2010年5月17日

「和解」拒否した闘争団員の会見(要旨)

週刊『前進』06頁(2439号2面2)(2010/05/17)

“解雇撤回なき「解決」認めぬ”
 「和解」拒否した闘争団員の会見(要旨)

 4月27〜28日、鉄道運輸機構訴訟原告・秋田闘争団の小玉忠憲さんと鉄建公団訴訟原告・旭川闘争団の成田昭雄さん、同・小倉地区闘争団の羽廣憲さんが、「解決案」を拒否して訴訟を継続するとともに、解雇撤回まで闘い抜く鮮烈な意志を明らかにした。28日に厚生労働省記者クラブで行われた記者会見での3人の発言、記者との質疑応答を紹介します。(編集局)

 冒頭発言

 不当労働行為を闇に葬る解決案

 国労秋田闘争団 鉄道運輸機構訴訟原告 小玉忠憲さん

 4者4団体の一部の人たちが「政治解決」を進めていますが、私ども原告に対しては労働組合からも代理人弁護士からも今もって一切説明がありません。4月26日の国労臨時大会の傍聴にも行きましたが、本部の役員などに入場を阻止され、警察力を使って強制的に排除されました。こういう現状が変えられなければ代理人を解任せざるを得ないということで私は昨日、代理人18人全員を解任しました。訴訟を継続して争うつもりです。
 国鉄分割・民営化によって旧秋田鉄道管理局では私一人だけが不採用になりました。JR東日本では5千人以上の定員割れだったにもかかわらず本州で七、八十人が選別的に不採用となりました。
 これは過去の問題ではありません。いま青年労働者、学生のみなさんが置かれている非正規労働、派遣労働の現実は、国鉄分割・民営化と同時進行で始まりました。私たちの争いは私たちだけの問題ではない。
 「解決案」は、不当労働行為については一言も触れられていません。まして謝罪もありません。JRの責任もありません。生活のことを考えますとお金は重要ですが、肝心要なことが何ひとつ触れられないまま、当時の中曽根総理大臣、あるいはJR東日本元会長である松田昌士さん、JR東海会長である葛西敬之さんらの責任が不問にされようとしている。
 特に葛西さんについては過日の動労千葉鉄建公団訴訟の中で、採用候補者名簿を直接作成したスタッフの一人であるJR高崎支社長・伊藤嘉道さんが「実は採用名簿にみなさんは載っていたが、87年2月12日の設立委員会直前に、当時の上司であった葛西さんからの指示で削除した」と証言している。ようやく23年かかって事実が明らかになったのに、闇に葬られようとしている。解決案には絶対に同意できないという思いで訴訟を継続することにしました。

 殺された仲間の汚名そそぎたい

 国労旭川闘争団 鉄建公団訴訟原告 成田昭雄さん

 私は北海道出身です。北海道は雪国ですが、国鉄時代には昼夜を問わず汗水垂らして線路を守ってきました。JRになってからは合理化で要員が減らされ、ホームには人がいない、線路を直す人がいない、修繕・検査をやる人もだんだん減ってきた。外注化で利益優先になり、事故が多発してしまった。
 清算事業団や人材活用センターは、出て行っても何もすることはなく、塀のない刑務所みたいなもので、抗議すると「処分する」という脅しを受けてきました。
 この問題の「解決案」について、弁護士は決まったことは4者4団体には伝えてきますが、私たちは中身について何ひとつ知らされていない。私たちの手の届かないところで一人歩きしちゃっています。
 私は解決案を一切受け付ける気持ちはありません。裁判を取り下ろす気もありませんし、納得できる闘いをしていきたいと思っています。
 やはりきちんと原点に戻って約束を守ってもらいたい。謝罪をしてもらいたい。生活がありますからお金が必要ないとは言いません。しかし、汚名を着せられた多くの仲間が死んでいった。200人の仲間が殺されてしまった。あるいは五十何人の仲間が志なかばで死んでいったことを考えると、やはり一番最初に謝ってもらいたい。
 私は、この根っ子のところまでしっかり下がって、学生や青年、年金生活者も含めて本当に社会からはじき出されている状況を許せないということがありますから、分割・民営化の根本とは何かを問いながら、謝ってもらうことは謝ってもらって、一日も早い解決を望んでいます。

 同じ考えの仲間はたくさんいる

 国労小倉地区闘争団 鉄建公団訴訟原告 羽廣憲さん

 解雇された時は25歳でした。闘争団をつくり、私は物資販売だけで生活してきました。生活が成り立たない時は、実家に泣きつくなどまでして自分たちの意志は絶対に曲げずにやってきました。そこには「違法なことを労働組合として、一人の人間として絶対に許してはならない」という23年前の原点がずっとあるわけです。
 自分たちの目の前で、仲間が組合を脱退していくことが日々起こった。生活に追われ、国労を脱退せざるを得ない。仲間を売ってまで家族や自分の生活を守らなければいけないような実態を23年前に強制した分割・民営化を絶対に許さないとがんばってきた。それが今回の「解決案」には何も入っていない。
 私は一貫して「政治解決にはのりません。政治解決で得られる和解金は1円もいりません。私は解雇撤回です」と言ってきました。だから今回もいかなる内容であっても私はのらない。金額が少ないとか多いとかいう問題ではありません。解雇撤回じゃないからのらないんです。
 本日のこの会見を終わり次第、私は鉄建公団訴訟の原告ですから弁護人の解任の手続きをとります。国交省は「910人全員に判をもらってこい」と言っているみたいですが、押すことはあり得ないということです。
 解雇撤回まで闘うと人生をかけて決意した以上、闘える限りどこまででも続けたい。それが私たち解雇された闘争団員の任務ではないかと思います。
 今日は3人ですが私たちと同じ考えの仲間がもっとたくさんいるはずです。「やはり解雇撤回しかない」という方々に私たちの声を届けたいという思いと、こんなところで金をもらってやめていいのかという問題を含めて、今日この場を設けていただきました。

 質疑応答

 ——朝日 JRの責任は最高裁で否定されており、東京高裁判決が解決金の算定根拠になっている。闘い続けても厳しい中、他の原告が現実的な判断をすることを非難できるのでしょうか。
 羽廣 私たちはこの闘いを国家的不当労働行為との闘いと位置づけてきました。国家のやった違法行為について裁判所がどんな判決を出そうと、解雇されている事実は23年前から何も変わっていません。人道上の問題以前に、そんな法律が通用するのかということです。私たちには解雇される理由はないですよ。採用通知が来ていないだけですから。私たちは「解雇撤回、元の職場に戻せ」と言っているんです。こんな首切り認めたら、これからどうやって生きていくんですか。こんな解雇を絶対に認めてはいけないんです。
 小玉 解決案に応じる原告の方々がいるとすれば私たちはそれを非難するつもりはありません。それぞれの方の判断ですし。ただ「これは納得できない」という私たちになぜ襲いかかってくるのか。組合や代理人弁護士が結論だけを押しつけ「さあ受諾するのかしないのか」と迫るようなことをなんでやってくるのか。私たちが闘いを継続したいということを踏みにじらないでもらいたいということです。
 ——読売 きちんと連絡があった場合は受け入れるんですか。
 小玉 いや受け入れません。
 ——読売 最終的に不満なのは解決案の内容なわけですね。
 小玉 2006年2月16日に1047連絡会が労組の違いを越えて初めて結成されました。その年の4月に国交省に出した統一要求書には「解雇撤回」を明記しています。なぜそこから逸脱するのかということです。このことについていろいろな場で「おかしい」と議論してきたのに、この解決案が出る時点で役員たちがそうした議論の場を設定せず排除する形で今のような状態になっているということです。
 ——読売 みなさん国労の組合員ですか。
 小玉 そうです。
 ——読売 国労を脱退する考えは。
 小玉 ありません。国労の現場の分会から本部に対して「この解決案は納得できない」という決議や意見書が寄せられているそうです。JRに採用された国労組合員は現在も、不当な配置転換を受け、昇給・昇格試験にも一切受からない。私の秋田管内でJRに採用された電気技術者がいますが、彼は今も草むしりです。冬は除雪作業。そして無人駅の清掃、窓ふき。23年ですよ。絶対に元の職場に戻さない。国労であり活動家だったからです。そういう問題が何の解決もないままに葬り去られてしまうのではないかと現場が受けとめているんです。
 ——朝日 迷いは。
 小玉 私も含めてみなさん迷いはあるんじゃないでしょうか。訴訟ということもありますが、私は基本的には労働組合ですから労働運動の力で勝負をするのが基本だと思っています。仮に裁判でいい結果が出なくても、私はそれで絶望するという考え方ではありません。26日の国労臨時大会当日も夕方から集会があり、私たちを支援してくれる方が400人集まりました。そういう方々がおりますので、やれるところまでやっていきたいと考えています。