2010年1月18日

運転士登用差別勝利し乗務開始 動労水戸 木村郁夫書記長に聞く

週刊『前進』06頁(2423号2面4)(2010/01/18)

運転士登用差別事件 完全勝利し乗務開始
 動労水戸 木村郁夫書記長に聞く
 仲間のためなら妥協しない 団結を貫いてJRに勝った

 国鉄分割・民営化から23年間の運転士登用差別を打ち破って12月冒頭から動労水戸の組合員3人がJR常磐線と水郡線で運転士の仕事に就いた。歴史的な勝利だ。運転士不登用事件の当該である木村郁夫書記長に勝利の教訓をうかがった。(聞き手/編集局)
 ——乗務を始めての感想は。
 「やったな!」という勝利感は大きいですね。職場の人たちからも「頑張れ」という激励のほうが多い。訓練中ですから教導運転士と一緒に乗っていますが、現場の人はみんな「おれのところに乗れよ」って言ってくれます。でも東労組は、組合として教導運転士を出すことを拒否しました。若い運転士と一緒にしたくなかったんでしょう。
 僕らが運転士免許を取った国鉄時代は、ひとつの勤務でこんなにたくさん乗っていませんでした。2倍近くの負担になっている。「これほど合理化が進んでたのか」と実感しています。

 23年にわたる攻防

 ——国鉄入社以来の経過を教えて下さい。
 入社は1982年、86年8月に運転士免許を取得しました。しかし、運転士に発令されないまま10月に車両検修係に。「検修」と言っても、仕事内容は無人駅のペンキ塗りです。
 当時は、国鉄分割・民営化攻防のまっただ中で、動労水戸結成が86年11月。他労組では、1年間の出向を条件に運転士発令された人、87年3月の国鉄最後の配転で運転士になった同期もいます。僕らは、動労青年部の中でさんざん激突してましたから、カクマルと当局によって「あいつは動労水戸だから運転士にするな」「こいつは違うからいい」と線引きされていた。
 分割・民営化直前の87年3月に駅のそば屋に強制配転されて6年半。その後、水郡線の常陸大子で検修職になりました。
 ——JR資本による運転士登用差別の狙いは。
 とにかく、いかに辞めさせるかです。動労水戸を抜けて会社に頭を下げれば運転士になれる。そうでないなら会社を辞めろ、と。これに対して「団結にかけて絶対に譲らない」ということをどこまで貫けるのかが23年間の攻防でした。
 ——08年12月に最高裁で勝利が確定しました。
 強制配転も含めてさんざんやられてきたから、動労水戸組合員もまわりの労働者も「JRと闘っても勝てないんじゃないか」というのが普通の感覚だったと思うんです。これを打ち破ったのは本当に大きい。
 毎年ストライキをやってきましたが、実際には何かが変わるわけじゃない。それでも「会社になんか絶対に頭を下げないぞ」と労働者の誇りを守り抜いてきた。まわりからは「お前らは、それで損をしてる」と言われ続けてきた。それが実際に勝ったわけですから。
 他労組の人は「どこで手を打つのか。金銭解決だろう」と見ていました。資本とはどっかで折り合いをつけるもんだと思っていますから、ここまで徹底して闘うなんて考えられない。
 運転士職発令を巡っても残った人の決着はまだついていませんし未払い賃金問題も残っています。今後も攻防は続きます。

 連日の徹底議論で

 ——最高裁で確定後の会社との攻防の経過は。
 当初から会社は「命令は履行するが、会社のやってきたことは間違っていたとは思っていない」の繰り返し。おれたちからすれば「まず謝れよ!」ということですよね。
 JRは、最高裁判決に従う形をとりながら、遠隔地への配転に応じなければ運転士にしないとか、「もう運転士を希望しないなら“希望しません”と一筆書け」と言ってきました。当該の意思をくじいて、一人でも削り落とそうとしてきたんです。
 一方的に会社のスケジュールで進められていることへの怒りで、団体交渉にも当該がどんどん行くようになり、組合全体集会も何度もくり返しました。体力的にも「ちょっと乗務は無理かな」と思っている人もいましたが、「“ここで当局の攻撃をぶち破るんだ。絶対に乗務するんだ”と思っているやつがいるならおれも一緒にやる」と全体が固まってきた。
 ——総合研修センターでのストはかつてない闘いでした。
 僕らの中ではストは常識じゃないですか。それ自身は大変でもなかったですよ。研修所でストに入っても業務上はなんの影響もないけど、会社のメンツからすれば最大の反撃になる。「だったら、やろう!」と。
 講義中に、支援の仲間の声が聞こえてきました。組合員がいつの間にか教室の窓を開けておいたんです(笑)。みんな「来たぞ、来たぞ」って感じてワクワクして聞いていました。
 一緒に研修に行った9人とは必ず毎晩、話しました。すでに運転士の免許を取っている僕らには無意味な授業への怒りや不満、最後の最後まで強制配転の問題もありましたから。誰かが吐き出したいものがあれば夜中まで徹底して付き合う。
 組合ってそういうもんですよね。自分のために闘うんだったら「ここらへんでいいかな…」と妥協しがちですけど仲間のためなら妥協しない。「おれはどうってことないけど、お前が不満だったら一緒に闘うよ」と。人のために闘うというのは本当にすごいことができる。それが一番強い団結なんだなと実感しました。
 最後は、会社が動労総連合に「話がしたい」と言って来た。強制配転攻撃を完全に粉砕したわけです。10月16日の本社抗議行動が効いたんでしょうね。「これ以上攻撃しても、こいつらにはまったく効かない」というのが本社も分かった。
 ——動労水戸にとって09年の闘いの持つ意味は。
 歴史的に飛躍できた年でした。7月のストは、強制配転に対して「ふざけんな! だったらストライキだ」と組合員の側から出てきた方針です。仲間の怒りに対して全員がともに闘う——これをとことん追求してきた1年であり、それによって勝ちきった。この中で7〜8月、2人の仲間が加入してくれたこともすごい力になりました。

 外注化阻止へ全力

 ——最後に検修外注化阻止決戦にむけた意気込みを。
 検修外注化は、なによりも団結破壊の攻撃です。同じ分会、同じ青年部の仲間どうしを「お前らはJR。お前らは別会社」と分断する。あえて仲間を切り捨てさせるとんでもない攻撃です。これはJRだけの問題じゃありません。道州制も問題になってきますし、こんなことを許せば首切り全面展開になる。JRとの闘いは、その最先端の攻防ですから。
 仲間を切ることは自分を切るということです。一緒にやれる仲間はどの職場にもいる。職場や社会をひっくり返していく団結は絶対にできる。職場の青年たちには、ここに自らの未来をかけて決起してほしい。
 外注化阻止決戦は、組織拡大の最大のチャンス。国鉄分割・民営化に決着をつける闘いがやれるんじゃないかなと思ってます。2010年はしょっぱなから全力投入でいきます。