北富士忍草に母の会あり」とその名をとどろかせた奮闘を語り、「波瀾万丈の姉の一代記は一言では言い表せません」とたたえ、「忍草の夜明けを信じながら活動の途中であの世へ行った数々の仲間たちに、最後までがんばり抜いた忍草の女集団・母の会の生きざま、死にざまをよーく話してくれ」とはなむけの言葉を贈った。
 次に弔辞に立った三里塚芝山連合空港反対同盟の北原鉱治事務局長は「反対同盟は、北富士闘争と三里塚闘争、すべての住民闘争の勝利を必ずや実現する決意です」と誓った。(別掲)
 続いて婦人民主クラブ全国協議会代表で相模原市議の西村綾子さんが弔辞を述べた。「美恵さんが生涯かけて貫いた戦争も差別もない社会の建設、基地を完全になくす悲願を今度こそ実現するために、私たちもがんばります」
 3人の弔辞は参列者に亡き美恵さんの姿をまざまざと想起させ、誰もが涙を抑えることができなかった。
 最後に遺族が、「皆様が語られたように強い母でしたが、私たち家族にとってはとても優しい母でした。孫もよくかわいがってくれました」と家族愛にあふれた一面を語り、お礼を述べた。