2010年3月22日

数万・数十万の機関紙読者を 前進経営局から訴える

週刊『前進』06頁(2432号6面2)(2010/03/22)

大恐慌を世界革命の勝利へ数万・数十万の機関紙読者を
 前進経営局から熱烈に訴える

 胸躍る時代が到来

 胸躍る時代が到来した。新自由主義が破綻し、大恐慌が爆発し、世界革命への新たなうねりがわき起こっている。ギリシャの1カ月で3回のゼネスト決起はユーロとEUを揺るがしている。全学連の訪米闘争はカリフォルニア州の100万人教育ゼネストと合流した。11月派の闘いが世界を変える鍵を握っている。
 「2010年国鉄決戦に勝利しプロレタリア世界革命へ」を掲げ、国鉄・沖縄・三里塚・法大の闘いに勝利し、プロレタリア革命に突き進もう。この闘いの成否は、2千万青年労働者、6千万労働者の中に数万、数十万部の機関紙を広め、労働者階級の中に無数の労働者細胞を建設し、革命勝利の世界単一の党を建設する闘いの前進にかかっている。
 <機関紙拡大×職場細胞建設×動労千葉型労働運動と労働組合建設〉の通年的実践で革共同建設の新段階を切り開こう。
 それは、革共同政治局1・1アピール第5章で提起しているように、綱領草案を闘いとった地平から3全総路線を継承・発展させ新たに実践することである。その核心は機関紙活動を党的日常活動の中心に据えることだ。

 3全総-3回大会の機関紙活動が70年安保・沖縄決戦準備

 「わが同盟のここ1年間のたたかいの教訓は、わが同盟が確固とした党組織を、経営細胞を基礎に構築することなしには、革命的共産主義運動の飛躍的前進がありえないことを教えている。強固な経営細胞を確立し、その周囲に戦闘的労働者大衆を結集させて、反帝・反スターリン主義の思想的影響力を広範につくりだすことなしには、われわれは、革命の確固たる拠点をつくりだし、民同や日共の官僚主義的支配をつき崩すことが不可能なのである」(第3回拡大全国委員総会宣言、62年9月)
 3全総は、動労千葉労働運動−階級的労働運動の揺るぎない基礎をつくった。一切の戦闘的要素をわれわれが結集しつつ、既成指導部から自由な大衆的闘いを独自に組織し、われわれ自身の内部にある民同的あるいは日共的要素を具体的に革命的共産主義の立場で克服してきた。
 ささやかなものであっても、われわれ自身が具体的行動を組織し、組合運動といえば民同か日共しかないと思い込んでいる人びとに、独自の階級的労働運動の闘いを示してきた。われわれ自身の手で大衆を組織して闘うことを多くの職場で追求してきた。
 党建設−日常不断の党の強化の闘いも、平時において革命的少数派として自己の階級的立場を断固として守り抜き純化しながら日常的・現実的活動として貫徹されることを必要とする。
 さまざまな契機に応じた大衆闘争の組織とその中での階級的宣伝・扇動が、革命党の任務であり生命である。そうした闘争が階級的自覚として労働者の中に積み上げられていくことを意識的に追求していくものこそ、革命党の闘いである。職場におけるほんのちょっとした反抗にさえ、強力な思想的・組織的保証を必要とし、スターリン主義との闘争を必要とする。こうしたあらゆる契機を党建設に結びつけることである。

 ●3全総は機関紙活動の変革を提起した

 3全総は機関紙活動について重要な提起をしている。
 第一に、機関紙活動に対する過小評価を徹底的に粉砕すること。
 第二に、『前進』を根本的に体質改善し、闘う労働者と生きいきと交通する紙面をつくりだすこと。
 第三に、1部でも多く戦闘的労働者の手に渡すために、最大限努力すること。『前進』読者を労働者の間に拡大する仕事は、一時的な片手間なものではないのである。1部の機関紙の継続的配布は、戦闘的労働者の思想的変革をかちとり、その一人ひとりをわが同盟に組織する宣教師であり組織者の役割を果たすのである。わが同盟の一部には、『前進』を同盟内の通達か内部情報のように組織内の人間だけに配布しているようなところもあるが、われわれはこのような日和見主義を断固として克服していかなければならない。
 第四に、編集局に通信と紙代を送り、読者や細胞の批判を伝えること。
 3全総の直後、62年10月から、『前進』はそれまでの旬刊から週刊化に踏み出した。

 ●機関紙活動を日常的組織活動の中心に

 3全総後、前進編集局から独立した前進経営局を設立し、編集局と一体となって機関紙活動の強化を推進した。
 ①配布活動は党と読者を結びつける根本的な組織活動である。全員が分担して行い、会議で定期的に点検する。機関紙活動を会議の第1議題とすることを決議する大学支部もあった。
 ②紙代をできるかぎりまとめて前払いする固定読者にする。集金は全員が分担して行う。紙代納入を会議に報告して点検を受ける。
 ③闘いをまず読者の拡大に結びつける。場当たり主義ではなく、組織的・計画的に行う。オルグリストをつくり、全員で分担し、オルグし、会議で点検する。
 ④機関紙を読み、会議で討議し、意見や批判を編集局に報告する。
 ⑤各組織で機関紙担当者を決める。しかし、担当者任せにしないで組織責任者が責任をもつ。
 当時、カクマルの脱落・逃亡で35%の減部となったが、労働運動の現実に切り込み、投稿欄も充実した。職場・大学に細胞を組織し、分局を再建し、読者を拡大した。不足する財政は同志と読者にカンパを訴えた。カクマル脱落後2年弱の64年6月には減部分を回復することができた。カクマル派の脱落による党の純化は、党の飛躍のテコとなった。
 こうして65年3月には毎号2㌻から月1回は4㌻にすることができた。

 ●66年革共同3回大会

 66年夏に革共同3回大会が開催された。3回大会は67年10・8羽田闘争から70年安保決戦への跳躍台になった。
 3回大会は3全総以来の同盟の飛躍的前進を勝利的に確認するとともに、第一に、帝国主義の戦後体制の根底的動揺の開始と日本帝国主義の体制的危機の深まり、第二に、スターリン主義陣営の一国社会主義的対応の歴史的破産を確認し、第三に、危機の時代にむかっての同盟の再武装と安保・小選挙区−諸闘争の激発という戦術的展望を打ち出した。
 67年10・8羽田闘争以来の激動を根底的に支えた綱領的=戦術的視点こそ、3回大会が確立した方向性であった。
 機関紙の購読部数は羽田闘争直前の67年9月から1年間の激闘で3倍強拡大した。週刊と日刊の相違があるとはいえ、その部数は6全協(55年)当時の『赤旗』にほぼ等しいところまで到達した。党が綱領的時代認識を持ち、路線を確立して闘ったとき、党建設は一気に飛躍する。
 原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争を闘った68年1月には週刊4㌻に、69年8月には週刊6㌻になった。本多延嘉前書記長が破防法弾圧で逮捕された69年4月から11月までの半年強で2倍になり、6全協から60年安保に至る過程での『赤旗』の発行部数を上回った。『前進』の街頭販売だけで首都7千部、全国1万数千部を販売した。
 綱領草案と革命戦略を持った今、われわれは70年決戦の比ではない全世界を獲得する展望をもっている。

 党生活上の3原則

 50年の党活動を支えてきたものは党生活上の3原則の実践である。
 「党生活上の3原則について通例、(1)党の会議(細胞会議、支部会議など)の定期的な開催とそれへの参加、(2)機関紙誌の購読とその拡大、(3)党費の納入の3点があげられているが、それは、党建設、党生活の独自性を平易な表現において確認したものであり、決定的に重視されなくてはならないのである」(「レーニン主義の継承か、レーニン主義の解体か」本多延嘉著作選第1巻、135㌻)
 「(党生活上の3原則は)一見まったく初歩的で当然のことのようにみえる。しかしながら、逆にそうであるからこそ、党組織および党員個人の党活動のもっとも基本的なバロメーターとなるのである。いずれもきわめて基礎的一次的行為であるために、他のことにかまけて、転嫁することを許さないものである。別の表現でいえば、この3原則の実践によってはじめて党(員)は党(員)であることを実証するのである。したがって、この3原則の実践をくりかえすということは、不断に党性をつちかうものとなり、党(的人間)を形成してゆく力をもっているのである」(「カクマル反革命粉砕、『侵略を内乱へ』の闘いをいっそう発展させよ」72年6月1日発行『共産主義者』23号、52㌻)
 「ふやさなくても新聞をちゃんと読むということはまず前提だ。……自分がすることが先なんだ。会議をやって、会議に出ること、党費をはらうこと、自分自身が新聞を読むこと、ひどい奴(やつ)は自分で読まないで人に売って歩いている人がいるけれど、こういうのはけっして模範的とはいえない」(「前衛党組織論序説」本多延嘉著作選第7巻、52㌻)
 党が自分自身を成り立たせていくためには、党の団結がなにより必要である。レーニンが機関紙で党を組織してきたように、党生活の3原則には機関紙という軸が通っている。機関紙で会議を組織し、機関紙を読み広め、機関紙で財政を集め納入する。このレーニン主義的な最も原則的で基礎的な闘いをうまずたゆまずやりぬくということに尽きる。

 階級的団結の武器として活用しよう

 <機関紙拡大×職場細胞建設×動労千葉型労働運動と労働組合建設〉とはいかなる活動であろうか。
 労働者階級の解放は労働者自身の事業である。動労千葉に学び、職場生産点で資本と体制内労働組合と闘い、団結を総括軸に動労千葉型の労働組合運動を全労働者の先頭に立って実践する。この闘いの武器として機関紙を活用し、青年労働者に機関紙を拡大し、職場細胞を建設する。
 「時代認識と労働運動」の2本柱で闘ってきた青年労働者が、機関紙を職場の団結の武器として駆使し活用したら、革共同建設の新段階を開くことができる。この闘いが始まっている。この活動を3全総−3回大会過程で、当時の青年労働者・学生が実践した。
 「労働者階級の解放は、他人まかせではできないのであり、こうした自己満足的活動では自己の解放もできないのだ。綱領的立場の深化、不断の理論活動、党の中心的・全国的政治闘争とイデオロギー闘争に対する軽視や接ぎ木的対応は、その細胞を行きづまらせ、同時に中央指導部と全国党全体を退廃させるであろう。こうした危険は、あらかじめ何かやっておけば避けられるというものではない。日常不断にそれと闘わねばならないのであり、その決定的武器は全国政治新聞と常任組織者なのである」(岸本健一「職場におけるわが同盟の組織的活動について」63年6月15日発行『共産主義者』8号)
 職場で活動を開始するや否や資本と体制内労働組合が一体となって攻撃してくる今日、職場に1部の機関紙を広めることは1960年代とは違う厳しさがある。この厳しさの前に、塩川派をはじめすべての党派が屈服・転向し、マルクス主義を投げ捨て、体制内勢力に転落しているのだ。
 しかし職場には「俺(おれ)たちは人間なんだ。モノじゃないんだ」というマルクス主義的根源的な怒りが渦巻いている。この怒りと結びつくことだ。
 青年の怒りといかに結びつくか。それは、分断され出口をふさがれた青年の怒りを包み込む細胞の団結、地区党の解放性あふれる団結である。その武器は機関紙だ。1人の青年の獲得は党を一気に変革する。ソビエトの萌芽(ほうが)を思わせるような職場の団結した闘いに、10代の青年から戦後革命期を闘った80代までが結集している。
 職場細胞と地区党が機関紙を武器にして団結し、まず1人の青年の獲得のために熱中することだ。
 党と労働組合の関係は、工場細胞・経営細胞の建設をとおして、党の路線を職場での闘いに内在的・日常的に貫き、階級的団結を形成する度合いに応じて前進する。
 「『労働組合と党は、限りなく一体であるべきだ』と考えている」「労働者は自らの力で、労働者に依拠した労働者党をつくりださなければならないのだ」(中野洋著『甦る労働組合』)。この闘いに機関紙を活用しよう。

 機関紙担当者決め〜3月期集約を

 機関紙活動の要は「読む」「配布」にある。地道な日常活動が党が団結し、世界を変革する力である。
 全組織が機関紙担当者を決め、目標を定め、月1回必ず組織討議しよう。
 機関紙活動の毎月集約、3カ月集約(1〜3月、4〜6月、7〜9月、10〜12月)を行い、国鉄をはじめ4大産別に、すべての職場・大学で、街頭で青年労働者に『前進』を広め、11月1万人結集を実現しよう。